ネアンデルタールは死者に花を手向けたか。過去の調査内容が古すぎるので再調査中
シャニダール洞窟、といえば、マニアの人はすぐにぴんと来ると思う。
ネアンデルタールの埋葬の地として、「ネアンデルタールは死者に花を手向けていた! 埋葬の習慣があった!」という話とセットにして語られる場所である。
だが、現在では、この話をそのまま信じている人は少ない。
いまだに何も注釈なく書いてる人は、ネアンデルタール知性過激派か、大元の古い論文を確認してみたことがないか、単純に最近の批判説をアップデート出来ていないだけだと思う。
この遺跡がで35体の人骨が発見されたのは1960年。報告書が出たのも50年以上前で、当時の状況は現在ほど丁寧に記録されているわけではない。また、調査技術的にも現代には及ばない。
遺骨とともに花粉が見つかったとされているが、その花粉が1万年前のものなのか、1ヶ月前のものなのかは判別出来ておらず、作業員やネズミが運び込んだものではないかという批判は多い。花粉サンプルが残っていて、そもそも、ネアンデルタールがそこに生きていた時代の植生と一致するかくらい調べられればよかったのだろうが、残念ながら残っていない。
肯定するのも否定するのもどっちつかずで、「確かなことはわからんね」な状態なのである。
というわけで、再調査しようぜ! ということで、10年くらい前から発掘が再開されている。
場所がクルディスタンなので、「アラブの春」に伴う政情不安に引っ張られて中断していた時期があるのだが、ここ最近はわりと順調に発掘が進んでいて、追加の発見もあった模様。
新しく発掘された人骨からの顔の再現は以下。
Scientists reveal the face of a Neanderthal who lived 75,000 years ago
https://edition.cnn.com/2024/05/01/world/shanidar-z-facial-reconstruction-neanderthal-woman-scn/index.html
また、過去の経緯や、発掘風景などの資料はケンブリッジ大学のサイトに色々ある。
https://www.cam.ac.uk/stories/shanidarz
で、この調査の中で、「そんなことも分かってなかったの?!」みたいな点が、いくつも出てくる。
●見つかった人骨は、同時もしくは近い時代に亡くなったのか、何年もかけて死んだのか
もし埋葬の習慣があったのなら、ほんの数十体というのは少なすぎる。他の遺体は単に残らなかっただけなのか、別のところに埋めたのか。
墓地としてここを使っていたなら、何世代にも渡って使われるはずだが、果たして見つかってる人骨がどのくらい時代が離れているかが分からないのである。同時期に亡くなっていたのであれば、埋葬の習慣があったというより一過性の行動だった可能性もある。
●穴を掘って遺体を置いたのか、洞窟に放置しただけなのか
実はここも分かっていない。穴掘って埋めていたのでなければ、埋葬習慣があった、とは言えない。
ただ、もし埋めていたとしても、埋葬だったとは限らない。この洞窟はおそらく居住地なので、自分たちの住処に死体をそのままほっとくわけにもいかない。肉食獣などを惹きつけないために埋めて「隠した」、つまり埋葬の意図はなく埋めた、という可能性も出てくる。
一つ確実なのは、埋葬に花を手向けた確固たる証拠は、再発掘の中では出てきていないということだ。
調査中なので、これから出てくる可能性はあるが、そもそもネアンデルタールがこの洞窟に遺体をまとめたことが「埋葬」だったのかどうかすすら議論されているところだというのは念頭においておく必要がある。
「花を手向けた埋葬」の「花を手向けたかどうか」以前に、そもそもこれ「埋葬」と呼べる状況なのか? 単にまとまって人骨が出てきただけじゃなくて? ということ。
最初の調査から半世紀以上が経過し、ネアンデルタール観はかつてとは大きく変わった。
ソレッキがこの洞窟を発掘していた頃は、ネアンデルタールが絶滅しておらず、混血して一部が我々の中に生きているなどと、想像すらされなかった。彼らはおそらく、現生人類と大きく異なる野蛮人や、サルのような存在では無かったのだろう。
それは認めるが、果たして現生人類の感覚を、もっと言えば現代人類の価値観を、どこまで解釈に持ち込んでいいのかどうか。
自分が思うに、この問題は、「埋葬」とは何かという定義の曖昧さからスタートしている気がする。
穴を掘って仲間の遺体をそこに埋めるだけなら、別に知性は必要ない。単に腐臭が敵を寄せ付けるから、という理由だけでも取りうる行動だ。
住居から離れたところに遺体を運ぶ行動も、疫病の蔓延や、ハエがたかるなどの不清潔の感覚があれば取りうる。死者を悼む感情は必須ではなく、死の概念すら無くてもいい。
では一体、何をどこまでやれば、「埋葬」と呼べるのか。
考古学者も、そこちゃんと定義出来てないから議論がブレるんだろうな…。と、遠目に眺めながら思っている。
とりあえず、今後の調査結果待ち。
ネアンデルタールの埋葬の地として、「ネアンデルタールは死者に花を手向けていた! 埋葬の習慣があった!」という話とセットにして語られる場所である。
だが、現在では、この話をそのまま信じている人は少ない。
いまだに何も注釈なく書いてる人は、ネアンデルタール知性過激派か、大元の古い論文を確認してみたことがないか、単純に最近の批判説をアップデート出来ていないだけだと思う。
この遺跡がで35体の人骨が発見されたのは1960年。報告書が出たのも50年以上前で、当時の状況は現在ほど丁寧に記録されているわけではない。また、調査技術的にも現代には及ばない。
遺骨とともに花粉が見つかったとされているが、その花粉が1万年前のものなのか、1ヶ月前のものなのかは判別出来ておらず、作業員やネズミが運び込んだものではないかという批判は多い。花粉サンプルが残っていて、そもそも、ネアンデルタールがそこに生きていた時代の植生と一致するかくらい調べられればよかったのだろうが、残念ながら残っていない。
肯定するのも否定するのもどっちつかずで、「確かなことはわからんね」な状態なのである。
というわけで、再調査しようぜ! ということで、10年くらい前から発掘が再開されている。
場所がクルディスタンなので、「アラブの春」に伴う政情不安に引っ張られて中断していた時期があるのだが、ここ最近はわりと順調に発掘が進んでいて、追加の発見もあった模様。
新しく発掘された人骨からの顔の再現は以下。
Scientists reveal the face of a Neanderthal who lived 75,000 years ago
https://edition.cnn.com/2024/05/01/world/shanidar-z-facial-reconstruction-neanderthal-woman-scn/index.html
また、過去の経緯や、発掘風景などの資料はケンブリッジ大学のサイトに色々ある。
https://www.cam.ac.uk/stories/shanidarz
で、この調査の中で、「そんなことも分かってなかったの?!」みたいな点が、いくつも出てくる。
●見つかった人骨は、同時もしくは近い時代に亡くなったのか、何年もかけて死んだのか
もし埋葬の習慣があったのなら、ほんの数十体というのは少なすぎる。他の遺体は単に残らなかっただけなのか、別のところに埋めたのか。
墓地としてここを使っていたなら、何世代にも渡って使われるはずだが、果たして見つかってる人骨がどのくらい時代が離れているかが分からないのである。同時期に亡くなっていたのであれば、埋葬の習慣があったというより一過性の行動だった可能性もある。
●穴を掘って遺体を置いたのか、洞窟に放置しただけなのか
実はここも分かっていない。穴掘って埋めていたのでなければ、埋葬習慣があった、とは言えない。
ただ、もし埋めていたとしても、埋葬だったとは限らない。この洞窟はおそらく居住地なので、自分たちの住処に死体をそのままほっとくわけにもいかない。肉食獣などを惹きつけないために埋めて「隠した」、つまり埋葬の意図はなく埋めた、という可能性も出てくる。
一つ確実なのは、埋葬に花を手向けた確固たる証拠は、再発掘の中では出てきていないということだ。
調査中なので、これから出てくる可能性はあるが、そもそもネアンデルタールがこの洞窟に遺体をまとめたことが「埋葬」だったのかどうかすすら議論されているところだというのは念頭においておく必要がある。
「花を手向けた埋葬」の「花を手向けたかどうか」以前に、そもそもこれ「埋葬」と呼べる状況なのか? 単にまとまって人骨が出てきただけじゃなくて? ということ。
最初の調査から半世紀以上が経過し、ネアンデルタール観はかつてとは大きく変わった。
ソレッキがこの洞窟を発掘していた頃は、ネアンデルタールが絶滅しておらず、混血して一部が我々の中に生きているなどと、想像すらされなかった。彼らはおそらく、現生人類と大きく異なる野蛮人や、サルのような存在では無かったのだろう。
それは認めるが、果たして現生人類の感覚を、もっと言えば現代人類の価値観を、どこまで解釈に持ち込んでいいのかどうか。
自分が思うに、この問題は、「埋葬」とは何かという定義の曖昧さからスタートしている気がする。
穴を掘って仲間の遺体をそこに埋めるだけなら、別に知性は必要ない。単に腐臭が敵を寄せ付けるから、という理由だけでも取りうる行動だ。
住居から離れたところに遺体を運ぶ行動も、疫病の蔓延や、ハエがたかるなどの不清潔の感覚があれば取りうる。死者を悼む感情は必須ではなく、死の概念すら無くてもいい。
では一体、何をどこまでやれば、「埋葬」と呼べるのか。
考古学者も、そこちゃんと定義出来てないから議論がブレるんだろうな…。と、遠目に眺めながら思っている。
とりあえず、今後の調査結果待ち。