ナイルの増水は水位が8m変わる。つまり住居は8m以上→古代エジプトの古い農村は横浜。

横浜から東京方面の海岸線を眺めていて、ふと、「0水位が.5m上がったらダメみたいなとこ、よく住むよな…水没するよな…」って思ってた。
古代エジプトではナイル川の増水があったが、毎年、最低水位と最大水位はカイロ付近で8m違っていたとされる。そう8m。ナイルの増水を測るナイロメーターがやたら深い穴みたいになってたり、やたら長い階段になってたりするのはそのせい。

ということは、当たり前だが、水没させたくない集落は最低でも水面より8m高いところに作らなければならないのである。

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Egypt.Aswan.ElephantineIsland.Nilometer.01.jpg

どうなるかってとうと、こうなる。
この集落はアシュートの8kmほど南にあるシュトブという街で、現在は小さな集落だが、かつては古代エジプトの上エジプト第11州の州都だったシャスホテプ(Shashotep)だった。古代4000年ずっと人が住んでる、超長命な集落だ。

https://www.britishmuseum.org/blog/connecting-local-communities-4000-years-heritage-egypt
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この写真はとてもわかり易い。丘の上が古来からの街本体。現在はダムによってナイルの増水が止められているから丘の下にも家を作れてるだけで、古代には、この丘の上のとこまで水が来ていたのだ。「ナイルが増水すると、集落は水に浮かぶ島のようになる」という表現の意味も、これでわかると思う。
そして、8m以上高いところに集落があるからには、集落に戻るには8m以上の坂道を登る必要があるのである。
つまり横浜の港町である。
横浜じゃなくてもいいけど、呉とか、港の近くにやたら坂間があって集落が高いとこにある、あの風景なんである。
川→畑→(坂道)→集落

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西アジアの雨の少ない地域では日干しレンガで家をつくる。そのレンガが長年積み重なって丘陵になる「テル」と呼ばれる遺跡は確かにある。
が、この盛り上がりっぷりは単に長年かけて土が重なった構造だけでなく、元々高台だったところに家のガレキが重なったものと見ていい。
元が耕作地と同じ高さだったのなら、そもそも長年ここに人が住み続けたはずも無いからだ。

ナイル川はけっこう流れが移動するので、古代にはもっとこの集落の近くを流れていたと思われるが、それでも、水位の低い季節は川まで遠く、高い季節は家の目の前まで川の一部という、かなり両極端な風景が見られたと思われる。川べりまでびっしり集落のある現代の風景で想像してしまうと、古代世界とは全く別の風景になってしまうと思う。実際はそんなに川に近いとこには住んでない。坂道の先の高台みたいなところに住んでたはず。じゃないと水没する。

で、この「水位が高い時期は集落以外ほとんど水没」という構造が、近代エジプトが上流にダムを作ってでもナイルをせき止めたかった理由でもある。毎年定期的に国土の居住可能な地域の大半が水没するうえに、水位が高ければ水没するかもしれない、などという天候任せの状況では近代的な発展は出来ないし、そもそも街を広げることすら出来ない。
古代においては豊かな穀倉地帯を実現出来た神の加護=ナイルの増水も、近代世界においては定期的に襲ってくる経済デバフになってしまっていた。それもまた、時代の移り変わりの必然と言える。

ナイルとともに生きるのは、なかなか大変なのであった。