冥界の消失:アマルナ時代には「死者の書」は存在しない

この記事で言いたい結論は「アマルナ時代は死者の書を使って無ぇ」ということである。

そもそも「死者の書」は多神教の産物であり、冥界には様々な役割の神々が存在することになっている。が、アマルナ時代はアテン神という神の一神教を王が推進していた時代なので、死後の世界の概念が全然違うのだ。アテン以外の神が居ないことになっているので、冥界という概念の設定自体が変更されてしまうんだ。
なので、アマルナをテーマにした創作で死者の書は出してはいけないし、墓内部の壁画すらアマルナ美術のルール以外では描けない(※故人をオシリスとして描けない)という縛りがある。
これを忘れると時代背景と葬儀風景が全く噛み合わない、違和感全力のナンチャッテ世界が出来上がるんだよ…。という話をしておきたい。

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しばしば異端の王と表現される、独自宗教を打ち立てた古代エジプトの王、アクエンアテン。それまでの多神教を否定して、アテン神という手がいっぱいあるウニウニした太陽神の存在だけを認めたことから、一神教の祖先とされることもある。だが実際には「アテン=王」という概念なので、「俺が神! 俺が唯一神! すべての正しさは俺が決める!!」的な俺様一神教である。ワンマン政治ってレベルじゃねーぞ。

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で、この王様はアマルナ(古代名はアケト・アテン)に都を移したので、アクエンアテンとその後継者たちを含む短い期間は「アマルナ時代」とも呼ばれる。それまでの宗教や美術などの伝統をマイルールで書き換えようとした時代で、独自の宗教形態/美術様式が誕生した。前者の代表例は「アテン讃歌」という宗教文書、後者の最高傑作はベルリンにあるネフェルティティの胸像である。

「死者の書」は新王国時代から登場するが、アマルナ時代には作られていない。一般的に「死者の書」が王家の墓に登場するようになるのはアマルナ以降で、そもそも「死者の書」のスタイルが「アマルナ以前」「アマルナ以降」でわけられることが多い。よく知られている章立てされた「死者の書」のほとんどは、アマルナ以降の時代になる。

リストは↓以下参照
http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/index-list.htm

で、死者の書が使われなかった、そして冥界の神々が居ないことになっていたアマルナ時代の冥界はどうなっていたかというと…
そもそも冥界が無いことにされていた

のである。

オシリス神も審判の神々も存在しないので、当然、死後の裁判も復活もない。太陽神ラーがいないので冥界をくぐり抜ける太陽の船も存在しない。つまり冥界の消滅

マアト女神も存在しないので、王がマアトを神に捧げるシーンは、同じポーズのまま自分の名前を神に捧げるというシーンに入れ替えられる。
面白言っちゃ面白いのだが、徹底してアテン以外の神を描かない/登場させないのがアマルナ美術である。人物名に登場する神名、たとえば、トキの姿をとるトト神の神名の入っている、「トト神が生み出したもの」という意味のトトメスという名前があったら、「トト」の部分ははトキの絵を使わず単純に音価のみの記号で名前を書かなくてはならない。

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死者は法廷で裁きを受けないかわり、裁きを与えるのはマアトそのものである王その人である。
冥界に行けない死者は、肉体を失ったあともアテンの輝きとともに永遠に地上に縛られて生き続けることになる。これがアテン一神教の「死後の在り方」だ。
かなりストイックな考え方だし、ぶっちゃけこれに従わない人も多かったはずだ。アマルナ式のお墓を作っている高官は、それほど多くない。死後にアマルナではなく故郷に遺体を戻して葬儀やってる人が多かったのではと言われるのも、馴染のある伝統宗教に則って、ちゃんと冥界に行きたかったからなんじゃないかと思っている。

なので、アマルナ時代の宗教をテーマにしたいのなら、まず他の時代の資料は使えないと思ってほしい。しかも遺跡の残りが良すぎて応急の建物ひとつひとつまで場所と用途が分かっているので、自由度は低い。
ぶっちゃけ、この時代で創作したがる人が多いのは私にはよく分からん。資料ありすぎて基本押さえるだけでも時間かかるし、思想関連が特殊で逆にやりづらいよ…。


アマルナ時代の高官の墓の説明とかは以下が詳しい。
他にも、高官の名前さえ分かっていれば墓はすぐ探せると思うので資料はいくらでも出てくる。まずは資料見よう。他の人の創作物じゃなくて。
https://www.osirisnet.net/tombes/amarna/tombes_amarna/e_tombes_amarna_01.htm