イランの遺跡のカタツムリ食をちょっと調べてみた

イラク・クルディスタンの発掘「肥沃な三日月地帯東部の新石器化. ─イラク・クルディスタン、スレマニ地域チャルモ遺跡の調査」の今年の報告で、貝塚ならぬカタツムリ塚が出てきているという話を聞いたので、どういう状況でカタツムリ食べてんの? というのをちょっと調べてみた。

まず前提として、カタツムリはフランス料理で有名なエスカルゴだけでなく、古来にはローマやクレタ島、チュニジア、イラン高原あたりまで広く食べられていたらしい。特にクレタ島のカタツムリ養殖は有名だったとか…。

また、検索した感じ、パレスチナでは冬の伝統料理として現在も食べられているようだ。
植物由来の食べものが乏しい季節に食べられていた、などの季節性が分かるとさらに面白くなりそう。日本でも、縄文自体の食生活は季節によって食べるものがけっこう偏っていた。日本の場合、冬は狩猟シーズンだが、イランの場合はどうだったのだろうか。

で、イラン高原で食べられているのは、エスカルゴの仲間でHelix salomonica という種類らしい。
画像を探すと、「あーこれ確かにエスカルゴやなあ…」という感じ。うん、まあ、いわゆるカタツムリよりは食えそう。

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で、食べ方なのだが、発掘された殻には焼けた痕があまりないので煮て食べてたのでは。と報告されていた。ただ、どんな調味料を使ったのかが分からない。味ついてないと辛いだろあれは(サイゼリヤで食した経験より)。もし茹でたのであれば、殻が損傷していなくても不思議はないのだが、土器がないと食べられない系食材の一つになる。だとすると、土器が出てくる前はどうやって食べていたのだろう。…土器が出てくるまでは食べてなかった? 農耕が開始されて以降に手を出した? 

あと、このカタツムリ、後期更新世(1万7千年前くらい)以降の検出が増加しているという話もある。気候変動によるものか、人口が増加していっぱい食べるようになったからなのかは分からないが、気候変動で農耕できるようになる→人口増える→新たな食材としてカタツムリに手を出す という流れだったのなら納得できる。が、その辺の経緯も明確に書かれている研究が見つからなかったので謎。

※いちおう、それらしい論文は見つけたが、ここでも「一般的に食べられていたのかどうか」は検討中のように読めた
https://elischolar.library.yale.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1065&context=peabody_museum_natural_history_postilla

なんとなく、ちゃんと調べると奥が深いトピックのような気がする。古代人のカタツムリ料理は一体どんなものだったのか。そしてエスカルゴ料理についてくるアレ(金属スプーン)なしで食べる方法はあったのか。興味はつきない。