アマルナの墓地と死者の数、そして埋葬のやり方について
アマルナの遺跡は残りが良く、建物単位でどこに何があったかキッチリ分かっているので、この街を舞台に創作をする人は資料の読み込みだけで5年はかかると思っている。マジで資料ありすぎて死ぬから…。ていうか古代エジプトの都市で、一般人の住んでた建物含めた街並みまできっちり再現できるとこって、ほぼ無いんですよね。新王国時代の街の再現はアマルナを参考モデルにしてるとこも多い。
で、今回調べていたのは「墓の位置」である。
テーベの場合、墓は太陽の沈む方向である西岸に作るのが基本。王家の谷なども西岸にある。
しかしアマルナの場合、アテン神に捧げられた土地の領域内に墓を作るのが基本になっていて、街と同じ東岸に作られている。エリートは岸壁を掘り込んだ墓、それ以外の一般民衆は「北の墓地」と「南の墓地」と呼ばれる集団墓地に、縦穴を掘ってまとめて埋葬されていた。
Death and the City: The Cemeteries of Amarna in Their Urban Context
https://www.cambridge.org/core/journals/cambridge-archaeological-journal/article/death-and-the-city-the-cemeteries-of-amarna-in-their-urban-context/DBD79DE7272127369D22A805525D3D08
南の墓地 およそ 6000 人
北の墓地 およそ 4000 ~ 5000 人
砂漠部分 100 ~ 300 人
東岸の墓地の合計 10,000 ~ 13,000 人程度
これ以外に、テーベの都から出張してきてて死後にテーベに送り返された人もいたらしく、死後に遺体を故郷に送った人数も合わせけば、もう少し多くなるかと思う。ここが都として使われていた期間は15年程度で、最初の数年は作ってる最中であまり人がいなかっただろうことを考えると、1年で1,000人程度は埋葬されたことになるかと思う。平均して1日数人は死ぬということだ。人の多い大都会は、毎日、どこかでお葬式やってることになる。
ただし、これらの墓から見つかっている人骨は栄養状態が悪く、過酷な労働で死んでいる形跡も見られるため、他の都市に比べて死亡率が高かった可能性はある。詳細は以前調べた以下を参照。実はこのアマルナに付随する墓が見つかったのはそれほど昔ではないので、墓に埋葬されているのが強制労働で各地から徴収された若年労働者ではないかと言われ出したのは、近年の説になる。
アクエンアテンは恐怖の独裁者だった? アマルナの都に隠された恐ろしい秘密が明らかに
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_14.html
なお、崖に掘られた墓地の中にはアクエンアテンのものもあったのだが、そうした王族や貴族の墓のほとんどは、ここが都ではなくなると撤収して別の場所に改装されたと考えられている。都が無人になって警備も居なくなると盗掘し放題になってしまうからだ。もし仮に残ったままになった墓があったとしても、盗掘されて何一つ残らなかったはずだ。
いま発掘して出てくる遺体の大半は、ミイラ化処理もされず骨だけになった民衆で、たまーにミイラ化はされたけどそれほど目立つ墓には収められなかったアッパーミドルクラスの住民の発見の話も聞く。そんな感じ。
で、今回調べていたのは「墓の位置」である。
テーベの場合、墓は太陽の沈む方向である西岸に作るのが基本。王家の谷なども西岸にある。
しかしアマルナの場合、アテン神に捧げられた土地の領域内に墓を作るのが基本になっていて、街と同じ東岸に作られている。エリートは岸壁を掘り込んだ墓、それ以外の一般民衆は「北の墓地」と「南の墓地」と呼ばれる集団墓地に、縦穴を掘ってまとめて埋葬されていた。
Death and the City: The Cemeteries of Amarna in Their Urban Context
https://www.cambridge.org/core/journals/cambridge-archaeological-journal/article/death-and-the-city-the-cemeteries-of-amarna-in-their-urban-context/DBD79DE7272127369D22A805525D3D08
南の墓地 およそ 6000 人
北の墓地 およそ 4000 ~ 5000 人
砂漠部分 100 ~ 300 人
東岸の墓地の合計 10,000 ~ 13,000 人程度
これ以外に、テーベの都から出張してきてて死後にテーベに送り返された人もいたらしく、死後に遺体を故郷に送った人数も合わせけば、もう少し多くなるかと思う。ここが都として使われていた期間は15年程度で、最初の数年は作ってる最中であまり人がいなかっただろうことを考えると、1年で1,000人程度は埋葬されたことになるかと思う。平均して1日数人は死ぬということだ。人の多い大都会は、毎日、どこかでお葬式やってることになる。
ただし、これらの墓から見つかっている人骨は栄養状態が悪く、過酷な労働で死んでいる形跡も見られるため、他の都市に比べて死亡率が高かった可能性はある。詳細は以前調べた以下を参照。実はこのアマルナに付随する墓が見つかったのはそれほど昔ではないので、墓に埋葬されているのが強制労働で各地から徴収された若年労働者ではないかと言われ出したのは、近年の説になる。
アクエンアテンは恐怖の独裁者だった? アマルナの都に隠された恐ろしい秘密が明らかに
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_14.html
なお、崖に掘られた墓地の中にはアクエンアテンのものもあったのだが、そうした王族や貴族の墓のほとんどは、ここが都ではなくなると撤収して別の場所に改装されたと考えられている。都が無人になって警備も居なくなると盗掘し放題になってしまうからだ。もし仮に残ったままになった墓があったとしても、盗掘されて何一つ残らなかったはずだ。
いま発掘して出てくる遺体の大半は、ミイラ化処理もされず骨だけになった民衆で、たまーにミイラ化はされたけどそれほど目立つ墓には収められなかったアッパーミドルクラスの住民の発見の話も聞く。そんな感じ。