ペルー北部・カハマルカ地方の遺跡で見つかった巨石建造物、紀元前2600年以前のものと判明する

「エジプトのピラミッドより古い!」といういつもの売り文句で記事が引っかかってきたんじゃよ…うんまあいいんだけど(笑)
ペルー北部、カラクプーマ CALLACPUMAという渓谷で最近発見された巨石建造物の放射性炭素年代測定結果から、紀元前2632年から紀元前2884年という数値が出たらしい。中間の年代をとって「今から4750年くらい前」という言い方になってるわけだが、まあクフ王のピラミッド基準でいうと確かにこっちの方が古いかもしれない。

A monumental stone plaza at 4750 B.P. in the Cajamarca Valley of Peru
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adl0572

風景はこんな感じ。渓谷というか山の上っぽい場所である。
地面が岩だらけだが、もともと岩山だったところで岩を削って平らにならし、広場を作って、そこに50mほど先から切り出した石のブロックを二重円として並べて遺跡を作っていたそうだ。

遠くから岩を運ぶ手間はないが、一人で作れないことはほぼ確実。しかも時代的に、まだ階級社会もなければ土器すら作っていなかったらしい。そんな時代に何でこんな大掛かりなもの作ったの? というところが謎である。

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年表。上の方で四角く囲まれているのがこの遺跡、下のほうに比較としてギザのピラミッドが挙げられている。

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遺跡の場所はココ。

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時代敵には後期先土器時代になり、日本隊が発掘したことで有名な「交差した手の神殿」よりも少し古い。
コトシュの「交差した手の神殿」も先土器時代のもので、アンデス文明が「農耕が始まって余剰作物が出来てから神殿を作る」ではなく「最初の神殿ありき」の文明だったことを証明したものとされているのだが、こちらのカラクプーマでも、作ったのは、まだ狩猟採集がメインだった人々だろうと言われている。

旧大陸とは文明成立の前提が違うことは念頭に置いておきたい。


ただ、最近の研究でアンデスの民はかなり早くから植物(主にイモ)に頼る生活をしていたというものもあるので、もしかしたら、「実はこの時代にもう農耕は始めてたんだけど考古学者が気づいてないだけでした~」という可能性もある。イモは土器がなくても調理できるし、腐っちゃうから栽培の証拠が残りづらいし。

まだわからないことだらけのジャンルだが、研究が進んでいるのは何より。
インカとかマヤとかは文明としての最終形態ですからね。その前段となる長い長い時代が、少しずつ明らかになっていくのは楽しい。