歴史の中で世界の海が一つにつながるまで「海図の世界史」
ぺらっと開いたら、ローマ支配下のアレキサンドリアで活躍した地理学者・プトレマイオスの話が出ていたので、そのまま読み始めた。
プトレマイオスの描いたとされる「世界地図」は現存していないが、アラブに輸入され、アラビア語からラテン語に翻訳されて、のちのヨーロッパに蘇った。
この地図が、のちの大航海時代の下敷きとなり、最初の一歩となったことは知っていたが、どう繋がってるかあんまり詳しく知らなかった。ちょうどこの本は、空白部分の知識を埋めることができる内容になっていた。
海図の世界史―「海上の道」が歴史を変えた―(新潮選書) - 宮崎正勝
プトレマイオスは2世紀頃に生きた人物だが、近い時代の資料では「エリュトゥラー海案内記」がある。これは1世紀頃にインドまで実際に航海していた商人が書き残したものとされ、航路、日程、立ち寄った港やそこで取り扱った商品等が事細かに書かれていて、当時のヨーロッパ商人の知っていた/見ていた「世界」の範囲を知ることのできる資料となっている。
エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫 870) - 蔀 勇造
エリュトゥラー海案内記の範囲は、エジプトの航海沿岸から、東アフリカ、インドと一部の東南アジアまで。
プトレマイオスの地図は、この範囲にるカナリア諸島やスカンジナビアまでを含めた世界。
これが、当時のアレキサンドリア在住の人が知っていた範囲、つまり当時の知識人にとっての「世界の全て」。
もちろん、本当はこれ以外の世界にも人は住んでいたし、もっと遠くまで行ったこともある人はいた。
古代エジプトの王ネカウがアフリカ周航を命じたという伝説もある(そして現在の説では実際に周航していた可能性が高いとされる)。
ただ、その情報は一般化されなかった。話としては伝わっていても、海図に落とし込まれなかったのが原因だろう。新天地の情報は、誰もが確認できる"海図"の形になってはじめて、「使える情報」になったのだ。
だからこそ、海図は長らく、戦略的なもの、国ごとに秘匿されるものでもあった。
特にポルトガルとスペイン、あるいはオランダとイギリスといった海運国が探検レースを繰り広げていた時代には、海図とともに、新天地で発見された珍しい動物や資源の情報は、あまり表に出されなかったという。
これは、少し前に読んだペンギンの本でも同じことが書かれていて、最初にペンギンと出くわしただろう航海者たちは、航路からしてペンギンを見なかったとは思えないのに、その情報を書き残していないらしい。
かくて初期の航海者たちは、少ない情報の中、手探りで地図の外の世界へと足を伸ばしはじめる。
それは、「プトレマイオスの地図」に書かれた世界が否定されていく過程でもあり、かつて見ていた世界が、実際の地球のほんの一部に過ぎなかったことを知る過程でもあった。
情報が拡散し、海図が広まるとともに、海に乗り出す人々は飛躍的に増えていく。競って遠い世界を目指したヨーロッパの船乗りたちの「大航海時代」は、こうして始まった。
ただ面白いことに、過程を追っていくと、日本はずーーーっと蚊帳の外なのだ。
中国はシルクロードを通じて陸路で行けたので、プトレマイオスの地図が書かれた時代には既に存在だけは知られていた。でも、その向こうにある日本は全く影も形もない。
「黄金の国ジパング」の伝説が間違いだったと気づかれるまでずいぶん時間がかかっているし、気づかれたあとも、日本がどこからどこまでなのか分かって無くて、初期の海図では、北海道とシベリアが合体してたり、大陸との位置関係がおかしかったりする。
と、いうのも、ヨーロッパを中心とした地図だと東の果てなのだ。まさにイースト・エンド。
遠すぎたんだなあ…というのが、少しずつ広がっていく世界地図を見比べると分かる。
日本に住んでいると、今いるここが中心なので自覚はないが、かつての世界の中心からすれば最果ての”伝説の地"なのである。RPGで言うと魔王城に踏み込む直前にようやくたどり着ける海の果ての島。たぶん貴重なアイテムとかクッソ高い良い武器とか売ってるとこw
また、日本は、この遠さゆえに植民地化されず、キリスト教やイスラム教によって国教を書き換えられることもなかった。
そして、遠いがゆえに、日本は、インドやペルシャ湾岸の国々と同じ道を歩むこともなかったのだ。
地図と歴史は常に繋がっている。地理を知らなければ歴史も分からない。副題の「海上の道が歴史を変えた」は、まさにそのとおりだと思う。
プトレマイオスの描いたとされる「世界地図」は現存していないが、アラブに輸入され、アラビア語からラテン語に翻訳されて、のちのヨーロッパに蘇った。
この地図が、のちの大航海時代の下敷きとなり、最初の一歩となったことは知っていたが、どう繋がってるかあんまり詳しく知らなかった。ちょうどこの本は、空白部分の知識を埋めることができる内容になっていた。
海図の世界史―「海上の道」が歴史を変えた―(新潮選書) - 宮崎正勝
プトレマイオスは2世紀頃に生きた人物だが、近い時代の資料では「エリュトゥラー海案内記」がある。これは1世紀頃にインドまで実際に航海していた商人が書き残したものとされ、航路、日程、立ち寄った港やそこで取り扱った商品等が事細かに書かれていて、当時のヨーロッパ商人の知っていた/見ていた「世界」の範囲を知ることのできる資料となっている。
エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫 870) - 蔀 勇造
エリュトゥラー海案内記の範囲は、エジプトの航海沿岸から、東アフリカ、インドと一部の東南アジアまで。
プトレマイオスの地図は、この範囲にるカナリア諸島やスカンジナビアまでを含めた世界。
これが、当時のアレキサンドリア在住の人が知っていた範囲、つまり当時の知識人にとっての「世界の全て」。
もちろん、本当はこれ以外の世界にも人は住んでいたし、もっと遠くまで行ったこともある人はいた。
古代エジプトの王ネカウがアフリカ周航を命じたという伝説もある(そして現在の説では実際に周航していた可能性が高いとされる)。
ただ、その情報は一般化されなかった。話としては伝わっていても、海図に落とし込まれなかったのが原因だろう。新天地の情報は、誰もが確認できる"海図"の形になってはじめて、「使える情報」になったのだ。
だからこそ、海図は長らく、戦略的なもの、国ごとに秘匿されるものでもあった。
特にポルトガルとスペイン、あるいはオランダとイギリスといった海運国が探検レースを繰り広げていた時代には、海図とともに、新天地で発見された珍しい動物や資源の情報は、あまり表に出されなかったという。
これは、少し前に読んだペンギンの本でも同じことが書かれていて、最初にペンギンと出くわしただろう航海者たちは、航路からしてペンギンを見なかったとは思えないのに、その情報を書き残していないらしい。
かくて初期の航海者たちは、少ない情報の中、手探りで地図の外の世界へと足を伸ばしはじめる。
それは、「プトレマイオスの地図」に書かれた世界が否定されていく過程でもあり、かつて見ていた世界が、実際の地球のほんの一部に過ぎなかったことを知る過程でもあった。
情報が拡散し、海図が広まるとともに、海に乗り出す人々は飛躍的に増えていく。競って遠い世界を目指したヨーロッパの船乗りたちの「大航海時代」は、こうして始まった。
ただ面白いことに、過程を追っていくと、日本はずーーーっと蚊帳の外なのだ。
中国はシルクロードを通じて陸路で行けたので、プトレマイオスの地図が書かれた時代には既に存在だけは知られていた。でも、その向こうにある日本は全く影も形もない。
「黄金の国ジパング」の伝説が間違いだったと気づかれるまでずいぶん時間がかかっているし、気づかれたあとも、日本がどこからどこまでなのか分かって無くて、初期の海図では、北海道とシベリアが合体してたり、大陸との位置関係がおかしかったりする。
と、いうのも、ヨーロッパを中心とした地図だと東の果てなのだ。まさにイースト・エンド。
遠すぎたんだなあ…というのが、少しずつ広がっていく世界地図を見比べると分かる。
日本に住んでいると、今いるここが中心なので自覚はないが、かつての世界の中心からすれば最果ての”伝説の地"なのである。RPGで言うと魔王城に踏み込む直前にようやくたどり着ける海の果ての島。たぶん貴重なアイテムとかクッソ高い良い武器とか売ってるとこw
また、日本は、この遠さゆえに植民地化されず、キリスト教やイスラム教によって国教を書き換えられることもなかった。
そして、遠いがゆえに、日本は、インドやペルシャ湾岸の国々と同じ道を歩むこともなかったのだ。
地図と歴史は常に繋がっている。地理を知らなければ歴史も分からない。副題の「海上の道が歴史を変えた」は、まさにそのとおりだと思う。