ヌビア(メロエ)とインドの繋がり:かつて見えなかった伝播経路が見えてきた
もう10年くらい前になるが、ヌビアの神にインドからの影響がある説を追ってみたことがある。
その時は、「なんか似てるところもあるけどつながり薄いなあ…」と思っていたのだが、近年の発見により、プトレマイオス朝後半くらいにはインドとの交易路が確立されており、インド文化も流入していたことが物証とともに判明している。
どういう発見があったかは、以下を参照。
古代エジプトが輸入する戦象を警護していた? 紅海/ベレニケ港の近くで砦が発見される
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_15.html
エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/499155619.html
なお、この仏像はインド産ではない。ギリシャっぽい顔立ちからお察しの通り、おそらくエジプト在住の彫刻師によるものである。石材もトルコあたりの産出だろうとされる。現存しないが、小型の仏像などが見本として持ち込まれていて、それを真似たのかもしれない。
つまり、同じようにインドの美術様式の見本が、内陸のヌビアまで到達していれば、それを真似した芸術が誕生した可能性はゼロではなくなる。
ベレニケ港は、紅海からインド洋を越えた交易に使われていた港で、プトレマイオス朝の時代に作られ、その後、エジプトがローマ支配下に入ると、ローマによっても利用された。
で、主要な航路と港、ヌビアやエチオピアの位置はこれである。
ベレニケからはインドだけでなく東アフリカへも交易がのびており、沿岸でべっ甲を仕入れたり、内陸から希少な動物や木材などを積み込んだりしていた。
この交易ルート上にヌビアのメロエ文化、エチオピアのアクスム王国などとの接点がある。
「エリュトゥラー海案内記」は紀元1世紀ごろの商人によって書かれたものだが、この書物が書かれたということは、その時点ではすでに航路が確立されており、知識が一般的になっている。そしてベレニケ港の稼働からしても、おそらく紀元前300年頃、遅くとも紀元前200年頃にはインドとの交易が始まっていそうなので、時代的には、メロエの「インドっぽい意匠」が描かれた時期と一致しそうだ。
個人的に、八面六臂ならぬ三面四臂のアパデマク神↓はインドの影響があった可能性が高いと思っている。
こんな描き方してるところが他に見つからないんよね…。
CivⅥではピタティラッシュ・制覇プレイで散々お世話になったアマニトレは1世紀頃の人だし、ちょうど、帝政ローマ下でインドとの交易が最盛期だった頃なのでは。
というわけで、自分の中では宿題になっていた昔の疑問に一応の答えが出たかなーと思っている。
その時は、「なんか似てるところもあるけどつながり薄いなあ…」と思っていたのだが、近年の発見により、プトレマイオス朝後半くらいにはインドとの交易路が確立されており、インド文化も流入していたことが物証とともに判明している。
どういう発見があったかは、以下を参照。
古代エジプトが輸入する戦象を警護していた? 紅海/ベレニケ港の近くで砦が発見される
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_15.html
エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/499155619.html
なお、この仏像はインド産ではない。ギリシャっぽい顔立ちからお察しの通り、おそらくエジプト在住の彫刻師によるものである。石材もトルコあたりの産出だろうとされる。現存しないが、小型の仏像などが見本として持ち込まれていて、それを真似たのかもしれない。
つまり、同じようにインドの美術様式の見本が、内陸のヌビアまで到達していれば、それを真似した芸術が誕生した可能性はゼロではなくなる。
ベレニケ港は、紅海からインド洋を越えた交易に使われていた港で、プトレマイオス朝の時代に作られ、その後、エジプトがローマ支配下に入ると、ローマによっても利用された。
で、主要な航路と港、ヌビアやエチオピアの位置はこれである。
ベレニケからはインドだけでなく東アフリカへも交易がのびており、沿岸でべっ甲を仕入れたり、内陸から希少な動物や木材などを積み込んだりしていた。
この交易ルート上にヌビアのメロエ文化、エチオピアのアクスム王国などとの接点がある。
「エリュトゥラー海案内記」は紀元1世紀ごろの商人によって書かれたものだが、この書物が書かれたということは、その時点ではすでに航路が確立されており、知識が一般的になっている。そしてベレニケ港の稼働からしても、おそらく紀元前300年頃、遅くとも紀元前200年頃にはインドとの交易が始まっていそうなので、時代的には、メロエの「インドっぽい意匠」が描かれた時期と一致しそうだ。
個人的に、八面六臂ならぬ三面四臂のアパデマク神↓はインドの影響があった可能性が高いと思っている。
こんな描き方してるところが他に見つからないんよね…。
CivⅥではピタティラッシュ・制覇プレイで散々お世話になったアマニトレは1世紀頃の人だし、ちょうど、帝政ローマ下でインドとの交易が最盛期だった頃なのでは。
というわけで、自分の中では宿題になっていた昔の疑問に一応の答えが出たかなーと思っている。