今さらのように「B.C.1177」を読んでみた。内容は無難だがタイトルで無理したなという感じ
少し前(?)に話題になった、B.C.1177を見つけたので、おっそういや読んでなかったなぁーという感じで手にとってみた。
実は訳本が出る前に論文のほうでこれに関わる議論は見てたので、今更感は無くもない。

B.C.1177 (単行本) - エリック・H・クライン, 安原 和見
なお、中の人は、「紀元前1,200年のカタストロフ」という概念そのものに疑問を持っている。少なくともエジプトは関係ないだろという立場である。(この本の著者も「あんまり関係ない」という立場のようだったが)
近い時代に離れた場所で起きている出来事を、全部ひっくるめて単純化しようとするからおかしなことになるんである…。
そして、この本の結論も、「単純明快に説明できる答えは無いよ」「ぜんぶ海の民のせいにされてたのは昔の話だよ」で終わっているので、結論としては無難。この本で謎が解けるとか、何かスッキリするわけではない。なので、むしろ何でこの本が一般人向けに売れたのかが分からない。まあ話題になるととりあえず買って内容は読まずに積むか、本棚に並べて知ったふうになる人も多いので、そういうやつなのかもしれないが…。
少なくとも、物事を単純化しようとはしていないし、主要な研究はたどっているし、客観的事実と推測をキッチリわけてくれていて分かりやすいのは好感が持てた。
ただ一つの問題点は、エジプトへの「海の民」本格襲来の年を紀元前1,177年とピンポイントで特定していることである。
これが何でダメかというと、本当は特定出来ないからなのだ。古代エジプトの年代記録は「xx王の治世xx年」なのだが、それが西暦に直していつなのか、諸説ありすぎて「だいたいこのくらいじゃない?」までしか分からないのだ。
信憑性のある年代が出せるようになるのは、ペルシアによる支配が起きて両者の年代の突き合わせができる末期王朝時代から。
なので、紀元前1177年の海の民襲来というのは、だいたいの時期はあってるけど、ピンポイントでそこっていうのは、うん、なんか本のタイトルにするのにインパクト持たせようとして無理やり断定にした大人の事情だなあ…。という感じである。
この本に出てくる「海の民は一つの民族名じゃないよ」とか「ラメセス3世のミイラから最近、暗殺の痕跡が見つかったよ」とか「サントリーニ島の噴火は海の民と関係ないのが最近分かったよ」とかの話は、以前このブログでも記事にしている。以下のページにリンクまとめているので追加資料見たい人はどうぞ。
ラメセス3世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao79.htm
あと自分は、紀元前1,200年ごろの古代地中海世界の崩壊は、「人の移動」が結構デカいと思っている。最初の原因が気候変動にしろ、地震にしろ、内乱にしろ、人が玉突きで移動するだけで衝突が起き、大損害が発生する。これは欧州難民危機でみんなが学んだことだと思う。治安の悪化、食料や住居の不足から来るストレス、文化や人種の軋轢。元からの住民と衝突するのはもちろん、移民の数が多くなりすぎれば国が乗っ取られたような状態になることも在り得る。
エジプトの「海の民」に関する記録では、一部の海の民はエジプトに定住したと書かれている。古代エジプトは他の国に比べると、人の移動に対するキャパが大きかった。ナイル側沿いに広い耕作地を持っていたことや、余剰作物を沢山抱えていたこと。そして、ナイルの水は赤道に近いアフリカ中央部から流れてくるものなので、アナトリアや東地中海世界など、中緯度地域を干ばつが襲っても、その気候変動の影響を受けない。なので人の移動による人口圧の影響が原因で起きた混乱があったとしても、他の地域よりは影響が少ない。
エジプトの衰退は、おそらく、異民族が増えすぎたことによる中央への求心力の低下と、鉄器時代への転身に不利だったことにあると思う。
第20王朝以降のエジプトは、まさに色んなルーツを持つ王たちが次々興ってゆく時代である。そして、時代は紀元前1,000年頃から、ゆっくりと鉄器時代へ遷移していく。ただエジプト、青銅器づくりには有利だった(銅鉱山を押さえており、錫も手に入った)が、鉄器づくりには不利(鉄鉱山が国内にない、燃料も不足している)だった。そして国民の大半が農民で、戦争は傭兵に頼っていたにも関わらず、この頃には金鉱が枯渇していたのだ。
そりゃ栄華を保つのも無理ってもんです…。
なのでエジプト帝国の衰退は、ヒッタイトやミュケナイとは理由が違うと思ってるんですよね。衰退のタイミングもずれてるしね。
で、本の内容的には無難だったのだが、個人的にイケてないなぁと思ったのが翻訳部分である。
なんか日本語が読みづらい…。まあ、それは細かいところなので置いとくとして、古代エジプト人名のカタカナ表記があまり適切でない部分はけっこう引っかかりを覚えた。
たとえば、ツタンカーメンの現代の通称「King Tut」は、タットではなくトゥトとしたほうがいい。ツタンカーメンの名前はトゥト・アンク・アメンという単語をつづけて読んで英語綴リにしたもので、英語圏の人が縮めて相性みたいに呼ぶ時は、最初の「トゥト」の部分だけ言ってるからである。
ウシマラー・セテプエンラーはウセルマアトラー。ベイはバイだし、ウェナムンは通常ウェンアメンである。あとアペレルの名前も何か別の変なカタカナになってた。これは編集者があんまりエジプト本の通例に慣れてなかったからなんだと思うが、英語綴りからカタカナに直した時に違和感がある部分はわりと何箇所もあった。自分の得意分野なのでエジプト部分ばっかり気にしていたが、このぶんだとヒッタイトとか他の部分も微妙なカタカナはあるんじゃないかな。
細かいところなんだけど、こういうとこで編集とか翻訳が丁寧か雑かが見えるので、出版社の人は、もうちょっと手をかけてほしいっす。
実は訳本が出る前に論文のほうでこれに関わる議論は見てたので、今更感は無くもない。

B.C.1177 (単行本) - エリック・H・クライン, 安原 和見
なお、中の人は、「紀元前1,200年のカタストロフ」という概念そのものに疑問を持っている。少なくともエジプトは関係ないだろという立場である。(この本の著者も「あんまり関係ない」という立場のようだったが)
近い時代に離れた場所で起きている出来事を、全部ひっくるめて単純化しようとするからおかしなことになるんである…。
そして、この本の結論も、「単純明快に説明できる答えは無いよ」「ぜんぶ海の民のせいにされてたのは昔の話だよ」で終わっているので、結論としては無難。この本で謎が解けるとか、何かスッキリするわけではない。なので、むしろ何でこの本が一般人向けに売れたのかが分からない。まあ話題になるととりあえず買って内容は読まずに積むか、本棚に並べて知ったふうになる人も多いので、そういうやつなのかもしれないが…。
少なくとも、物事を単純化しようとはしていないし、主要な研究はたどっているし、客観的事実と推測をキッチリわけてくれていて分かりやすいのは好感が持てた。
ただ一つの問題点は、エジプトへの「海の民」本格襲来の年を紀元前1,177年とピンポイントで特定していることである。
これが何でダメかというと、本当は特定出来ないからなのだ。古代エジプトの年代記録は「xx王の治世xx年」なのだが、それが西暦に直していつなのか、諸説ありすぎて「だいたいこのくらいじゃない?」までしか分からないのだ。
信憑性のある年代が出せるようになるのは、ペルシアによる支配が起きて両者の年代の突き合わせができる末期王朝時代から。
なので、紀元前1177年の海の民襲来というのは、だいたいの時期はあってるけど、ピンポイントでそこっていうのは、うん、なんか本のタイトルにするのにインパクト持たせようとして無理やり断定にした大人の事情だなあ…。という感じである。
この本に出てくる「海の民は一つの民族名じゃないよ」とか「ラメセス3世のミイラから最近、暗殺の痕跡が見つかったよ」とか「サントリーニ島の噴火は海の民と関係ないのが最近分かったよ」とかの話は、以前このブログでも記事にしている。以下のページにリンクまとめているので追加資料見たい人はどうぞ。
ラメセス3世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao79.htm
あと自分は、紀元前1,200年ごろの古代地中海世界の崩壊は、「人の移動」が結構デカいと思っている。最初の原因が気候変動にしろ、地震にしろ、内乱にしろ、人が玉突きで移動するだけで衝突が起き、大損害が発生する。これは欧州難民危機でみんなが学んだことだと思う。治安の悪化、食料や住居の不足から来るストレス、文化や人種の軋轢。元からの住民と衝突するのはもちろん、移民の数が多くなりすぎれば国が乗っ取られたような状態になることも在り得る。
エジプトの「海の民」に関する記録では、一部の海の民はエジプトに定住したと書かれている。古代エジプトは他の国に比べると、人の移動に対するキャパが大きかった。ナイル側沿いに広い耕作地を持っていたことや、余剰作物を沢山抱えていたこと。そして、ナイルの水は赤道に近いアフリカ中央部から流れてくるものなので、アナトリアや東地中海世界など、中緯度地域を干ばつが襲っても、その気候変動の影響を受けない。なので人の移動による人口圧の影響が原因で起きた混乱があったとしても、他の地域よりは影響が少ない。
エジプトの衰退は、おそらく、異民族が増えすぎたことによる中央への求心力の低下と、鉄器時代への転身に不利だったことにあると思う。
第20王朝以降のエジプトは、まさに色んなルーツを持つ王たちが次々興ってゆく時代である。そして、時代は紀元前1,000年頃から、ゆっくりと鉄器時代へ遷移していく。ただエジプト、青銅器づくりには有利だった(銅鉱山を押さえており、錫も手に入った)が、鉄器づくりには不利(鉄鉱山が国内にない、燃料も不足している)だった。そして国民の大半が農民で、戦争は傭兵に頼っていたにも関わらず、この頃には金鉱が枯渇していたのだ。
そりゃ栄華を保つのも無理ってもんです…。
なのでエジプト帝国の衰退は、ヒッタイトやミュケナイとは理由が違うと思ってるんですよね。衰退のタイミングもずれてるしね。
で、本の内容的には無難だったのだが、個人的にイケてないなぁと思ったのが翻訳部分である。
なんか日本語が読みづらい…。まあ、それは細かいところなので置いとくとして、古代エジプト人名のカタカナ表記があまり適切でない部分はけっこう引っかかりを覚えた。
たとえば、ツタンカーメンの現代の通称「King Tut」は、タットではなくトゥトとしたほうがいい。ツタンカーメンの名前はトゥト・アンク・アメンという単語をつづけて読んで英語綴リにしたもので、英語圏の人が縮めて相性みたいに呼ぶ時は、最初の「トゥト」の部分だけ言ってるからである。
ウシマラー・セテプエンラーはウセルマアトラー。ベイはバイだし、ウェナムンは通常ウェンアメンである。あとアペレルの名前も何か別の変なカタカナになってた。これは編集者があんまりエジプト本の通例に慣れてなかったからなんだと思うが、英語綴りからカタカナに直した時に違和感がある部分はわりと何箇所もあった。自分の得意分野なのでエジプト部分ばっかり気にしていたが、このぶんだとヒッタイトとか他の部分も微妙なカタカナはあるんじゃないかな。
細かいところなんだけど、こういうとこで編集とか翻訳が丁寧か雑かが見えるので、出版社の人は、もうちょっと手をかけてほしいっす。