アクエンアテンがアケト・アテンの都に引きこもるまで。思想はいかに先鋭化されるのか
異端王として有名な古代エジプトのファラオ、アクエンアテンには年の離れた兄がいた。
この兄は猫だいすきなプタハ神官だったことは以前書いた。この兄が早世せずに王位を継いでたら、王朝の歴史は変わっていたかもしれない。
さて、兄の死後のアクエンアテンだが、皇太子になったあといきなりアテン信仰には目覚めていない。当初は従来の信仰。しばらくして「多神教の中でアテン神を優位におく」に変更され、さらにその後、アテン神しか認めないという方向に過激化していく。
アケトアテンという独自の引きこもり用の都を作るまでの期間は、「多神教の中でアテンを優位におく」という、いわば「推し神」としてアテンを上位に持ってくる方法を取っていた。
この時代に何やってたかというと、各地に推し神の神殿を作るという、他のファラオと同じ事業である。
で、作った/作ろうとした神殿の位置を探してみたのだが、これがまた多い。
・上エジプト
テーベ(アメン神の本拠地)
ネケン(ホルス神の本拠地)
・下エジプト
ブバスティス(バステト女神の本拠地)
ヘリオポリス(ラー神の本拠地)
メンフィス(プタハ神の本拠地)
・シナイ
テル・エル・ボルグ
・ヌビア
カワ
ケマ
あと他にも広い忘れはあるかもしれない。とにかく、一定数以上に人が住んでる土地に片っ端から建てていったな? という感じ。
だが、アケトアテンを建造し始めてからは労働者をそちらに集中させたようで、少なくともテーベ(カルナック神殿の中に建てようとしたらしい…)は中断されている。ヘリオポリスのものはおそらく完成していて、後世に転用された石材が道路の壁に使われているらしい。
この神殿の配置からすると、「国土をあまねく推し神に捧げたい」という思想と、この当時はアテン神を他の既存の神々と同じように考えていたんだな、というのが分かる。
そもそもアテン神は何もないところから出てきた神ではなく、太陽神の一種、かつ、ラー神の一形態とされ、神格化される以前は太陽円盤を指す単語でもあった。ヘリオポリスにアテン神殿を建てたのは、その流れからすると理にかなっている。
彼がアメン神官団を執拗に攻撃したのは、アテン神推しというよりラー信仰を推していたからで、ラー神の神話と権威を乗っ取って「アメン・ラー」という集合形態を作ったことを保護にしたかったからではないか、という説もあるくらいなのだ。
即位後に一神教のアテン信仰を熱狂的に推しはじめるまでのモラトリアム期間を追っていくと、この人、最初は別に他の神を否定する気はなかったんだなぁ、という感じである。アメン神官団とか周りの人に「それやばくない?」みたいに言われまくってるうちに「うるせーーー! アテンが一番なんだもん! ワイの信仰をばかにするな! もういい、都も神殿も独自につくる!1!」みたいに先鋭化していったんじゃないかという…。レスバに負けて言葉遣いが剣呑になっていく人みたいな…。
ていうかアテン神殿建てた年に、トト神(ヘルモポリス)、ウアジェト女神(ブート)、ネイト女神(サイス)、クヌム神(エレファンティネ/アスワン)、アヌビス神/オシリス神(アビドス)あたりが入っていないのは単に記録がないだけなのか、人口少なかったから後回しにされてたのか。
古来の聖地をアテン信仰で塗り替えにいくつもりなら、真っ先にオシリス神とか潰しに行かないとだめじゃね? って思うのと、そもそも「二女神名」とか「黄金のホルス名」を使ってるあたり、王冠の守護者である二女神や鷹神の存在は認めちゃってないか? とか、一神教やるにしては詰めの甘さと、歴史から来る慣習の書き換えが不十分なところが気になってしまう。
どうせ後継者はこの思想についてこれなかっただろうから、一代限りで終わるのは確定にしても、あと数十年長生きしていたら、もっと思想も煮詰まってたんだろうか。
(読もうと思ってまだ読めてない本…いつか暇な時にでもがんばって読む…)
Akhenaten and the Origins of Monotheism (English Edition) - Hoffmeier, James K.
この兄は猫だいすきなプタハ神官だったことは以前書いた。この兄が早世せずに王位を継いでたら、王朝の歴史は変わっていたかもしれない。
さて、兄の死後のアクエンアテンだが、皇太子になったあといきなりアテン信仰には目覚めていない。当初は従来の信仰。しばらくして「多神教の中でアテン神を優位におく」に変更され、さらにその後、アテン神しか認めないという方向に過激化していく。
アケトアテンという独自の引きこもり用の都を作るまでの期間は、「多神教の中でアテンを優位におく」という、いわば「推し神」としてアテンを上位に持ってくる方法を取っていた。
この時代に何やってたかというと、各地に推し神の神殿を作るという、他のファラオと同じ事業である。
で、作った/作ろうとした神殿の位置を探してみたのだが、これがまた多い。
・上エジプト
テーベ(アメン神の本拠地)
ネケン(ホルス神の本拠地)
・下エジプト
ブバスティス(バステト女神の本拠地)
ヘリオポリス(ラー神の本拠地)
メンフィス(プタハ神の本拠地)
・シナイ
テル・エル・ボルグ
・ヌビア
カワ
ケマ
あと他にも広い忘れはあるかもしれない。とにかく、一定数以上に人が住んでる土地に片っ端から建てていったな? という感じ。
だが、アケトアテンを建造し始めてからは労働者をそちらに集中させたようで、少なくともテーベ(カルナック神殿の中に建てようとしたらしい…)は中断されている。ヘリオポリスのものはおそらく完成していて、後世に転用された石材が道路の壁に使われているらしい。
この神殿の配置からすると、「国土をあまねく推し神に捧げたい」という思想と、この当時はアテン神を他の既存の神々と同じように考えていたんだな、というのが分かる。
そもそもアテン神は何もないところから出てきた神ではなく、太陽神の一種、かつ、ラー神の一形態とされ、神格化される以前は太陽円盤を指す単語でもあった。ヘリオポリスにアテン神殿を建てたのは、その流れからすると理にかなっている。
彼がアメン神官団を執拗に攻撃したのは、アテン神推しというよりラー信仰を推していたからで、ラー神の神話と権威を乗っ取って「アメン・ラー」という集合形態を作ったことを保護にしたかったからではないか、という説もあるくらいなのだ。
即位後に一神教のアテン信仰を熱狂的に推しはじめるまでのモラトリアム期間を追っていくと、この人、最初は別に他の神を否定する気はなかったんだなぁ、という感じである。アメン神官団とか周りの人に「それやばくない?」みたいに言われまくってるうちに「うるせーーー! アテンが一番なんだもん! ワイの信仰をばかにするな! もういい、都も神殿も独自につくる!1!」みたいに先鋭化していったんじゃないかという…。レスバに負けて言葉遣いが剣呑になっていく人みたいな…。
ていうかアテン神殿建てた年に、トト神(ヘルモポリス)、ウアジェト女神(ブート)、ネイト女神(サイス)、クヌム神(エレファンティネ/アスワン)、アヌビス神/オシリス神(アビドス)あたりが入っていないのは単に記録がないだけなのか、人口少なかったから後回しにされてたのか。
古来の聖地をアテン信仰で塗り替えにいくつもりなら、真っ先にオシリス神とか潰しに行かないとだめじゃね? って思うのと、そもそも「二女神名」とか「黄金のホルス名」を使ってるあたり、王冠の守護者である二女神や鷹神の存在は認めちゃってないか? とか、一神教やるにしては詰めの甘さと、歴史から来る慣習の書き換えが不十分なところが気になってしまう。
どうせ後継者はこの思想についてこれなかっただろうから、一代限りで終わるのは確定にしても、あと数十年長生きしていたら、もっと思想も煮詰まってたんだろうか。
(読もうと思ってまだ読めてない本…いつか暇な時にでもがんばって読む…)
Akhenaten and the Origins of Monotheism (English Edition) - Hoffmeier, James K.