ギザ台地のピラミッドの側で謎の遺構を発見!→遺構そのものより土地利用の経歴が重要では
クフ王の大ピラミッド近くの「空白地帯」地下に遺構を新発見したぜ! というニュースが流れていたが、この手の話は元論文を辿ったほうが情報量的に多いので元のやつ読みにいってきた。
クフ王の大ピラミッド近くの「空白地帯」地下に遺構を新発見。日本・エジプト共同チームが発表
https://artnewsjapan.com/article/2282
元論文
GPR and ERT Exploration in the Western Cemetery in Giza, Egypt
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/arp.1940
元論文の写真のほうが場所がわかりやすい。
前提知識となるが、ギザ台地のあのデカいピラミッドの周囲には大量のマスタバ墓、つまり当時のエリートの墓が並んでいて、ギザ全体が墓地なのである。
だからその中心にあるピラミッドも当然王墓だろうよ。という話はサテおいて、その墓地に謎の空白がある。そこを調べてみたら、地下にL字に遺構が残っているらしいことが分かった。取り壊されたマスタバの跡とかじゃないかなあ。というお話である。
上空からの写真を見るとそうでもないかもしれないが、ここ、マスタバの位置と番号をふられた資料で見ると「うわぁ…」ってなると思う。
本当にこんなにお墓あんの? あるんだよ。後世に継ぎ足しされたお墓もあるよ。人気の墓地なので。そんな人気の墓地に空白が…気になるよね。
ただ自分、ここの部分がどうして空白なのかはあまり気にしていない。地下に埋もれている遺構は普通に、周囲と同じマスタバ墓もしくは埋葬設備の一部だと思う。
それより、いつの時代に、誰が更地に戻したのかのほうが気になる。
マスタバ墓が作られていた時代や、王朝時代ではない可能性が高いと思う。その時代に更地に戻してたら次の墓が作られている。こんないい場所、置いとくわけないですもん。なので、もっとあとの時代だと予想。
ギザ台地は台地になってて見晴らしのいい場所なので、たとえば軍営するとかにはいいポジションではないだろうか。ピラミッドの西側で、ちょうど2つのピラミッドの間から街が見えるあたりのなんか良さげな場所っていうことを考えると、スルタンの別荘とかいうセンもありそうだし…。
オスマン帝国か王政時代に、ここ更地にして一時的に何か施設を置いてた跡ではないかと思っているので、掘るなら後世の痕跡を探すと面白いものが出てくるのでは。埋もれているものより土地利用の遍歴のほうが楽しそうな場所だよ。
なので、「見えた」遺構よりは「いま見えていない」モノのほうが重要だと思う。
特にエジプトは、利用できる土地が限られている都合上、一つの場所に紀元前3000年と19世紀の遺構が重なっている、とかいうこともザラにあるので、地下で何か見つけたら「これはどの時代の遺構なのか」を特定とないとどうにもならない。たとえピラミッドのすぐ側でもそう。ピラミッド中ですらそう。第4王朝のピラミッドの中から後世にぶち込まれた第22王朝の遺物が出てきたりする。
で、あと論文は地中レーダー(GPR)と電気比抵抗トモグラフィ(ERT)の話だけで考古学的な考察などはほぼナシ。遺構見つけました、だけなので、ちょっと言及しづらいというか何もわからん。
なのでこの時点ではマジで「何もわからん」しか言えないな…。
重要な発見! とか 謎の遺構! とか書いてる記事は、提灯持ちじゃなければ、この遺構の一体何のどこを見てそう言ってるのか教えて欲しいですね。私は素人なので論文を読んでも全然分かりませんでした。
クフ王の大ピラミッド近くの「空白地帯」地下に遺構を新発見。日本・エジプト共同チームが発表
https://artnewsjapan.com/article/2282
元論文
GPR and ERT Exploration in the Western Cemetery in Giza, Egypt
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/arp.1940
元論文の写真のほうが場所がわかりやすい。
前提知識となるが、ギザ台地のあのデカいピラミッドの周囲には大量のマスタバ墓、つまり当時のエリートの墓が並んでいて、ギザ全体が墓地なのである。
だからその中心にあるピラミッドも当然王墓だろうよ。という話はサテおいて、その墓地に謎の空白がある。そこを調べてみたら、地下にL字に遺構が残っているらしいことが分かった。取り壊されたマスタバの跡とかじゃないかなあ。というお話である。
上空からの写真を見るとそうでもないかもしれないが、ここ、マスタバの位置と番号をふられた資料で見ると「うわぁ…」ってなると思う。
本当にこんなにお墓あんの? あるんだよ。後世に継ぎ足しされたお墓もあるよ。人気の墓地なので。そんな人気の墓地に空白が…気になるよね。
ただ自分、ここの部分がどうして空白なのかはあまり気にしていない。地下に埋もれている遺構は普通に、周囲と同じマスタバ墓もしくは埋葬設備の一部だと思う。
それより、いつの時代に、誰が更地に戻したのかのほうが気になる。
マスタバ墓が作られていた時代や、王朝時代ではない可能性が高いと思う。その時代に更地に戻してたら次の墓が作られている。こんないい場所、置いとくわけないですもん。なので、もっとあとの時代だと予想。
ギザ台地は台地になってて見晴らしのいい場所なので、たとえば軍営するとかにはいいポジションではないだろうか。ピラミッドの西側で、ちょうど2つのピラミッドの間から街が見えるあたりのなんか良さげな場所っていうことを考えると、スルタンの別荘とかいうセンもありそうだし…。
オスマン帝国か王政時代に、ここ更地にして一時的に何か施設を置いてた跡ではないかと思っているので、掘るなら後世の痕跡を探すと面白いものが出てくるのでは。埋もれているものより土地利用の遍歴のほうが楽しそうな場所だよ。
なので、「見えた」遺構よりは「いま見えていない」モノのほうが重要だと思う。
特にエジプトは、利用できる土地が限られている都合上、一つの場所に紀元前3000年と19世紀の遺構が重なっている、とかいうこともザラにあるので、地下で何か見つけたら「これはどの時代の遺構なのか」を特定とないとどうにもならない。たとえピラミッドのすぐ側でもそう。ピラミッド中ですらそう。第4王朝のピラミッドの中から後世にぶち込まれた第22王朝の遺物が出てきたりする。
で、あと論文は地中レーダー(GPR)と電気比抵抗トモグラフィ(ERT)の話だけで考古学的な考察などはほぼナシ。遺構見つけました、だけなので、ちょっと言及しづらいというか何もわからん。
なのでこの時点ではマジで「何もわからん」しか言えないな…。
重要な発見! とか 謎の遺構! とか書いてる記事は、提灯持ちじゃなければ、この遺構の一体何のどこを見てそう言ってるのか教えて欲しいですね。私は素人なので論文を読んでも全然分かりませんでした。