古代エジプトには雨は降らない。資料あるんだから見ようぜ!

おそらく昔の少女漫画シリーズからの伝統だと思うのだが、古代エジプト/エジプトが舞台の作品なのに何故か雨を降らせようとする作品がわりと多くて、中の人は悲しくなってきた。他の人の描写をなんも考えずにそのまま転用すると、二次創作にしかならないんだ…。

「エジプトは沙漠の国」。これはきっとみんな分かっているはずだ。沙漠には雨は降らない。
雨季のあるカラハリ沙漠あたりと誤解してるのか。こっちはサハラだぞ。

こ れ だ ぞ

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ナイル川沿いにしか緑がないのは、川から水が供給できる範囲しか植物が育たないからなんだ。川沿いにだけ雨が降るなんて器用な天気はありえない。

カイロ以南の年間降水量は50ミリ以下。
多少雨の降る海沿いのアレキサンドリアですら200ミリ。まともに雨が降ることはほぼ無い。

この設定を絶対覆してはいけない理由は、雨が降らず乾燥していることがエジプト文明の基礎だから。
乾燥しているからこそミイラづくりという風習が生まれ、川沿いしか人が住めないから早い段階で領域国家とそれを守護する王権が成立し、多人数で維持する灌漑農法に頼るしかないから人が集住して地方都市が作られた。そして、雨が降らないからこそ日干レンガの家に住める。

ステップ地帯みたいに季節で雨が降る地域なら、そもそも古代エジプト文明は成立していない。
エジプトに雨を降らせるのは、日本から地域の特色を消し去って、沖縄に雪を降らせるようなもんである。地域の特色が無くなってしまう。

古代は気候が違っていたから雨が降ったかも、とかいうことを想定する必要はない。サハラが緑だった時代は古代エジプト文明成立以前である。
もちろん気候は年によって多少変動するもので、先王朝時代(紀元前3,000年以前)にはまだ比較的、雨は降っていたとされる。
また、中王国時代の終わり頃にも、湿潤な時代はあったとされる。ただそれは、短期間のことだし、日本でいうと「平安時代は今より暖かかったので寝殿造りのスカスカの家でもいけた」とかいうのと同じレベルの話になる。
全く異なる気候になっていたわけではないし、毎年決まった季節に雨が降っていたわけでもないので、安心して乾燥地帯として描いて欲しい。


で、「雨が降らない」「水源をナイルに頼っている」ということを理解すると見えてくるのが、「ナイル讃歌」などナイルを称える儀礼の重要性。ナイルの水が無くなるとみんな生きていけないのである。

そしてナイルの水を畑に引き込んで農耕を行っていたことがわかっていれば、畑には必ず水路を描く。
19世紀までエジプトの農業はナイル頼りの「ベイスン灌漑」という古来からの方法を使っていた。ナイルの増水が重要なのは、この水路を通じて畑に流れ込む水の量が変わってしまうからである。
表面だけなぞってカッコいい呪文や神秘的な概念だけ見てると読み飛ばすかもしれないが、ちゃんと本読んで意味を理解していればわかる。

乾燥地帯だからこそ、川から水を引き込む水路はめちゃくちゃ重要。田んぼの用水路なみに農家の生命線。ナイルの増水が終わったあとも、水路で畑の近くまで水を引きこめるかどうかで生きやすさはだいぶ変わってくる。あと川から離れた場所にある郊外の村が持続できるかどうかも、川から引きこめる水の量が関わってくる。

というわけで、「雨降らない」というたった一つのことが頭にあるかどうかで、ナイルの重要性や農村の風景など、見える世界が全然違ってくるのですよ…。
基礎は大事。なんのジャンルでも、学校の勉強でも趣味でも、土台を作ってから細かい知識を載せるの大事。ナイルを讃えよ。