アマルナの都はなぜ「その場所」なのか。→住みにくかったから、という身も蓋もない答えに

アクエンアテンが作った都・アマルナは、何もない処女地にイチから作られ、その後ほどなくして放棄されたため、遺跡の残りが良く、古代の都市の状況を教えてくれる標本のような場所である。
しかし、この都、そもそも「何もない処女地に」作られている部分が最初からおかしい。
古代エジプトの都は、基本的に、農村が巨大化して誕生するからだ。

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(出典元: 古代エジプト都市文明の誕生 古今書院)

エドフ、エスナ、メンフィス、テーベ、その他の大きな都のほとんどは、その前身となる農村や小さめの都市が存在していて、ナイルの流れの変化に沿って街が移動したり、境界線を拡大したりして大都市になっている。第19王朝に作られたペル・ラメセスの街など、あとの時代にはイチから作られる例外的な都市も出てくるが、第18王朝時点では、「何もないとこにイチから首都作る」というのは前代未聞のケースだった。

で、ここに、何でアマルナの都を作った場所は処女地だったのか、という問題がある。
村とか街とかが無かったから選ばれた土地なのだが、これは地図を見るとなんとなく理由が見えてくる。

土地がめっちゃ狭い。

まず、現在の衛星写真の緑色の部分の狭さに注目して欲しいのだ。緑色の部分=川の水の届く範囲=耕作可能な土地。
これがとても狭い。つまり過灌漑水路を作っても畑が作りづらい。それに対し、対岸は緑が奥の方まで広がっていて、広々としている。これなら普通、対岸に住むよね。実際、古代の農村が出来ていたのは、この地域だと西の対岸側だった。ナイルの流れの都合上、東岸が狭くて西岸が広い流域なのだ。

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さらに都市のマップも見てほしい。その狭い東岸に街を作っちゃったので、アマルナは三方向が崖に囲まれていて、そのスキマに街をぴたっとはめ込んで作っているんである。徐々に大きくなっていったとかではなく最初からこの状態なので、ある意味では「完璧な都市」だが、拡張の余地がなく、短命に終わることは作った時点で宿命付けられていたようなものだった。

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一般的に、古代エジプトの都市は都市に農村がくっついたような形をしていて、農業をしてない都市のエリート層や職人は農村から食料の供給を受けている。アマルナ周辺は緑地がとにかく狭くて、対岸の村も都市全体を養えるほど大きくなかったので、あちこちの農村から輸送が必要だったのではないかと思う。都市は王の一声で作れるにしても、農村はいきなり生えてこない。食料輸送のコストもけっこうかかってたんじゃないかなこれ。近隣の他の大きな都市は自分とこで食料囲い込むだろうから、下流のファイユームあたりから持ってくるとかじゃないと…。

というわけで、アマルナという土地が、都が出来るまで人いなかったのは、「畑があまり作れないから都市の前身となる農村が発達しなかった」、つまり住みにくい場所だったから、という、わりとしょっぱい理由にたどり着いた。まあね住みやすかったら古い時代から人が住んでさっさと街が出来ちゃうからね。

放棄されたあと、もう一回そこに街を作る王/農民がいなかったのも、別に呪われた土地だったとか住むのが禁じられていたからとかじゃなく、土地そのものの魅力が西岸ほどじゃなかったんだろうなあ…と思う。なにしろ、近代に街が発掘されるまで、遺跡がほぼそのまま残ってたくらいなので。