ピラミッド労働者はニンニクを食べていた!エネルギーの源! →エジプトにニンニク入ったのはもっと後の時代
お仕事忙しいと現実逃避でエジプトがはかどる!いやあ楽しいなァ!(早く寝ろ)
なぜか「古代エジプトの労働者はニンニクを食べて活力を付けていた!」というような宣伝文句があちこちで見かけられますが、実際にはピラミッド作ってた時代にニンニクがエジプトで栽培されてた証拠が無い。
今日はそんな話をしたいと思います。
原産地は中央アジア~西アジアで、エジプトには自生してません。確実に入って来たといえるのは新王国時代、第18王朝から。(ピラミッド作ってたのは古王国時代なんで1000年違う)
そして、ピラミッド内部には労働者に提供した食事の内容なんか書きません。王様のお墓なんで。
外部にも書かれていません。労働者の組織記録とかは残ってますが、食事の内訳とか細かく書かれていないんで。
なぜ、こんな勘違いが生まれてしまったのか…?
(例)
べつにここの食品会社の人に恨みがあるわけではないが、検索したら出てきたので。。。
https://www.sbfoods.co.jp/honnama30/contents/36/
結論から先に言いますが、「ピラミッド労働者がニンニクを食べていた」とする論文の引用元は、辿っていくとほぼ全て「Garlic in Health, History, and World Cuisine( Susan Moyers/1996)」でした。
で、この本の根拠となっているのはヘロドトスの「歴史」でした。
はい、これでなんか分かりましたね。「労働者は大根やニンニクやタマネギを食べていた」の部分は、以前、以下でもツッコみました…同じ箇所が出典元だったんですね…。
「ピラミッド建造の労働者を支えたダイコン」→そんな事実はないです
https://55096962.seesaa.net/article/201701article_8.html
で、ヘロドトスはギリシャ人で古代エジプト語は読めません。
「通訳が私に教えてくれた」と言っていますが、他の箇所もガイドの伝聞で不正確な内容を書いているので、果たしてこの部分が正しかったのかどうかは不明です。何しろ実際には該当する記録が現存しないので。
そして、もし正しかったのだとしても、ピラミッドが建設された第四王朝当時のものではなく、スフィンクスが修復された新王国時代や、ピラミッドが再埋葬に使われたもっと後世の末期王朝時代の記録だった可能性もあります。それなら当時、ピラミッドの外側の周壁とかにメモ書きが残っていた可能性はゼロではない。
「ピラミッド内部に書かれている!」とか書いてあるサイトは、おそらくヘロドトスの文章そのまんま鵜呑みにして、実際の遺跡にはそんな文字書かれていないことを確認しなかったんでしょうね。
動かせない事実として、
・ギザのピラミッド内部に、労働者の食事内容は書かれていない
・現在のギザ台地周辺に、ピラミッド建造当時の食事内訳の書かれた記録はない
・墓や遺跡からニンニクが出てくるのは第18王朝以降で、それ以前に存在した証拠がない
無いもんは無いので、デッチ上げない限り具体的な証拠が出てこないわけです。
いちおう以下でも確認しましたが、ギリ第二中間期の終わりごろには入ってたかもなくらい。
なので、「エジプトにニンニクが入って来たと確実に言えるのは新王国時代から」が妥当ですね。
Ancient Egyptian Materials and Technology - Nicholson, Paul
参考に出した本の内容と同じものがWebにもある。古代エジプト人の食べてた食材が「いつからエジプトに入ってきたのか」を調べたい時は、ここでざっと見てみるといいです。
https://www.ucl.ac.uk/museums-static/digitalegypt/foodproduction/fruits.html
Probable Origin →原産地、遠いほど入るのは遅くなる傾向
First Finds →最初に証拠が見つかる時代
Frequency of finds →見つかる頻度
検出頻度がrareに分類されているので、庶民が毎日食べてたようなものなのか、王族も食べていたのかは分からんです。医療パピルスに書かれているようなので日常的に食べるものというよりは、医薬品の扱いだった可能性もある。
なので、古代エジプトの一般的な食材に入れるのはオススメしない。
ただ、野菜など腐りやすいものだと実際はあったけど残ってない…というケースもあるので、在ったか無かったかの判断は難しいところもあります。壁画だけ残ってるとか、種はあるけど実がないとか、出土場所が紅海の港で、これたまたま船にくっついてきただけじゃない? とか、モノによってはそういうのもあります。
まあ、こういうのよくあるんで、古代エジプトネタは一般イメージに頼らず面倒でも専門書とかエジプト辞書引いたほうが確実。
というわけで、「ピラミッド労働者の元気を支えた大根! タマネギ! ニンニク!」というようなフレーズが出てきた場合は、「ああ、ヘロドトスが書いた後世の伝承がソースね。」と思っていただければ。まあソースが無いわけじゃないけど、ヘロドトスなんで。ピラミッド作ってた時代から2000年後の人なんで。話半分っすね…。
*****
2024/9/6追記
現物はないが、副葬品の模型にニンニクっぽいものがあるため、先王朝時代には既に入っていたとする説もあるらしい(e.g. Aryton and Loat 1911)
資料名まではわかったが、古い論文過ぎて探し出せなかった。
ただ、もし先王朝時代に一般化されていたとしたら、その後1000年以上も発見事例が無いのがおかしいので、ニンニクに見える別のなにかな可能性が高そうだなと思っている。
なぜか「古代エジプトの労働者はニンニクを食べて活力を付けていた!」というような宣伝文句があちこちで見かけられますが、実際にはピラミッド作ってた時代にニンニクがエジプトで栽培されてた証拠が無い。
今日はそんな話をしたいと思います。
原産地は中央アジア~西アジアで、エジプトには自生してません。確実に入って来たといえるのは新王国時代、第18王朝から。(ピラミッド作ってたのは古王国時代なんで1000年違う)
そして、ピラミッド内部には労働者に提供した食事の内容なんか書きません。王様のお墓なんで。
外部にも書かれていません。労働者の組織記録とかは残ってますが、食事の内訳とか細かく書かれていないんで。
なぜ、こんな勘違いが生まれてしまったのか…?
(例)
べつにここの食品会社の人に恨みがあるわけではないが、検索したら出てきたので。。。
https://www.sbfoods.co.jp/honnama30/contents/36/
結論から先に言いますが、「ピラミッド労働者がニンニクを食べていた」とする論文の引用元は、辿っていくとほぼ全て「Garlic in Health, History, and World Cuisine( Susan Moyers/1996)」でした。
で、この本の根拠となっているのはヘロドトスの「歴史」でした。
はい、これでなんか分かりましたね。「労働者は大根やニンニクやタマネギを食べていた」の部分は、以前、以下でもツッコみました…同じ箇所が出典元だったんですね…。
「ピラミッド建造の労働者を支えたダイコン」→そんな事実はないです
https://55096962.seesaa.net/article/201701article_8.html
で、ヘロドトスはギリシャ人で古代エジプト語は読めません。
「通訳が私に教えてくれた」と言っていますが、他の箇所もガイドの伝聞で不正確な内容を書いているので、果たしてこの部分が正しかったのかどうかは不明です。何しろ実際には該当する記録が現存しないので。
そして、もし正しかったのだとしても、ピラミッドが建設された第四王朝当時のものではなく、スフィンクスが修復された新王国時代や、ピラミッドが再埋葬に使われたもっと後世の末期王朝時代の記録だった可能性もあります。それなら当時、ピラミッドの外側の周壁とかにメモ書きが残っていた可能性はゼロではない。
「ピラミッド内部に書かれている!」とか書いてあるサイトは、おそらくヘロドトスの文章そのまんま鵜呑みにして、実際の遺跡にはそんな文字書かれていないことを確認しなかったんでしょうね。
動かせない事実として、
・ギザのピラミッド内部に、労働者の食事内容は書かれていない
・現在のギザ台地周辺に、ピラミッド建造当時の食事内訳の書かれた記録はない
・墓や遺跡からニンニクが出てくるのは第18王朝以降で、それ以前に存在した証拠がない
無いもんは無いので、デッチ上げない限り具体的な証拠が出てこないわけです。
いちおう以下でも確認しましたが、ギリ第二中間期の終わりごろには入ってたかもなくらい。
なので、「エジプトにニンニクが入って来たと確実に言えるのは新王国時代から」が妥当ですね。
Ancient Egyptian Materials and Technology - Nicholson, Paul
参考に出した本の内容と同じものがWebにもある。古代エジプト人の食べてた食材が「いつからエジプトに入ってきたのか」を調べたい時は、ここでざっと見てみるといいです。
https://www.ucl.ac.uk/museums-static/digitalegypt/foodproduction/fruits.html
Probable Origin →原産地、遠いほど入るのは遅くなる傾向
First Finds →最初に証拠が見つかる時代
Frequency of finds →見つかる頻度
検出頻度がrareに分類されているので、庶民が毎日食べてたようなものなのか、王族も食べていたのかは分からんです。医療パピルスに書かれているようなので日常的に食べるものというよりは、医薬品の扱いだった可能性もある。
なので、古代エジプトの一般的な食材に入れるのはオススメしない。
ただ、野菜など腐りやすいものだと実際はあったけど残ってない…というケースもあるので、在ったか無かったかの判断は難しいところもあります。壁画だけ残ってるとか、種はあるけど実がないとか、出土場所が紅海の港で、これたまたま船にくっついてきただけじゃない? とか、モノによってはそういうのもあります。
まあ、こういうのよくあるんで、古代エジプトネタは一般イメージに頼らず面倒でも専門書とかエジプト辞書引いたほうが確実。
というわけで、「ピラミッド労働者の元気を支えた大根! タマネギ! ニンニク!」というようなフレーズが出てきた場合は、「ああ、ヘロドトスが書いた後世の伝承がソースね。」と思っていただければ。まあソースが無いわけじゃないけど、ヘロドトスなんで。ピラミッド作ってた時代から2000年後の人なんで。話半分っすね…。
*****
2024/9/6追記
現物はないが、副葬品の模型にニンニクっぽいものがあるため、先王朝時代には既に入っていたとする説もあるらしい(e.g. Aryton and Loat 1911)
資料名まではわかったが、古い論文過ぎて探し出せなかった。
ただ、もし先王朝時代に一般化されていたとしたら、その後1000年以上も発見事例が無いのがおかしいので、ニンニクに見える別のなにかな可能性が高そうだなと思っている。