古代エジプトの戦争のやり方 「火を放つ」はやらない? or やってたけど残ってないだけ?

今年も繁忙期終盤です。ぶっ倒れた奴がいるので中の人もクソ忙しくなってまいりました。
皆さぁ、体鍛えといてくれよな…。最後は全て体力だよ、体力でねじ伏せていくんだよ。

というわけで本題です。
町や村に火を放たれて焼け落ちた跡があれば、その時代に大規模な戦争が会った可能性が考えられる。具体的には土が焼けているので焼土層と呼ばれることもある層がでてくれば、それが指標となる。
アナトリアやシリア、パレスチナ方面だと、そういう遺跡は多数あるのだが、エジプトだと村落の焼かれた跡が出てきた話を聞いたことがなくて、国土分裂時代の戦争どうやってたんだ…?

と、いうのが気になっていたので、ちょっとメモしておきたい。


●街・村落を破壊するシチュエーションとは

わざわざ火をかけるのは、異民族が攻め込んできて、住人を連れ去って二度と住めないよう住居跡を破壊する、とかの意味合いが強いと思う。
焼土層が出て、それ以降しばらく人が住んだ跡がない、というのは良くあるパターンで、ヒッタイトの都市が焼かれたのは、異民族が攻め込んできた時だとされる。
エジプトの場合も、異民族が攻め込んできた時代はある。たとえば第ニ中間期のヒクソス支配の時代や、それ以降でペルシア、アッシリアなどがやって来た時代だ。
にも関わらず、彼らが街に火を掛けたといった記録が見つからない(例外はアヴァリス)ので、なんでエジプトでは村焼きがないんだろう? と思ったのが、最初の切っ掛けである。


●ナイル上流は焼く意味がない、下流はあるかもしれない

ナイル上流は、川に沿って街や村が点々としている。逆に言うと川沿い以外は人が住めないし行軍も出来ない沙漠である。川沿いの集落を焼いてしまうと、川に沿った行き来に支障が出るので手を出せないと思う。
逆に下流になら、目立つ大都市の一つや二つ焼いても、ナイルの支流をたどれば他の集落に行けるのでそんなに問題はない。異民族が侵入してくるのも大抵は下流のほうだった。
焼くなら下流な気がする。
でもやっぱり焼かれた跡はない。


●もし焼かれてても、ナイルの氾濫で焼土層が流れる?

で、気がついたのだが、ナイル下流だと毎年のナイルの氾濫でおもっきり土が入れ替わる&撹乱されるので、もしかして村焼きがあったとしても痕跡は残らないのではないだろうか…。なにしろ毎年8mとか水位が変動する。おまけに、古代エジプトの時代から何千年も畑耕し続けてて、ほとんどの遺跡が畑か、最近できた街の下にあるような土地である。綺麗に層が残るかっていうと、残らない気がする。


●内乱時の描写

たとえば有名どころの作品で、第一中間期の混乱を描いたとされる「イプエルの訓戒」。
「人々は殺されている」「畑に種を蒔く人がいない」「納税が行われず穀物庫が空」「墓が暴かれている」といった内容は出てくるものの、町や村が破壊された描写がない。治安が悪化して人殺しが横行しているにも関わらず、だ。

ただし、金持ちの家は徹底的に荒らされたらしい。
「召使が貴金属を身に着けている」「貴族の子どもたちが壁に叩きつけられている」といった描写、かつて高官だった者が財産を奪われて農夫に落とされている、といった内容からして、おそらく、庶民の村落は無事でも都会のお金持ちエリアは破壊されている。


●そもそも建材が燃えにくい

エジプトは乾燥した土地なので、火の付きやすさは折り紙付きだ。ただし家が日干しレンガかつ木材で出来た家具を殆ど使わないので、農村で屋根の部分に乗せている茅とかヤシの葉の部分しか燃えない。市街地の家だと屋根の部分もレンガに漆喰塗ってたりするので可燃物があまりない。火災が発生しても派手に延焼とかしづらいんだと思う。



というわけで、古代エジプトの戦争で派手に街を破壊する場合は、「お金持ちエリアを重点的に破壊する」が正解という結論に至った。町や村を焼く描写は必要ない、というかあんまり燃えない。火を付けてカタストロフ演出出来る背景は古代エジプトには無い。
なおお金持ちエリアに神殿が入ったかどうかは中の人の中でも結論が出ていない。神殿はなあ…。信心深い古代エジプト人が神罰を恐れなかったとも思えないし。かといって日本人だって昔は寺社仏閣の略奪をしてたことがあるしなあ…。

古代エジプト人、悪いことは記録したがらない性質で、内戦時期の記録をあまり残してくれていないので想像するしかない部分の範囲が広い。神話スタイルでもいいから、もうちょっと書いておいてほしかった。