イースター島住民は南米と物資の交換をしてたかもしれない、という研究

なんか面白そうな論文がでてたのでちょっとメモ代わりに。太平洋のど真ん中、イースター島(現地語でラパ・ヌイ)の住民は、A.D.1000年~1,300年頃には南米とやりとりしていたかもしれない。という話があった。

定期的な交易があったのか、数回やり取りした程度なのかは不明だが、一時的にせよ、南米産の作物が栽培されていた痕跡があるのだという。検出方法は黒曜石のナイフ(包丁)からのデンプン成分の検出。なので、そもそもこの分析方法が妥当なのか、結果が正しいのかという追加検証部分が重要になってくるかと思う。他の研究者でも同じ結果が出ればこれが定説になるかもしれない。

dentification of breadfruit (Artocarpus altilis) and South American crops introduced during early settlement of Rapa Nui (Easter Island), as revealed through starch analysis
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0298896

以前、中の人がイースター島をうろついた時の記録はコレ
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_36.html

今回の分析対象となった20 個の黒曜石の道具は、↓この島の北部のアフ・ナウ・ナウから出ている。
だが、個人的にここからっていうのはちょっと意外だった。

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わりと荒い感じのラパ・ヌイの石積の中で、いちばん綺麗でアンデス文明っぽさのある石積みは、村に近いアフ・ピナブだからだ。
ここの石積みはとてもインカっぽくて、南米から技術者呼んできたって言われて納得の作りなのだが…南米原産と思われるサツマイモやキャサバなどのデンプンが検出されたのは島の北部。これは、もし作物を導入してたんだとしたら島全体に広まってた、とかいう可能性はあるんだろうか?

なお、サツマイモについては、南米からさらにポリネシアまでたどり着いていたかもしれない。という研究を、以前取り上げた。
今回のイースター島での調査が妥当なら、ポリネシアのサツマイモはイースター島経由で導入されたという話になるかもしれない。…かンジンのイースター島ではイモ栽培がどっかで途切れちゃったのだが。(たぶん飢饉で種芋まで食い尽くした時代があったんだと思う)

サツマイモはどこから来たのか。その起源を巡る様々な研究
https://55096962.seesaa.net/article/201810article_5.html

あと、遺伝子研究からも、最近では南米住民とイースター島住民が早くから接触してたのでは、という説が有力になってきている。
なので、今回の研究結果事態は突拍子のない話ではない。むしろ問題は、交流が「いつ」「どのようにして」途切れたのか、のほうだ。

海を渡る人類 ~ポリネシア住民と南アメリカ先住民の出会いの証拠がまた一つ。
https://55096962.seesaa.net/article/202007article_7.html

イースター島はどこかの時点で大型の木材を喪失し、外洋に出る船を作れなくなってしまった。その頃にやり取りが途切れたのだと思うが、経緯・原因についてはまだ解明されていない部分も多い。海のハイウェイはいつ消えたんだろう。これもまた気候変動うんぬんの話に持っていかれそうな気はするけど…空白の期間、物語の続きを、誰か解明してほしい。