「エジプトはナイルの賜物」、そのナイルのイメージはたった二千年前からのものだったかもしれない

あまぞんから本が届かなくて読むものがないので論文検索で遊んでいたら、たまたま最近出たエジプト論文を見つけて面白かったので、ついでにメモしておく。
こういうのがあるから、インターネッツはやめられねぇぜ…!

Shift away from Nile incision at Luxor ~4,000 years ago impacted ancient Egyptian landscapes
https://www.nature.com/articles/s41561-024-01451-z

この研究は、現在のルクソール(古代都市テーベ/ウアセト)周辺のボーリング調査から、過去1万年の間にナイルの支流がどう変化していったのかを調べるというもの。完新世という言葉が何度も出てくるが、日本で言うと縄文時代あたりからの履歴になる。
まず驚くところは、ナイル川の流れ方や周辺の土壌がめちゃくちゃ変化しているところだ。なんだこれ。

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現在のナイル川は、下流の扇状地に入るまでは一本で流れている。
しかし、その一本の河川に纏まったのは実はこの二千年のことで、それ以前は上流地域でも支流がいっぱいあり、しかも「暴れ川」よろしく流域が変化しまくっていたらしい。「Floodplain」と書かれているのが氾濫原だが、テーベ近郊ではほぼナイル渓谷の全域に広がっていて、灌漑はしやすそうだけど集落も神殿も作れない状態。作っても全部、水没するw
その状況が変化するのは、アフリカ内陸部が乾燥化して土壌が流出し始め、天然の堤防が出来て氾濫原が制限されるようになってからなのだという。

そう、上流のアフリカ内部が湿潤だった時代は上流の植生が密なので土はほとんど流れて来ない。ナイルシルトが堆積しないので、毎年の増水のたびに、一方的に土壌が侵食されていく一方なのだ。乾燥化が進むまでナイルはナイルにならない、というのは、目からウロコだった。
そうか…! 確かにそうだよね…! と思った。

これがナイルに関連する気候変動イベントをまとめた図が以下。
日本だと縄文海進で知られる、温暖化して極地の氷が溶けて海水面が上昇したイベントは、ナイル下流の侵食にも影響していた。テーベは上流なので海進の影響はあまり無いけど、メンフィス以南はかなり影響されていると思う。

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ナイルデルタの土地の変遷について、紀元前3,000年あたりまでの情報は以前調べた以下の記事を参照。
海進の時期は紀元前5,000年くらいまでなので、冒頭の流域図で言うとa-bあたりまで。つまりナイル渓谷のほぼ全域が氾濫原となっていて、土地がどんどん削られていた時期になる。

古代エジプト、ナイル下流はある時点まで人口が少なかった? 洪水デバフの威力とは
https://55096962.seesaa.net/article/503068544.html

こうしてナイル渓谷が侵食されていた時期は、アフリカ内陸部が乾燥化しはじめると収束する。上流から流れ込んだシルトによって、テーベ周辺では、天然の堤防が出来る。古王国時代くらいから東岸のほうに土が堆積していき、中王国時代ごろには天然堤防によって、水没しない地域が東岸に広がる。ここが、のちのテーベの集落とアメン神の神殿になる。

というわけで、中王国時代までテーベ周辺にあまり大きな街が無いのって、そもそも街を作れる高台が無かったからなのだった。
いま神殿や街のあるあたりも、かつては全部ナイルの氾濫に沈んでたのだ。そして、元は街の東西に支流があったのが、中王国時代以降は東岸の支流が減り、制御しやすい流れに変わっていったのだ。…ほんの数千年で。
そう、これ、時代別で見ると、相当な変化のスピードですよ。江戸時代と現代の地図を重ねた時に感じる違和感くらい。風景が全然別物だわ。

混乱の第一中間期を制して中王国時代を築くのはナイル上流(おそらくテーベ出身)の王家とされるが、もしかして、このへん関係してないっすかね…? いや多分そうなんだろうな。これだけ景観が変わったら、畑作れる範囲も収穫効率も全然違うな。
それと、今までの古代風景の復元図、どれもかなり違うってことになるね!w 支流の本数からして足りてないっすね。そうかー…そうかー…。


なおナイル下流地域についても、このへんの事情は同じ。
少し前に、ピラミッドの近くに古代の支流の跡を発見した! と言ってニュースになっていた。
以下にまとめた内容だが、ギザ台地のふもとだけではなく、実際にはナイルそのものが、あちこちで蛇行しまくり、支流も大量にあり、流れはほんの1000年で大幅に変化するものだったのだ。

ピラミッド近くにナイルの支流の痕跡を発見、気候変動とピラミッド建設場所の関係が面白いhttps://55096962.seesaa.net/article/503401207.html

こんなに流れが変わりまくるのは、自分の基準では「暴れ川」と呼んでいいレベルだと思う。
鉄砲水とかが無いだけで、毎年一回は何ヶ月もかけてジワジワ溢れ出すうえに、流れがどう変化するのか読みづらい。

雨の降らないエジプトでは、ナイルがほぼ唯一の水源である。
そのナイルが畑ぶっこわしに来るのだから、河の神と祭儀の重要性も理解出来ようというもの。そして、強力な支配体制が無ければ水路や堤防を築く治水を行って支配を試みることも出来ないのだから、早くから中央集権制が成立し、王権が継続したのも納得のいく話である。
ナイルに相対するには、都市・村の単位では無理なのだ。地域ひっくるめて「堤防つくるぞ全員来い!」みたいな指示出せる人がいないと。

というわけで、毎年決まったナイルの氾濫によって、安定的に農業していた、という現代人のイメージは、実際には単純化・理想化されすぎたもので、古代エジプト最後の時代にしか当てはまらないものだった、というお話。

川の流れが安定して本流の位置が定まるまでは、何千年にも及ぶ格闘の時代があり、歴史も大きく左右してきたことだろう。
これからのナイル流域の考古学には、この「時代ごとに川辺の景観が全然違う」という観点も必要になりそうです。