古代エジプト: ミイラ作りの時代変遷についてのまとめ

古代エジプトの長い歴史の中、ミイラづくり技術やトレンドは時代ごとに大きく変化している。
自分用の覚書き代わりに、時代ごとの特徴をまとめておくことにした。

●先王朝時代

ミイラづくりの試みが行われはじめた時代。手の込んだミイラはつくられておらず、葦のミットの上に屈葬して砂に埋めただけのような簡易なものが見られる。
この時代はシンプルな埋葬なので、砂に埋めただけでも人の遺体がミイラ化して残ることはあったと思われる。


●古王国時代

墓が立派になっていくにつれ、皮肉にも人体の残りは悪くなる。直接砂に埋めるより、棺に入れたほうが腐りやすくなってしまうのだ。
そこで人工的なミイラを作る試みが成されるようになる。
屈葬の習慣がなくなり、遺体を伸ばして埋めるようになるのは第3王朝以降。
内臓を抜く方法が考案されたと思われるのは第4王朝で、クフ王の母、ヘテプヘレス王妃のカノポス壺がその証拠となる。つまりピラミッド建造の試行錯誤をしていたのと同時期に、ミイラ作りの手法についても試行錯誤が行われていた。

この時代には、石膏で塗り固めた面白いミイラも現存している。試行錯誤の結果の一つ。

もしもクフ王のミイラが無事だったら: そのミイラは、ほぼ確実に我々の知る姿ではない、という話。
https://55096962.seesaa.net/article/201610article_11.html


●中王国時代

引き続き、試行錯誤の時代。
この時代はまだミイラ作り職人の数が多くなく、地方貴族でミイラ化希望の人は王に頼んで職人を派遣してもらうこともあったらしい。
内臓も抜いたり抜かなかったり。埋葬は北枕で顔をやや東向きにしていることが多い。
副葬品に普段使いの品が多いのがこの時代の特徴で、ミイラ作り産業はまだそれほど発達していなかったと思われる。
中王国時代の末にシャブティ像や人形棺の原型が登場する。


●新王国時代

ミイラづくり技術の頂点。内臓を抜かないとダメだと分かってそれがスタンダードなやり方になる。
一般の人が想像するミイラはだいたいこの時代の王族。死者の書はここから登場。


●末期王朝以降

ミイラ作りが庶民化・産業化され、廉価なミイラが増えるとともに技術が低下していく。
この時代のミイラ作りのお値段表を見ると、現代の葬儀社なみにオプション料金が細分化されている。

第21王朝ではミイラを生前に似せるため義眼を入れたり、内臓を抜いたあとの腹に詰め物をしたりということが流行った。また、髪の毛にエクステしてボリュームをつけるなどもしていたらしい。
第26王朝のミイラは、カノポス壺は空っぽのまま、抜いた内臓をひとまとめにして足元に置くスタイル。
ヘロドトスの書いている「ミイラ作りにもランクがあった」という話はこのあたりの時代のこと。


●プトレマイオス朝

さらにミイラ作りが簡素化される。そして人によって採用してる方式が全然違う。
残っている数は多いが、ミイラ作りの技術としてはそれほど高くない。


●ローマ支配時代

ギリシャ人移住者の多かったファイユーム地方では、ミイラの上に生前の顔を描いた似顔絵を載せるスタイルが流行った。
いわゆるファイユーム・ポートレートである。

古代エジプト遺物だが美術様式的にはギリシャ、「ファイユーム・ポートレート」の科学分析について
https://55096962.seesaa.net/article/499968162.html

キリスト教がローマの国教となってからも、キリスト教自体は最後の審判の時に死体が復活するという宗教なので、遺体を保存する伝統とは矛盾しなかった。王朝時代ほど手の込んだ処置はしなかったが、遺体に香油を塗るなど、保存のための手段は簡易に取られていたらしい。

イスラム教が入ってくると、ミイラ作りの風習は完全に廃れる。

*****

いずれの時代も、共通するのは「遺体をなるべく損なわないようにしよう」という意図である。
内臓を抜かなければ完璧な保存は出来ないと分かったあとも、腹に入れる切れ込みはなるべく小さく、一箇所だけで済まるようにしよう、という意図が見られる。
また、人体に傷をいれる役割は穢れを背負う特殊な職業で、ミイラ化処置を行う他の職人たちとは別の人がやっていたという説もある。
中王国時代まで、内臓を抜いたり抜かなかったりしていたのも、内臓を引き抜くことに抵抗感があったためではないかと思う。

(古代エジプトを舞台にした小説で、密室トリックやりたいために王のミイラを一回バラして持ち出す、なんていうのもあったけど、そんなのは論外なんですよ…古代エジプト人は絶対やらないし不敬すぎて思いつきもしないですよ…そもそも人体バラすのって力技ですけど、何の道具でやるつもりなんです? 実際に盗掘人がバラした王族のミイラが現存するけど、どういう状態か見たことあります?? )

また、ミイラの欠損部分を補おうと義肢や義手をつける作業は実際にはミイラ作りが大衆化して以降によく見られるもので、ミイラ作り技術が頂点にあった時代にはあまり見られないことにも、注意が必要かと思う。

実際には、副葬品や棺のスタイルなども時代ごとに大きく変化していて、同じ新王国時代でも第18王朝と第20王朝ではかなり違う。
よく研究されているジャンルだけに、古代エジプトの埋葬をまともに扱うのは大変だと思うんですよね。