ミノア文明に輸入されたエジプト神タウェレトの転身「Minoan Genius」
ミノア文明に持ち込まれたエジプトの女神タウェレトが、とんでもない姿にされていた…という話をだいぶ前に書いた。
その時は気づいていなかったのだが、実はこの神、ミノア文明でかなり長い期間、盛んに信仰され、独自の形態/信仰を獲得していたらしいことが判明した。
ミノア文明に伝播したトゥエリス(タウェレト)女神、とんでもない姿にされる。
https://55096962.seesaa.net/article/201609article_6.html
というか、エーゲ考古学会では「Minoan Genius」という別名で呼ばれていた。何それ早く言ってよ!w これで探したらわんさか資料出てくるんだけど。
隣のジャンルで固有名詞の言語/用語が違ってて資料見つからない、文化圏にまたがる対象物に良くある罠。
前提として、クレタ島を中心に栄えたミノア文明には文字資料がない。厳密に言えば未解読の独自の文字体系はあったようなのだが解読されていなければ資料として使えない。なので、実際にこの「Minoan Genius」が何と呼ばれ、どんな信仰を持っていたのかが分からない。
ただ、変遷を追っていくと、たしかに元はエジプトのカバ女神なのだなと分かる。
とりあえず以下の資料から変遷の画像を抜き出してみよう。
The “Minoan Genius“ and his iconographical prototype Taweret. On the character of Near Eastern religious motifs in Neopalatial Crete, in: J. Mynárová et al. (eds.), There and Back Again – the Crossroads II. Proc. of an Intern. Conf., Prague, Sept. 15-18, 2014 (Prague 2015) 197-219
https://www.academia.edu/23800227/The_Minoan_Genius_and_his_iconographical_prototype_Taweret_On_the_character_of_Near_Eastern_religious_motifs_in_Neopalatial_Crete_in_J_Myn%C3%A1rov%C3%A1_et_al_eds_There_and_Back_Again_the_Crossroads_II_Proc_of_an_Intern_Conf_Prague_Sept_15_18_2014_Prague_2015_197_219
まず縦軸は時間の経過である。ミノア文明の年表は以下。
たとえば「MMⅡ」はだいたい紀元前1875年~1750年頃となっているので、古代エジプトでいうと中王国時代である。
そう、クレタ島にエジプトの女神が渡ったのは第一中間期も終わり政権の安定した中王国時代の第12王朝頃で、この頃から双方の交易が盛んに行われていた証拠が多数出現する。
で、時間が経過するごとにだんだんと元のフォームが崩れていき、最後には昆虫みたいになっていくのである…。
輸入された序盤。
左上がエジプトで出土しているもの、タウェレトではないかもしれないがオスのカバの神。まあなんか原型はある。
このへんからメソポタミア文明のライオンの図像と合体しはじめる。二体セットになっているのはエジプト要素以外のものも混じったからと思われる。
このあたりまでくると、メソポタミア神話のアプカル(精霊)に近い図像の使われ方になっているなという感じ。
ただ、ここまでで500年以上が経過しており、しかも宮殿に描かれるほど人気だったことを考えると、もはやエジプトの神というよりローカル神としての地位を確立していたと思われる。
どういう意味合いの、何の神だったのか、そもそも信仰を集めるような「神」だったのかオリエンタルな「精霊」の一種だったのかも分からないのがもどかしい。
元々のタウェレトはメスのカバで、妊娠・出産や女性たちの安全の守護者だったのだが、何かかなり序盤でそういう意味合いは失っていそうにも見える。どちらかというと暴力を意味するオスのカバの意味が残ったのでは、という感じなのだが、参考にした論文によると「人を傷つけたり暴力を振るったりしているシーンはない」「見た目は悪魔のようだが明らかに調伏される存在ではなかった」とされているので、好意的な意味を持たされていたのだろうとは思う。
なお、クレタ島には他にもエジプトやメソポタミア方面から文化が流れ込んだ形跡は多く見られる。
逆にエジプトでも、新王国時代に描かれた牛飛びをするクレタ島のフレスコ画など、文化交流の証拠は見つかっている。人が移動し、文化が移動する時、神もまた移住する。それがとても面白い。
その時は気づいていなかったのだが、実はこの神、ミノア文明でかなり長い期間、盛んに信仰され、独自の形態/信仰を獲得していたらしいことが判明した。
ミノア文明に伝播したトゥエリス(タウェレト)女神、とんでもない姿にされる。
https://55096962.seesaa.net/article/201609article_6.html
というか、エーゲ考古学会では「Minoan Genius」という別名で呼ばれていた。何それ早く言ってよ!w これで探したらわんさか資料出てくるんだけど。
隣のジャンルで固有名詞の言語/用語が違ってて資料見つからない、文化圏にまたがる対象物に良くある罠。
前提として、クレタ島を中心に栄えたミノア文明には文字資料がない。厳密に言えば未解読の独自の文字体系はあったようなのだが解読されていなければ資料として使えない。なので、実際にこの「Minoan Genius」が何と呼ばれ、どんな信仰を持っていたのかが分からない。
ただ、変遷を追っていくと、たしかに元はエジプトのカバ女神なのだなと分かる。
とりあえず以下の資料から変遷の画像を抜き出してみよう。
The “Minoan Genius“ and his iconographical prototype Taweret. On the character of Near Eastern religious motifs in Neopalatial Crete, in: J. Mynárová et al. (eds.), There and Back Again – the Crossroads II. Proc. of an Intern. Conf., Prague, Sept. 15-18, 2014 (Prague 2015) 197-219
https://www.academia.edu/23800227/The_Minoan_Genius_and_his_iconographical_prototype_Taweret_On_the_character_of_Near_Eastern_religious_motifs_in_Neopalatial_Crete_in_J_Myn%C3%A1rov%C3%A1_et_al_eds_There_and_Back_Again_the_Crossroads_II_Proc_of_an_Intern_Conf_Prague_Sept_15_18_2014_Prague_2015_197_219
まず縦軸は時間の経過である。ミノア文明の年表は以下。
たとえば「MMⅡ」はだいたい紀元前1875年~1750年頃となっているので、古代エジプトでいうと中王国時代である。
そう、クレタ島にエジプトの女神が渡ったのは第一中間期も終わり政権の安定した中王国時代の第12王朝頃で、この頃から双方の交易が盛んに行われていた証拠が多数出現する。
で、時間が経過するごとにだんだんと元のフォームが崩れていき、最後には昆虫みたいになっていくのである…。
輸入された序盤。
左上がエジプトで出土しているもの、タウェレトではないかもしれないがオスのカバの神。まあなんか原型はある。
このへんからメソポタミア文明のライオンの図像と合体しはじめる。二体セットになっているのはエジプト要素以外のものも混じったからと思われる。
このあたりまでくると、メソポタミア神話のアプカル(精霊)に近い図像の使われ方になっているなという感じ。
ただ、ここまでで500年以上が経過しており、しかも宮殿に描かれるほど人気だったことを考えると、もはやエジプトの神というよりローカル神としての地位を確立していたと思われる。
どういう意味合いの、何の神だったのか、そもそも信仰を集めるような「神」だったのかオリエンタルな「精霊」の一種だったのかも分からないのがもどかしい。
元々のタウェレトはメスのカバで、妊娠・出産や女性たちの安全の守護者だったのだが、何かかなり序盤でそういう意味合いは失っていそうにも見える。どちらかというと暴力を意味するオスのカバの意味が残ったのでは、という感じなのだが、参考にした論文によると「人を傷つけたり暴力を振るったりしているシーンはない」「見た目は悪魔のようだが明らかに調伏される存在ではなかった」とされているので、好意的な意味を持たされていたのだろうとは思う。
なお、クレタ島には他にもエジプトやメソポタミア方面から文化が流れ込んだ形跡は多く見られる。
逆にエジプトでも、新王国時代に描かれた牛飛びをするクレタ島のフレスコ画など、文化交流の証拠は見つかっている。人が移動し、文化が移動する時、神もまた移住する。それがとても面白い。