ピラミッド頂上は見つかっているのにピラミッド本体が見つからない。第13王朝、メンネフェルウラー・アイ王
第13王朝は、およそ100年ちょっとの間に50人以上の王が立った混乱期だ。平均して一人だいたい2-3年の即位期間。実際には、ほとんど統治の実体のな王もいると言われ、王名表には存在するが実在したのかどうか遺物から判定できない人もいる。古代エジプト史の中でも、いちばん資料が混沌としている王朝かもしれない。
その第13王朝の中でも例外的に資料が多く、遺物もそこそこ出ており、20年ちょっとの治世年を持つのがアイ(アヤ)王、なのだが…
改めて調べてみたら、ピラミッドが行方不明だった。
なんで?! と思うかもしれないが、どうも盗掘されたのは確実で、破壊された可能性もあるからなのだ。
ピラミッド頂上に据えられていた石、ピミディオンだけは見つかっているのだが、見つかった場所が、かつてのヒクソス王朝の首都・アヴァリスの近郊だからである。
第13王朝の後半には、ナイルデルタのあたりはアジア人に占領され、異民族王朝の第14王朝が成立する。他にも複数の勢力が勝手に王を名乗り、国土が分裂する時代なのだ。
アイ王はおそらく、当時のネクロポリス(死者の街)だったメンフィス郊外にピラミッドを築いている。ということは、当時はそこまでは王権が及んでいた。しかし、それ以降の時代のどこかで支配権を失い、王朝の首都はテーベまで撤退する。
その後、ヒクソス王朝(第15王朝)が台頭すると、ネクロポリスが荒らされ、歴代王の記念碑も破壊されてしまう。
アイ王のピラミディオンは、おそらく戦利品としてアヴァリスへ運ばれたのだと推測されている。
てっぺんの石を剥がすためにはピラミッド表面の石も剥がさなければならないし、てっぺんの石だけ持ち去るってことはまずないだろう。どうせなら中身も持っていくはずだ。
第13王朝の頃のピラミッドはかなり小型なものになっていたはずだし、丁寧に入り口探すよりは手荒にぶっ壊したんじゃないかな…。で、後世には崩れちゃった。
というわけで作られた場所が今も不明なのだが、おそらくサッカラでは? と言われている。メンフィス郊外で歴代王の墓が集中しているのはサッカラかアブシールのあたりだから、そのへんどこかに遺構が埋もれているのかもしれない。
近年になって遺構が見つかっているピラミッドもいくつかあるし、そのうち出てくるかもしれないーと期待しておきたい。
その第13王朝の中でも例外的に資料が多く、遺物もそこそこ出ており、20年ちょっとの治世年を持つのがアイ(アヤ)王、なのだが…
改めて調べてみたら、ピラミッドが行方不明だった。
なんで?! と思うかもしれないが、どうも盗掘されたのは確実で、破壊された可能性もあるからなのだ。
ピラミッド頂上に据えられていた石、ピミディオンだけは見つかっているのだが、見つかった場所が、かつてのヒクソス王朝の首都・アヴァリスの近郊だからである。
第13王朝の後半には、ナイルデルタのあたりはアジア人に占領され、異民族王朝の第14王朝が成立する。他にも複数の勢力が勝手に王を名乗り、国土が分裂する時代なのだ。
アイ王はおそらく、当時のネクロポリス(死者の街)だったメンフィス郊外にピラミッドを築いている。ということは、当時はそこまでは王権が及んでいた。しかし、それ以降の時代のどこかで支配権を失い、王朝の首都はテーベまで撤退する。
その後、ヒクソス王朝(第15王朝)が台頭すると、ネクロポリスが荒らされ、歴代王の記念碑も破壊されてしまう。
アイ王のピラミディオンは、おそらく戦利品としてアヴァリスへ運ばれたのだと推測されている。
てっぺんの石を剥がすためにはピラミッド表面の石も剥がさなければならないし、てっぺんの石だけ持ち去るってことはまずないだろう。どうせなら中身も持っていくはずだ。
第13王朝の頃のピラミッドはかなり小型なものになっていたはずだし、丁寧に入り口探すよりは手荒にぶっ壊したんじゃないかな…。で、後世には崩れちゃった。
というわけで作られた場所が今も不明なのだが、おそらくサッカラでは? と言われている。メンフィス郊外で歴代王の墓が集中しているのはサッカラかアブシールのあたりだから、そのへんどこかに遺構が埋もれているのかもしれない。
近年になって遺構が見つかっているピラミッドもいくつかあるし、そのうち出てくるかもしれないーと期待しておきたい。