YOUはその時なにしてた? エジプトとその周辺の「大国」の年表について
古代エジプトの歴史はだいたい3,000年ある。なので「古代エジプト」というだけで資料を集めると、縄文時代から江戸時代くらいの時間幅の資料が集まってしまう。ピラミッド作ってた時代からツタンカーメンまでは1,000年開いており、ツタンカーメンかクレオパトラまでは1,000年以上違う。
だが、周辺の「大国」たち、エジプトと対等な口を聞いてた諸王国の資料は、そこまで時代がバラけない。
これは、乾燥したエジプトの遺物が残り良すぎて研究されてる時代が長いことや資料に恵まれていることもあるが、栄えた時間の短さもあると思う。
…と、いうのを説明するために年表を書いてみた。
一行が100年の超ザックリ年表なので細かいところは表現出来なかったが、だいたいの感覚はつかめると思う。
新王国時代のエジプトが書簡のやり取りをしていた周辺の「大国」を主に入れたのと、アッシリアは最近本読んだんで、ついでに入れた。ヒッタイトはものすごい勢いで繁栄から崩壊までを駆け抜けていっている。このあと新ヒッタイトとしてシリア北部に生き残った小国もあるが、そこまで入れてもせいぜい1,000年。アッシリアも、終盤で一気に帝国を拡大したあと一気に崩壊するので意外と期間が短い。
これは、エジプトの息が長いというよりは、幸運だったところもあるんだろうと思う。
かつての属国ヌビアが攻め込んでくるも国体としては守られ、アッシリアやペルシアが攻め込んでくるも解体されるには至らず属国扱い。
周辺の有力な国から遠すぎたことや、周辺が砂漠で住めるとこが決まっているので、国を解体することが出来ない(ナイル川沿いに広がる国土から変更不可)こと、さらに古代世界では圧倒的な人口と人口密度を持つ地域だったためヘタに内乱起こされるよりは既存ルールを踏襲して治める判断をされたことなどが理由に挙げられる。
のちにローマ支配下に入ってからも、エジプトはエジプト属州という扱いで、政体はあまり変わっていない。
つまりには、気候風土による条件の差で、国家としての寿命が伸びたパターンだと思う。
あと、エジプト衰退期のの年表にローマ勃興の流れを併記したものもオマケとして置いておく。
エジプトがあの事件の頃にローマはアレしてたのかぁ~とか分かる。
東地中海世界の歴史は、周辺勢力の動きと合わせて眺めてみると面白い。
だが、周辺の「大国」たち、エジプトと対等な口を聞いてた諸王国の資料は、そこまで時代がバラけない。
これは、乾燥したエジプトの遺物が残り良すぎて研究されてる時代が長いことや資料に恵まれていることもあるが、栄えた時間の短さもあると思う。
…と、いうのを説明するために年表を書いてみた。
一行が100年の超ザックリ年表なので細かいところは表現出来なかったが、だいたいの感覚はつかめると思う。
新王国時代のエジプトが書簡のやり取りをしていた周辺の「大国」を主に入れたのと、アッシリアは最近本読んだんで、ついでに入れた。ヒッタイトはものすごい勢いで繁栄から崩壊までを駆け抜けていっている。このあと新ヒッタイトとしてシリア北部に生き残った小国もあるが、そこまで入れてもせいぜい1,000年。アッシリアも、終盤で一気に帝国を拡大したあと一気に崩壊するので意外と期間が短い。
これは、エジプトの息が長いというよりは、幸運だったところもあるんだろうと思う。
かつての属国ヌビアが攻め込んでくるも国体としては守られ、アッシリアやペルシアが攻め込んでくるも解体されるには至らず属国扱い。
周辺の有力な国から遠すぎたことや、周辺が砂漠で住めるとこが決まっているので、国を解体することが出来ない(ナイル川沿いに広がる国土から変更不可)こと、さらに古代世界では圧倒的な人口と人口密度を持つ地域だったためヘタに内乱起こされるよりは既存ルールを踏襲して治める判断をされたことなどが理由に挙げられる。
のちにローマ支配下に入ってからも、エジプトはエジプト属州という扱いで、政体はあまり変わっていない。
つまりには、気候風土による条件の差で、国家としての寿命が伸びたパターンだと思う。
あと、エジプト衰退期のの年表にローマ勃興の流れを併記したものもオマケとして置いておく。
エジプトがあの事件の頃にローマはアレしてたのかぁ~とか分かる。
東地中海世界の歴史は、周辺勢力の動きと合わせて眺めてみると面白い。