古代エジプトのハーレム遺跡「グローブ」 エジプトの後宮はオープンで明るい。

なんか後宮モノがちょっと人気っぽいので、ならば古代エジプトのハーレムの資料でも軽く出しておくかね。
というわけで、ファイユームにあるグローブ(Gurob)の遺跡について。別名はメディネト=エル・グローブ、古代名はミ=ウェル。名前が紛らわしいが、エル=グラブという遺跡とは別。

発掘の歴史は古く、1888年から1920年にかけて行われている。ここからは有名なティイ王妃の頭部見つかっているのだが、それがベルリンの新博物館にあるのはドイツ隊が発掘していた時にでてきたから。初期にはフリンダース・ピートリなど英国隊も発掘していたので、他のかなりの遺物がイギリスにある。

もともと古代の小さな村があったところに後から宮殿が建設されたと考えられており、周辺の墓地の拡大状況からして、ここに後宮を作ったのはトトメス3世の頃とされる。特に重要だったとされるのはアメンヘテプ3世の時代で、ティイ王妃はその王妃だった。以降、ラメセス2世の妻の一人もここにいたことが確実視されており、おそらく第19王朝までは使われていたが、第20王朝には王権の衰退とともに放棄されていった。

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再現画像などは以下にもある。
https://www.ucl.ac.uk/museums-static/digitalegypt/gurob/index.html

で、この後宮だが、主に外国人妻を住まわせるためだったのではと考えられている。
新王国時代、エジプトは属国から多数の外国人妻を受け入れていた。属国から貢ぎ物で送られてきていたからだ。有名どころだとラメセス2世が受け入れたヒッタイトの王女など。その外国人妻と、一緒にくっついてきていた大量の異国人をまとめて隔離するために作られたのがこの後宮だったのではないかとされる。

ただし、同じような後宮は別の場所にもあった。豪華な副葬品で知られるトトメス3世の三人の下位の王妃たちは、テーベに近いクルナ村の近くで墓が見つかっている。おそらく国内数カ所にこうした後宮が置かれていて、あまり好ましくなかった王妃は遠くに飛ばされたりしていたのではないだろうか。(気に入ってたら近くに置くだろうしね…)

後宮は壁で囲まれているが、そもそも王の住まいに隣接していないし、オープンで明るいイメージである。宦官のような見張りの役職はいなかったが、先に書いたように、外国人妻をお付きと一緒に住まわせておく離宮としての役割が大きかったのならまあそうだろうなという感じ。逆に言うと、いったん遠方の後宮に送られてしまうと、あとはもう王に二度と会えずに一生籠の鳥になる可能性もあったのではと思う。異国に嫁いでそれだと、かなり過酷…。

古代エジプト世界は女性たち自らが記録を残していないため、後宮の暮らしがどんなだったかは全く分からないのだが、トルコのトプカプ宮殿のような監視の厳しい王宮内で権力闘争に明け暮れる後宮と、郊外の明るくオープンな後宮だが何も成せず可能性もない場所、どちらがマシだったのか、色々と考えてしまう遺跡なのであった。