知ってる人にはおさらい程度だが、主要なところは学習できる「人工知能の哲学入門」
お仕事関連で読んだ本の読書感想文はだいたい社用SNSに上げるんだけど、連休中はどうせ誰も見てないので趣味のほうに書いておく。
人工知能、いわゆるAIの最近の動向と、知能とは何か? AIを利用することによる倫理的な問題とは? みたいな話のエッセンス部分を集めた本が出ていた。
人工知能開発の歴史や最近の技術的なトレンドなどの部分は、G検定とかの最近の資格の教科書にも出てくる内容なので、知ってる人は知ってるよねっていう基礎知識。ただ、個人的に、最後に出てきた認知心理学とのリンク部分が面白かった。
人工知能の哲学入門 - 鈴木貴之
ディープラーニングの登場により、AIは飛躍的に進歩を遂げ、現在は第三次人工知能ブームと言われるものに突入している。
だが、ロジックの仕組み上、「何を基準に」「どういう処理がされて」その答えを出してきたのか、という部分が見えにくくなっている。透明性が無いわけだ。また、学習データを作る際に無意識にバイアスや偏見などが混入する可能性があり、人間側のそうした「偏り」がAIの判断に影響を与えることも懸念されている。
それに対し、「そもそも、人間の判断もそんなもんだよね」と言っているのが、この本の最後に出てくる話。
人間は、行動する際に無意識下において何がしかの判断をしている。その判断理由を答えるように言われると、明らかに後付の理由や、適切と思えない答えを、自信たっぷりに答えてくることがある。
つまり自分でも、答えを導き出したロジックを明確にすることが出来ない。
この点では、今の人工知能は人間と同じなのだ。
なるほどなぁと思ったし、ある意味、今のAIの方向性は「人間のような人工知能を作りたい」という方向性には合ってるのでは? と思った。
もっとも、人間の知性は不完全なものだと自分は思ってるので、この方向性は好ましくない。もっと言えば、人工知能は、人間のように多機能搭載の器用貧乏である必要はなく、ある方向性に特化して人間を越えてゆくものであるべきだし思っている。
人間にできることは、人間でいいのだから。AIがやらなきゃならんのは、1秒間に数百台が駆け抜けていく高速道路で、条件に合う車両を瞬時に見分けるような、人間には絶対不可能な部分なんですよ。
それと、「完璧なマニュアルを丸暗記することは、意味を理解していることと、どう違うのか」という哲学的な問題。
これは「中国語の部屋」と呼ばれる仮想実験の話でよく出てくる話題だ。(この実験自体は有名なので興味のある人は適当にググってほしい)
部屋の中にいる、中国語が全く分からない人が、マニュアルに従って中国語の返答を作成する。言語を理解しているわけではなく、マニュアルに従っているだけなので、これは知能とは言えない、という議論がある。
だが実際には、人間の言語理解も似たようなものではないのだろうか。
というか、最近のSNSを見ていると、言語を表面上の字義通りにしか捕らえられず、意味を理解しているとは思えない、人工知能なんだが生身の人間だか分からんボーダーラインな人がいっぱいいる(笑)ので、ぶっちゃけ、マニュアルを適切に扱って正しい答えを返せるのなら、その時点で「理解」という意味では及第点なのではないかと思う。
最近の世の中は、SNSの発展により、かつては発言力を持てなかっただろう種類の人でも簡単に言説を発信できる。その結果、人工知能と生身の人間との「知性」のボーダーラインが曖昧になってきている気がする。ある特定の話題に片っ端から反応し、紋切り型のリプライを1日中返し続けてる人とか、裏にいるのが生身の人間だって言われても、実際の行動は、廉価なAIとなんも変わらんと思う。要するに、その行動を持って人間の証明とすることが出来ない。
読んでみた結果、自分にとって必要なのは、「人工知能がどうあるべきか」とか「どう発展するべきか」の話というよりは、「生身の知能が人工知能と差別化をはかるには」とか「ヒトならではの知性とは」みたいな話なんだなと思った。ヒトがヒトであるために…みたいな。
まあ、いずれといわず、今の時点で人間は、特定ジャンルではAIより能力が劣る存在になってるので。(逆に言えば、AIは特定ジャンルに特化すれば人間を軽々と越えている)
単純な情報処理能力ではコンピューターには敵わない。だとすれば、人の知性は、何のジャンルに活かされるべきなのだろうか。
人工知能、いわゆるAIの最近の動向と、知能とは何か? AIを利用することによる倫理的な問題とは? みたいな話のエッセンス部分を集めた本が出ていた。
人工知能開発の歴史や最近の技術的なトレンドなどの部分は、G検定とかの最近の資格の教科書にも出てくる内容なので、知ってる人は知ってるよねっていう基礎知識。ただ、個人的に、最後に出てきた認知心理学とのリンク部分が面白かった。
人工知能の哲学入門 - 鈴木貴之
ディープラーニングの登場により、AIは飛躍的に進歩を遂げ、現在は第三次人工知能ブームと言われるものに突入している。
だが、ロジックの仕組み上、「何を基準に」「どういう処理がされて」その答えを出してきたのか、という部分が見えにくくなっている。透明性が無いわけだ。また、学習データを作る際に無意識にバイアスや偏見などが混入する可能性があり、人間側のそうした「偏り」がAIの判断に影響を与えることも懸念されている。
それに対し、「そもそも、人間の判断もそんなもんだよね」と言っているのが、この本の最後に出てくる話。
人間は、行動する際に無意識下において何がしかの判断をしている。その判断理由を答えるように言われると、明らかに後付の理由や、適切と思えない答えを、自信たっぷりに答えてくることがある。
つまり自分でも、答えを導き出したロジックを明確にすることが出来ない。
この点では、今の人工知能は人間と同じなのだ。
なるほどなぁと思ったし、ある意味、今のAIの方向性は「人間のような人工知能を作りたい」という方向性には合ってるのでは? と思った。
もっとも、人間の知性は不完全なものだと自分は思ってるので、この方向性は好ましくない。もっと言えば、人工知能は、人間のように多機能搭載の器用貧乏である必要はなく、ある方向性に特化して人間を越えてゆくものであるべきだし思っている。
人間にできることは、人間でいいのだから。AIがやらなきゃならんのは、1秒間に数百台が駆け抜けていく高速道路で、条件に合う車両を瞬時に見分けるような、人間には絶対不可能な部分なんですよ。
それと、「完璧なマニュアルを丸暗記することは、意味を理解していることと、どう違うのか」という哲学的な問題。
これは「中国語の部屋」と呼ばれる仮想実験の話でよく出てくる話題だ。(この実験自体は有名なので興味のある人は適当にググってほしい)
部屋の中にいる、中国語が全く分からない人が、マニュアルに従って中国語の返答を作成する。言語を理解しているわけではなく、マニュアルに従っているだけなので、これは知能とは言えない、という議論がある。
だが実際には、人間の言語理解も似たようなものではないのだろうか。
というか、最近のSNSを見ていると、言語を表面上の字義通りにしか捕らえられず、意味を理解しているとは思えない、人工知能なんだが生身の人間だか分からんボーダーラインな人がいっぱいいる(笑)ので、ぶっちゃけ、マニュアルを適切に扱って正しい答えを返せるのなら、その時点で「理解」という意味では及第点なのではないかと思う。
最近の世の中は、SNSの発展により、かつては発言力を持てなかっただろう種類の人でも簡単に言説を発信できる。その結果、人工知能と生身の人間との「知性」のボーダーラインが曖昧になってきている気がする。ある特定の話題に片っ端から反応し、紋切り型のリプライを1日中返し続けてる人とか、裏にいるのが生身の人間だって言われても、実際の行動は、廉価なAIとなんも変わらんと思う。要するに、その行動を持って人間の証明とすることが出来ない。
読んでみた結果、自分にとって必要なのは、「人工知能がどうあるべきか」とか「どう発展するべきか」の話というよりは、「生身の知能が人工知能と差別化をはかるには」とか「ヒトならではの知性とは」みたいな話なんだなと思った。ヒトがヒトであるために…みたいな。
まあ、いずれといわず、今の時点で人間は、特定ジャンルではAIより能力が劣る存在になってるので。(逆に言えば、AIは特定ジャンルに特化すれば人間を軽々と越えている)
単純な情報処理能力ではコンピューターには敵わない。だとすれば、人の知性は、何のジャンルに活かされるべきなのだろうか。