トトメス3世と「星の奇跡」――”敵を撃つ星”の正体は?

(マニアの間で)よく知られた常識として、古代エジプト人は、異常な天体現状を観測しても記録しない、というものがある。
具体的に言うと、日食や月食、彗星などである。それらは不吉なものとされ、世界の秩序の乱れと考えられたため、書き残して永遠のものとすることは許されなかったのだと解釈される。(ちなみに、プサンメティコス/プサメティク1世の治世中にあったとされる触は、日付が実際に起きただろうものと一致しないため、現在では、後世に書かれた架空の記録と考えられている)

だが、そんな中に唯一、彗星か火球では? と考えられている記録がある。
それがトトメス3世の「星の奇跡」。これがまた面倒くさいことに、エジプト本土ではなく、属州だったヌビア、つまり現在のスーダンにあるジェベル・バルカルで見つかった石碑にかかれている。

A Royal Star: On the “Miracle of the Star” in Thutmoses III's Gebel Barkal Stela and a Note on the King as a Star in Personal Names
https://www.academia.edu/4864521/A_Royal_Star_On_the_Miracle_of_the_Star_in_Thutmoses_IIIs_Gebel_Barkal_Stela_and_a_Note_on_the_King_as_a_Star_in_Personal_Names

内容をざっくりと日本語にすると、こんな感じ。

===============
汝はアメン・ラーの驚異を知れ。
(敵の)軍は、規則正しい見張りを行うために夜に集合しようとしていた。
それは二時間目だった。
星は彼らの南に来た。同様のことは(以前には)起こっていなかった。それは(敵の陣地を)本来の位置から撃った。

そこには誰も立っていられなかった。
私は彼らを、尽く殺した。(彼らは)血の中に倒れ、山となり、彼らの後ろには炎があり、彼らの前には火があった。
彼らは無力になり、誰も逃げることが出来なかった。
===============

「二時間目」はおそらく「夜の二時間目」。古代エジプト人は一日を、「昼の十二時間」「夜の十二時間」と分けていた。日の出から日の入りまでが昼、日の入りからが夜。
時間のカウントの仕方は、以下を参照。

古代エジプトの「昼」と「夜」の長さは季節ごとに変わる。「1時間後」はだいぶ違うが「昼●時」は意外と固定
https://55096962.seesaa.net/article/502717086.html

トトメス3世は頻繁にアジア方面に遠征を繰り返していたため、おそらく、この「敵」はパレスティナ・シリア方面の小国か敵対み民族ではないかと考えられている。ただ、その場合、軍事行動が夜間に行われていたこととなり、通常とは異なる。

もしかすると夜襲をかけられそうになっていたところ、異常な星の輝きで気づくことが出来、返り討ちにした、という記録なのかもしれない。
もしくは、描写からしてもっと直接的に、彗星や火球が敵陣に落ちたのでは、という解釈もあるが、これは確率的に微妙かもしれないともされる。
彗星や火球ではなく、王の働きを星に例えたものでは、とする解釈もあるらしい。

とにかく、これだけだと何もわからんので、いろんな説が飛び交い、オカルトネタとしても盛り上がれるやつであるw
詳しくは、リンク張った論文に色々書いてあるので、興味ある人はそちらを見てほしい。

面白いなと思ったのは、「星」に座った神の決定詞がついてて、神格化されてるという話だ。

34678816.png

エジプト神話では、星は天の女神ヌトの子どもたちとされる。要はすべて神という扱い。
また、シリウス星はソティスという名前で特別に神格化されていたし、星座として、オリオン座は天のオシリスと考えられていた。
天は神々の世界だったのである。

ちなみに、天から落ちた星が地上を焼く、という神話表現は「難破した水夫の物語」という古代エジプト文学にも出てくる。同じような出来事が複数回出てくるのなら、「実際には起こってないけど、神の最大の奇跡といえばコレ!」みたいな、文学上のお約束としての表現だった可能性も出てくる。

果たして、天から「彼らの上に落ちた」とされる星は、一体何だったのだろう。
結論は出ないが、あれこれ可能性を想像してみるのは楽しい。


*****

なおヌビアには意外とエシプト学的に重要な碑文が残されており、少し前に調べていた、セティ1世の「ナウリ勅令」があるのもヌビア。
https://55096962.seesaa.net/article/503130288.html

古代エジプトの資料を探すには、現在のエジプト国内の遺跡だけでは足りないのだ。
もちろん、同じく属州だったパレスチナにも重要な資料はある…はずなのだが、イスラエルさんが…片っ端から爆撃…うん、まあ、それ以前にほぼ全部街にされちゃってたんですけどね? 数少ない遺跡も爆撃されて更地になりましたね!!!

…悲しくなってきたので、余談はここまでで…。