意味を理解出来ると現実の残酷さに泣く「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」

本の背拍子に書かれているのは「ユダヤ人の起源」までである。
書店の本棚でそこ見て、あーまた良くある旧約聖書からの伝説創作の話しかぁ…と思って本を引っ張り出したら、表紙にサブタイトルの「歴史はどのように創作されたのか」が見えて、あっそっちね。なら読むか。って感じになった。

ユダヤ人の起源 (ちくま学芸文庫 サ 38-1) - シュロモー・サンド, 高橋 武智, 佐々木 康之, 木村 高子
ユダヤ人の起源 (ちくま学芸文庫 サ 38-1) - シュロモー・サンド, 高橋 武智, 佐々木 康之, 木村 高子

知ってる人は知っているだろう、ユダヤ人万世一系説のウソについて、テルアビブで歴史を教えている教師が書いている本である。
つまり、イスラエルの外ではよく知られているが、イスラエル国内では出版されず、教えられてもいない差分についての説明でもある。

前提として、現在世界中にいるユダヤ人、一般的に「ディアスポラ(離散)」の民と言われている人々の旅の出発点は、イスラエルではない。
そう、イスラエルではないのだ。こんな話は序の口であり、ちょっと考えれば分かる。

出発点のユダ王国は、大規模な人口を抱える大国だったわけではない。近東の小国家の一つで、エジプト側の歴史から見ると属国だった時期もある。その王国の人間が全員バラバラに散らばったとして、他の民族に不可能なほど爆増するというのはどういうことか。いくら「産めよ増やせよ」をやってたにしろ、2000年も全く変わらぬアイデンティティを保持し、他の民族と交わらず、しかも人口が急増して現在に至るとか、ファンタジーにほどがある。

実際は、ユダヤ教が布教された結果、各地で新たに誕生したユダヤ教徒コミュニティなのである。
この本ではヒムヤル(南アラビア)、ベルベル人(北アフリカ)、ハザール(カスピ海~コーカサス地方)の例が挙げられている。歴史好きな人たちは、いずれにも触れたことがあると思う。

南アラビアへの布教は、キリスト教と平行して行われた。ムハンマドがイスラム教を創始するにあたり、既に現地に存在した一神教フォーマットに相乗りしたが、その中にはユダヤ教もあった。エチオピアは南アラビアにも勢力を伸ばしたが、そのエチオピアには、おそらくナイル川沿いに布教されたと思しきユダヤ教を信じる「ファラシャ」と呼ばれる集団もいた。

ユダヤ教を布教されたベルベル人は、のちにアラブ勢力がジブラルタルを渡った後、スペインへも渡る。

ハザール汗国は日本語でも本が何冊か出ていて、改宗の理由はテスラム教やキリスト教を信奉する周囲の大国からの独立を保つためだったという政治的な理由も書かれている。

だが、そんな話はイスラエルでは知られていないらしい。
後世に改宗した、異なる民族/人種のユダヤ人がいる事実は、不都合だからだ。
世界に存在するユダヤ人は、同じ故郷から「離散」した同胞の子孫でなければならなかった。そのために、彼らの本来の歴史を抹殺してしまったのである。

ユダヤ教は血統至上主義の宗教で、血の繋がりを重視するとされる。キリスト教が多民族にも布教して世界宗教になっていった反面、ユダヤ教は血族にこだわったので世界宗教になれなかった、という説明がされることもある。でもそれは歴史から見れば嘘である。めっちゃ布教している。というかエジプトのアレクサンドリアでも布教してる。キリスト教の勢いに負けたけど…。
割礼というハードルの高い儀式と、ユダヤ人の母親から生まれた子供でなければユダヤ人ではない、のような家族の縛りのせいで広まらなかったのでは? と思っている。あとローマが国教採用したのがキリスト教のほうだったのも大きかったよね。

まあ、このへんは世界史とか歴史に興味ある人なら「そらそうやろ」で済む話なのだが、イスラエルでは知られておらず、世界のすべてのユダヤ人は元は同一民族で、約束の地から離散していった人々の子孫なのだという神話が、今なお真面目に信じられている、という前提を知ると、イスラエルの掲げる理念と現実の食い違いの理由が分かって、腑に落ちる。

なぜイスラエルにずっと住み続けている非ユダヤ教徒は権利が制限され、イスラエルに一度も住んだことのないユダヤ教徒は潜在的なイスラエル人と見なされるのか。なぜ、歴史的には存在したことのないディアスポラが大々的に宣伝されるのか。

「ユダヤ人には共通したアイデンティティが存在したことは一度もないし、約束の地に戻ろうという意思が生まれたこともなかった。今のイスラエルに定着することになったのも、政治的な理由からである」という著者の鋭い指摘と、現在信じられているユダヤ人の起源に関する「神話」のほとんどが19世紀以降に作られた新しいものに過ぎないという事実。

国家の歴史をファンタジーにしてしまうのは、日本の近隣の国でもよく見かける政策だが、外部で常識なものが内部では非常識どころか語ることすらされないものになっているという現象は、意味が分かると怖くなる。

さらにグロいのは、「離散」が存在しなかったなら、なぜカナンの地は異教徒の地になってしまったのかという話である。
元からずっとそこに住み続けていたユダヤ教徒の多くは、後発のイスラム教に改宗してしまったからである。改宗は容易だったし、ユダヤ教徒で在り続けようとすると税金余計に払わなきゃならなかったので、そりゃそうなるよねという話。

後世の改宗ユダヤであり、先祖はカナンの地に住んだことがなかった人々が大挙して「帰還」し、異教徒である元の住民から土地を奪ったわけだが、その元の住民こそ、旧約聖書の時代にユダヤ教徒だった人々かもしれない。これは言ってる意味がわかると本当にグロい。そしてアラブ諸国側では、ユダヤ人に土地を奪われて発生した「離散」のことが記憶されてるのに、イスラエル側では学校でも教えていないのだという。


この本の原著が出版されたのは2008年。「いつか世界が変わる時、この本が必要とされるといい」と最初に書かれている。
しかし、世界は著者が期待したような、イスラエルが他者を受け入れる方向には動かなかった。むしろ反対に、より苛烈な迫害を加える方向に動いた。

この本は、イスラエルの誤解を”振り返る"ためではなく、”現在”強化されつつある誤解、そしてイスラエルが他の国という「他者」や、「国際社会」という舞台で浮いて見える理由を理解するための指標になっている。

世界は変わろうとしている。確かに、今こそ必要とされる本である。
ただし、必要とされる方向性は、まず間違いなく著者の望んだ方向とは違うだろう。こんな皮肉ぶちこんでくるとは現実さすがやで。
現実世界のシナリオ書いてるライターさんさぁ、やっぱ、悲劇とかバッドエンドとかの方向に能力振りすぎじゃないんですかねぇ…。