ラメセス2世の「失われた石棺」が特定される。(後世に転用されてた)

エジプトのナイル中流、アビドスにあるコプト教寺院の床下から2009年に発見された古代エジプトの石棺が、元はラメセス2世のものだったと判明したそうだ。
掲載誌はフランス語の「LA REVUE D' ÉGYPTOLOGIE」70号。
https://poj.peeters-leuven.be/content.php?url=article&id=3292985&journal_code=RE

フルテキストは公開されていないので雑誌買わないと読むことが出来ないが、内容は各所のメディアでも報道されている。
たとえば以下などが詳しい。

Ramesses II's sarcophagus finally identified thanks to overlooked hieroglyphics
https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/ramesses-iis-sarcophagus-finally-identified-thanks-to-overlooked-hieroglyphics

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ラメセス2世は第19王朝の人だが、石棺は、後世の第21王朝の高位神官メンケペルウラーによって転用されており、発見当時に分かったのはその人の名前だけだった模様。
ラメセス2世のミイラはもちろん無事で、今もエジプトに行けば謁見できるファラオの1人なわわけだが、そのミイラを盗掘を防ぐためという名目で「隠し場」に移動させる時、棺と副葬品を後世の人たちが自分用に使ってしまったようなのだ。

棺に刻まれていた、転用前の名前については、発見当時は読めていなかった。それを今回、フランスのソルボンヌ大学のエジプト学者 Frédéric Payraudeau 氏が読みといて、ラメセス2世が元の所有者だったと特定したわけだ。
写真見ると、かなり摩耗しているようなので、確かに、ここから消される前のカルトゥーシュ読み解くのはだいぶ厳しいよな…という感じ。

この棺が使用される前には、今は失われた金の棺やアラバスター製の棺も使われていたようだが、いずれも現存しない。それらも誰かに転用されたか、盗掘者に盗まれてしまったのだろうという。ラメセス2世の時代はエジプト王国全盛期なので、棺や副葬品が現存していたら、ツタンカーメンも目じゃないくらいのゴージャスな内容だったのかもしれない。どんな埋葬だったのかは、想像力をたくましくするしかないのだが。

もっとも、立派な棺だけ残されていて中身が空っぽになっている王もいらっしゃるのまで、ミイラが無事ならそのほうがいいのです。
私の推しは…推しのミイラは…いつかどこかの隠し場所から発見されますか…ねえ…。

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なお、エジプトでは、「古代の聖地がキリスト教時代に入ってもそのまま聖地」「神殿と教会を併設する」というやり方はスタンダード。
今回の話に出てきているアビドスは古代エジプトの聖地で巡礼の地でもあったが、その場所にそのまま教会を建てたのだと思う。
教会の下から古代の遺物が出てきた事例は、アシウトなど他の聖地でも事例がある。

エジプト中部・アシウトからビザンツの修道院と古代エジプトの墓が見つかる。時代を越えた聖域のありか
https://55096962.seesaa.net/article/499414511.html

聖なる場所が時代を越えて、宗教が変わってからも数千年に渡る信仰のありかとして機能する。それがエジプトなのである。