古代エジプトの歴史「中間期」についてー基準・開始時期・終了条件
少し前にボロクソに突っ込んだ本で、「第一中間期の始まりを明らかにすることに意味がない」という、自分視点からすると「あなたもう、歴史の本書くの止めたほうがいいよ…」って言いたくなるくらいのフレーズがあってゲンナリしたので、「そもそも中間期って何だよ」という話を書いておきたいと思う。
自分自身もこの話題を語れるほど知識があるわけではないが、「自分としてはこう理解して、こう分類している」という内容である。
自分の中に基準がなければ何も語れないし、他人に説明出来なければ理解したことにはならない。たとえそれが他の人から見て妥当ではないと思われることであっても、「私はこう思う」がお互いに言い合えれば、その時点で議論が成立する。それが学問というやつである。
まず、おさらい。
現在使われている王朝区分は、プトレマイオス朝の時代に生きたエジプト人神官のマネトーが記録したものが下敷きになっている。プトレマイオス朝は、古代エジプト王朝史3,000年の歴史の最後の王朝。つまり、初代の王朝からは3,000年経っているわけなので、序盤はほぼ伝説。どんなに頑張ってもさすがに、そんな昔のことの記録を正確に保持するのは無理。むしろ記録が残ってるのが凄い。
王朝区分は、マネトーが勝手にやったわけではなく、それまでの伝統を踏襲したものになっているはずだが、「何でここ分けた?」とか「何でこの王とこの王が同じ王朝になるの?」とかが良く分からない部分もある。第7王朝のように、実在すらしなかった(第8王朝の一部なのでは?)とされる王朝も出てくるくらいだ。
ちなみに、マネトーの書いた「エジプト史」本体は現存していない。後世にいろんな人が引用したり孫引きしたりした部分が断弁的に残っているため、それらを繋ぎ合わせて研究されている。
現在のエジプト本では、マネトーの記録は唯一の証拠ではなく、他にも複数の王名表があるため、それらを補完しあって王名や王朝の系統が作られている。
主要な王名表は以下にまとめておいた。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/namelist.htm
で、これらの王朝を、現代の学者が便宜上、幾つかの時代にまとめたものが、「先王朝時代」とか「古王国時代」とかの時代区分になる。
自分のサイトでは、時代区分は以下を採用している。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index.htm
中間期と呼ばれる時代だけ抜き出すと、以下になる。
第一中間期 第7-10王朝
第二中間期 第15-17王朝
第三中間期 第21-24王朝
「中間期」とは、中央集権制が崩れ、複数の王朝が平行して立っている時代の名称として慣習的に設定されている。
逆に言うなら、中間期”ではない"、「古王国時代」「中王国時代」「新王国時代」は国土を統一した唯一の王朝が成立している時代になる。
まず第一中間期、これは第6王朝の系譜を引き継ぐとされる第7-8王朝と、地方豪族が王を名乗った第9-10王朝の並行時代。
第7王朝は実在の証拠に乏しく、第8王朝との区切りがよくわからんため、実際は存在しなかった可能性もあるとされる。
第9-10王朝も区切りが不明で、実際は両方とも同じ家系だったのではとされる。おそらく王女を嫁に貰うなどしていて、王位を請求できる正統性があったのでかはないかとも。
古王国時代の崩壊原因は不明だが、気候変動(ナイルの渇水など)、地方豪族が力をつけすぎたこと、異民族の侵入、などの複合要因かもしれない。
第11王朝で再統一されるので、ここから中王国時代でいいと思うし、逆にそれ以外の選択肢はあんまり無いのでは? という気がしている。
王朝の初期にはまだ豪族を抑え込めていなかったにしても、後半で安定しているので、「諸説あり」にする意味が良く分からない。
「諸説あり」なのは第二中間期のほうだと思う。第13王朝から入れてる人はけっこう見かける。
これは、第13王朝の終盤で第14王朝が並立してナイルデルタに成立したとされるため。第14王朝はパレスチナ系アジア人王朝とされる。
ただし、第14王朝は正確に「いつ」成立したのかが良く分からない。もし第13王朝の半ばごろに既に分裂し始めていたのなら、第13王朝の途中から第二中間期にいれるほうが妥当かもしれない。
自分のところでは、第12→13王朝がスムーズに切り替わっていることと、第14王朝は13王朝と並列だったため、年表を描く都合上、第15王朝以降を第二中間期と分類している。第15-17王朝は確実に並行期間なので、中間期と呼ぶしかない。
第三中間期については、第25王朝を入れるか入れないかが大きなポイントとなる。
第25王朝は、いちおう国土の統一までやっているのだが、短期間で終了、かつ異国人ファラオの時代である。そして、第26王朝が後半に並行している。
異国人が統一していたから、ということは理由にならないが、第26王朝との並行期間があるために、ここまで中間期に分類する学者はいる。自分もどっちにしようかは迷ったが、第25王朝のシャバカ王の時代にはナイルデルタまで確実に支配出来ているので、ここから国土統一期としている。
なお、第三中間期以降、末期王朝時代は、王朝が全然安定していない。二度のペルシア支配も挟まれているし、末期王朝時代全体が中間期みたいなものだと思う。安定するのはプトレマイオス朝まで待たないといけない。
第三中間期がいちばん、学者によって区分バラけるとこだと思うんですよね…人によって「中間期とかいらんから第21王朝から全部末期王朝でええやろ」ってなってる場合すらある。
というわけで、「中間期」という時代区分は、長年の研究の慣例と、基本的に「統一王朝が無かった時代はどこからどこまでなのか」という基準によって決まっている。ただし、王朝の途中で政府が分裂するとか、安定した長期政権が築けずに何度も分裂を繰り返す時代があるので、句切りがブレることがある。という話である。
本によって区分が違う場合は、その人が時代区分を採用した基準を見てみるといいと思う。
自分自身もこの話題を語れるほど知識があるわけではないが、「自分としてはこう理解して、こう分類している」という内容である。
自分の中に基準がなければ何も語れないし、他人に説明出来なければ理解したことにはならない。たとえそれが他の人から見て妥当ではないと思われることであっても、「私はこう思う」がお互いに言い合えれば、その時点で議論が成立する。それが学問というやつである。
まず、おさらい。
現在使われている王朝区分は、プトレマイオス朝の時代に生きたエジプト人神官のマネトーが記録したものが下敷きになっている。プトレマイオス朝は、古代エジプト王朝史3,000年の歴史の最後の王朝。つまり、初代の王朝からは3,000年経っているわけなので、序盤はほぼ伝説。どんなに頑張ってもさすがに、そんな昔のことの記録を正確に保持するのは無理。むしろ記録が残ってるのが凄い。
王朝区分は、マネトーが勝手にやったわけではなく、それまでの伝統を踏襲したものになっているはずだが、「何でここ分けた?」とか「何でこの王とこの王が同じ王朝になるの?」とかが良く分からない部分もある。第7王朝のように、実在すらしなかった(第8王朝の一部なのでは?)とされる王朝も出てくるくらいだ。
ちなみに、マネトーの書いた「エジプト史」本体は現存していない。後世にいろんな人が引用したり孫引きしたりした部分が断弁的に残っているため、それらを繋ぎ合わせて研究されている。
現在のエジプト本では、マネトーの記録は唯一の証拠ではなく、他にも複数の王名表があるため、それらを補完しあって王名や王朝の系統が作られている。
主要な王名表は以下にまとめておいた。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/namelist.htm
で、これらの王朝を、現代の学者が便宜上、幾つかの時代にまとめたものが、「先王朝時代」とか「古王国時代」とかの時代区分になる。
自分のサイトでは、時代区分は以下を採用している。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index.htm
中間期と呼ばれる時代だけ抜き出すと、以下になる。
第一中間期 第7-10王朝
第二中間期 第15-17王朝
第三中間期 第21-24王朝
「中間期」とは、中央集権制が崩れ、複数の王朝が平行して立っている時代の名称として慣習的に設定されている。
逆に言うなら、中間期”ではない"、「古王国時代」「中王国時代」「新王国時代」は国土を統一した唯一の王朝が成立している時代になる。
まず第一中間期、これは第6王朝の系譜を引き継ぐとされる第7-8王朝と、地方豪族が王を名乗った第9-10王朝の並行時代。
第7王朝は実在の証拠に乏しく、第8王朝との区切りがよくわからんため、実際は存在しなかった可能性もあるとされる。
第9-10王朝も区切りが不明で、実際は両方とも同じ家系だったのではとされる。おそらく王女を嫁に貰うなどしていて、王位を請求できる正統性があったのでかはないかとも。
古王国時代の崩壊原因は不明だが、気候変動(ナイルの渇水など)、地方豪族が力をつけすぎたこと、異民族の侵入、などの複合要因かもしれない。
第11王朝で再統一されるので、ここから中王国時代でいいと思うし、逆にそれ以外の選択肢はあんまり無いのでは? という気がしている。
王朝の初期にはまだ豪族を抑え込めていなかったにしても、後半で安定しているので、「諸説あり」にする意味が良く分からない。
「諸説あり」なのは第二中間期のほうだと思う。第13王朝から入れてる人はけっこう見かける。
これは、第13王朝の終盤で第14王朝が並立してナイルデルタに成立したとされるため。第14王朝はパレスチナ系アジア人王朝とされる。
ただし、第14王朝は正確に「いつ」成立したのかが良く分からない。もし第13王朝の半ばごろに既に分裂し始めていたのなら、第13王朝の途中から第二中間期にいれるほうが妥当かもしれない。
自分のところでは、第12→13王朝がスムーズに切り替わっていることと、第14王朝は13王朝と並列だったため、年表を描く都合上、第15王朝以降を第二中間期と分類している。第15-17王朝は確実に並行期間なので、中間期と呼ぶしかない。
第三中間期については、第25王朝を入れるか入れないかが大きなポイントとなる。
第25王朝は、いちおう国土の統一までやっているのだが、短期間で終了、かつ異国人ファラオの時代である。そして、第26王朝が後半に並行している。
異国人が統一していたから、ということは理由にならないが、第26王朝との並行期間があるために、ここまで中間期に分類する学者はいる。自分もどっちにしようかは迷ったが、第25王朝のシャバカ王の時代にはナイルデルタまで確実に支配出来ているので、ここから国土統一期としている。
なお、第三中間期以降、末期王朝時代は、王朝が全然安定していない。二度のペルシア支配も挟まれているし、末期王朝時代全体が中間期みたいなものだと思う。安定するのはプトレマイオス朝まで待たないといけない。
第三中間期がいちばん、学者によって区分バラけるとこだと思うんですよね…人によって「中間期とかいらんから第21王朝から全部末期王朝でええやろ」ってなってる場合すらある。
というわけで、「中間期」という時代区分は、長年の研究の慣例と、基本的に「統一王朝が無かった時代はどこからどこまでなのか」という基準によって決まっている。ただし、王朝の途中で政府が分裂するとか、安定した長期政権が築けずに何度も分裂を繰り返す時代があるので、句切りがブレることがある。という話である。
本によって区分が違う場合は、その人が時代区分を採用した基準を見てみるといいと思う。