冬至の日の出とカルナック神殿―神殿が建てられた頃の風景はどうだったのか

エジプトのナイル上流、ルクソールにあるカルナック神殿は、新王国時代以降の主神であるアメン神の本拠地だ。
そのため、新王国時代を通して歴代の王たちに増改築されまくっている。

※増改築の履歴はこちらの本を参照

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だが、本体神殿と神殿の中心を走る軸の部分は、最初にここに神殿の建てられた中王国時代に設定されたもののはずで、その軸は、冬至の日の出のラインに沿っていたのではないかとされている。そして、後代の新王国時代のファラオたちは、その軸に沿って大列柱を建造した。

思想はともあれ、現在のカルナック神殿正面の冬至が、とてもフォトジェニックな風景となっているのは間違いない。

Solstice Sunrise at Karnak Temple
https://www.daviddegner.com/photography/karnak-temple-solstice/

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…で、お察しのとおの旅行者たちのカルナック詣でが盛況となっている。
う ん ざ り す る ほ ど の 人出になっている


動画見て、「うげぇ…この状況でもみんなスマホ構えるんだ…」って心底うんざりしてしまった。まあ、うん、アメン神パリピっぽいから、どういう形であれ祭りが盛り上がって信者が一杯くるのは喜んでそうなんだけど…。私はこの中に混ざれる気はしない。

で、それはともかく、現代の冬至の風景は、古代人が見ていたものではなかったという話がしたい。

これは確実で、少なくとも新王国時代には、大列柱の上には天井が載っていた。そして壁も揃っていた。
現在は、神像を置いていた至聖処の背後にあった建造物が無くなっているので、昇ったばかりの、地平線に近いところにある太陽が見られるだけで、かつては建物と、神殿の周壁に阻まれて、こんに風景は盛られなかったはずだ。

だから、神殿の軸が冬至の日の出の方角に沿っていたとしても、それは冬至の太陽光を通路に通すためではない。太陽光は、天井に開けられた隙間とか、通路の一部だけを通る形になっていたと思う。その光によって何か儀式を行っていたかどうかは不明だ。

さらに時代を遡り、中王国時代になると、冒頭の図の第四塔門と書かれている部分が正面玄関になる。
その時代には、列柱もスフィンクス参道もまだ無いので、至聖処の頭上に太陽が昇るような形になっていたのではないかと思う。この時代も、至聖処のすぐ後ろに壁があったはずなので、西側の正面玄関にいる人たちに太陽光が見えるのは、日の出からそこそこ時間が経ってからになったはずである。

という感じで、現在のフォトジェニックな風景は、神殿が廃墟となった現代ならではのものになる。
古代人が見ていただろう風景は、当たり前だが、我々の見るものとは全然違う。古代の人々が、その風景の中にどんな意味を見出していたかは、当時の視点を再現しながら、慎重に考える必要があると思うのだ。