古代メソポタミアの医療技術は、どのくらい? 資料を探してみた
古代世界において、古代エジプトの医療技術が進んでいた、という話はよく見かける。ミカ・ワルタリの文学作品「エジプト人」の主人公シヌヘも名医という設定で、外国で重宝されたり、アクエンアテン王の宮廷で御典医をしていたことになっている。
だが、同時代のメソポタミアがどうだったのかについて言及されていることが少ない。
部分的に言及されるのは、だいたいハンムラビ法典の「もし医師が患者を癒やしたならば~」という条文で。医師が治療出来た場合の報酬、手術に失敗した場合の罰則など。しかし、これは医療に関する資料としてはあまり脆弱で、医者という職業はあったんだな、くらいしか分からない。
そこで、メソポタミアの医療レベルとか資料とかどうなったんだろ? というのを、ちょっと調べてみた。
比較用に、エジプトの医療記録は以下。
古代エジプト人の医療技術と「何が出来て、何が出来なかったのか」についての覚書き
https://55096962.seesaa.net/article/501943967.html
日本語の資料としては、以下に見つかった。
「メソポタミアの神話と儀礼」という本に入っていることからも分かるように、内容的に治療法というよりは呪術の部分が大きい。薬の処方箋も出ているらしいが、効能のほどは不明とのこと。ただ、体の部位ごとに対処を変え、呪術以外で対処しようとしている部分もあることから、おそらくエジプトと似たレベルの医療知識はあったのではないかと思う。
古代メソポタミアの神話と儀礼 - 月本 昭男
ただ、使われている資料の時代がかなり新しい。
医療知識を記した年度版は、およそ 1,000 枚ほどが見つかっているが、そのうち半数以上、660枚がアッシリアの首都だったニネヴェの、アッシュールバニパル王の宮廷から見つかったもので、紀元前7世紀である。エジプトの資料が紀元前1,700年頃から存在するので、千年あとに同レベルの治療をやっていたのなら、遅れているように見えてしまうかもしれない。
1,000枚のうち、残りの400枚はアッシュルやバビロニアから見つかったもののようで、紀元前2,700年のものもあるとのことだが、かなり断片になっていて、どうも薬草の調合法っぽいな…ということしか分からなかった、
印象としては、古代エジプトに比べて劣っているとは思わなかった。
ただ、病の原因を全て宗教に還元しているところは一つの特徴だと思う。
冒頭に紹介した「古代メソポタミアの神話と儀礼」にも書かれているが、病の原因を全て、日食とか月食のような天体現象、神の罰、呪い、悪霊、といったものにしている。つまり、疾病の治療という行為が科学の世界に脱皮する可能性が最初から潰されていた。
結果として、「体のxxの部位が悪くなった」から「xxの治療をしよう」という対処療法となってしまい、「xxな生活をすれば/xxを行えば病気になるから、xxを潰そう」というような、予防の概念が発達しなかったと思われる。
これは、些細に見えてけっこう致命的な知識の構造上の欠陥だと思う。
古代エジプトの医療パピルスでは、「xxすると流産しやすくなるから妊婦はxxに気をつけて」というような流産予防や、「xxな人がxxするとこういう病気になりやすいからしないように」みたいな予防の概念があって、全ての原因を神や悪霊など呪術の領域に結びつけることはなかった。
なので、医療が科学の世界に踏み込む余地はあったのだ。
あるいは、古代世界において「エジプトの医師は優れている」と評価された原因は、この部分だったのかもしれない。
原因特定の手法とか、病気に相対する時の考え方とか。
古代世界の知識では治せない物も多いし、まだ治療薬の存在しない病気も多かったため、最後に祈りや呪術に頼るのは同じだったとしても、そこに至るまでの過程が違っていたとか。
メソポタミアの医療については、今回ちょっとつまみ食いしてみただけで、まだあまり詳しくはないので、この件については機会がある時に改めて考えてみたいなと思う。
****
医療タプレットの最古級のものの一部について、「メソポタミアの神話と儀礼」に和訳があるのだが、固有名詞が何を意味するのか特定されていないので、こんな感じで「日本語に直してもよく意味がわからない」という状態。
これが古代語の翻訳の世界。ブシャーヌ草って何? とか、パリラトゥって何? とか一つずつ特定していかないと分からない。そして大抵の場合は特定できない。
エジプトみたいに壁画とセットで残してくれるか、墓に直接入れといてドライフラワーとして残ってるとかじゃないとムリ。研究者大変だろうなあ…。
だが、同時代のメソポタミアがどうだったのかについて言及されていることが少ない。
部分的に言及されるのは、だいたいハンムラビ法典の「もし医師が患者を癒やしたならば~」という条文で。医師が治療出来た場合の報酬、手術に失敗した場合の罰則など。しかし、これは医療に関する資料としてはあまり脆弱で、医者という職業はあったんだな、くらいしか分からない。
そこで、メソポタミアの医療レベルとか資料とかどうなったんだろ? というのを、ちょっと調べてみた。
比較用に、エジプトの医療記録は以下。
古代エジプト人の医療技術と「何が出来て、何が出来なかったのか」についての覚書き
https://55096962.seesaa.net/article/501943967.html
日本語の資料としては、以下に見つかった。
「メソポタミアの神話と儀礼」という本に入っていることからも分かるように、内容的に治療法というよりは呪術の部分が大きい。薬の処方箋も出ているらしいが、効能のほどは不明とのこと。ただ、体の部位ごとに対処を変え、呪術以外で対処しようとしている部分もあることから、おそらくエジプトと似たレベルの医療知識はあったのではないかと思う。
古代メソポタミアの神話と儀礼 - 月本 昭男
ただ、使われている資料の時代がかなり新しい。
医療知識を記した年度版は、およそ 1,000 枚ほどが見つかっているが、そのうち半数以上、660枚がアッシリアの首都だったニネヴェの、アッシュールバニパル王の宮廷から見つかったもので、紀元前7世紀である。エジプトの資料が紀元前1,700年頃から存在するので、千年あとに同レベルの治療をやっていたのなら、遅れているように見えてしまうかもしれない。
1,000枚のうち、残りの400枚はアッシュルやバビロニアから見つかったもののようで、紀元前2,700年のものもあるとのことだが、かなり断片になっていて、どうも薬草の調合法っぽいな…ということしか分からなかった、
印象としては、古代エジプトに比べて劣っているとは思わなかった。
ただ、病の原因を全て宗教に還元しているところは一つの特徴だと思う。
冒頭に紹介した「古代メソポタミアの神話と儀礼」にも書かれているが、病の原因を全て、日食とか月食のような天体現象、神の罰、呪い、悪霊、といったものにしている。つまり、疾病の治療という行為が科学の世界に脱皮する可能性が最初から潰されていた。
結果として、「体のxxの部位が悪くなった」から「xxの治療をしよう」という対処療法となってしまい、「xxな生活をすれば/xxを行えば病気になるから、xxを潰そう」というような、予防の概念が発達しなかったと思われる。
これは、些細に見えてけっこう致命的な知識の構造上の欠陥だと思う。
古代エジプトの医療パピルスでは、「xxすると流産しやすくなるから妊婦はxxに気をつけて」というような流産予防や、「xxな人がxxするとこういう病気になりやすいからしないように」みたいな予防の概念があって、全ての原因を神や悪霊など呪術の領域に結びつけることはなかった。
なので、医療が科学の世界に踏み込む余地はあったのだ。
あるいは、古代世界において「エジプトの医師は優れている」と評価された原因は、この部分だったのかもしれない。
原因特定の手法とか、病気に相対する時の考え方とか。
古代世界の知識では治せない物も多いし、まだ治療薬の存在しない病気も多かったため、最後に祈りや呪術に頼るのは同じだったとしても、そこに至るまでの過程が違っていたとか。
メソポタミアの医療については、今回ちょっとつまみ食いしてみただけで、まだあまり詳しくはないので、この件については機会がある時に改めて考えてみたいなと思う。
****
医療タプレットの最古級のものの一部について、「メソポタミアの神話と儀礼」に和訳があるのだが、固有名詞が何を意味するのか特定されていないので、こんな感じで「日本語に直してもよく意味がわからない」という状態。
これが古代語の翻訳の世界。ブシャーヌ草って何? とか、パリラトゥって何? とか一つずつ特定していかないと分からない。そして大抵の場合は特定できない。
エジプトみたいに壁画とセットで残してくれるか、墓に直接入れといてドライフラワーとして残ってるとかじゃないとムリ。研究者大変だろうなあ…。