ラパ・ヌイ(イースター島)の人口上限は3,000人~4,000人? 過去の研究の見積もりが多すぎた可能性

ラパ・ヌイ(イースター島)に残る畑の痕跡から食料生産量を割り出し、島の収容人数がかつて想定されていたよりだいぶ少なかった可能性があるという説が出ていた。
具体的に言うと、かつての説では16,000人とされていたものが、3,000~4,000人の可能性があるという。上限人数は、リモートセンシングや現地調査でかつて畑のあった場所を割り出して産出している。この畑に見落としや誤判定があった場合の誤差を考慮しても、四倍の開きがあるという差は大きい。
果たしてラパ・ヌイの実際の人口はどのくらいだったのか。

Island-wide characterization of agricultural production challenges the demographic collapse hypothesis for Rapa Nui (Easter Island)
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.ado1459

これが文中で「ロックガーデン」と呼ばれている畑の痕跡。メカニズムがよく分からないが、大きな岩を置くことで地表の気流を乱し、温度を下げることが出来るらしい。この太平洋の真ん中の島では確かに風が強いため、岩を置けば風の流れが変わるのは分かる。ただ防風壁にするのではなく空気の流れってどういうことだ…というのはちょっと分からなかった。

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分かったところでは、さらに、岩を砕いて散らすことで作物にミネラルを与えていたという話。これはなるほどと思った。
ラパ・ヌイは島自体が巨大な火山なので、まともな「土」というのがあまりない。砕けた火山岩が砂のようになった集合体。そんな土地で、メイン作物がイモなので、耕作のための工夫が色々必要だったのだろう。

で、イモの面積あたりの収穫量と畑の面積をかけ合わせて出た総産出量から導き出されたカロリーが、島で生存できる人間の数の上限値となる。
ただし、全ての畑がイモだけ植えてたはずもなく、畑以外にもバナナなど副作物はあったはずで、それらを考慮すると多少の変動はあると思われる。その変動を考慮しても1万人越えはないだろ、ということである。

これで何が変わるのかというと、ラパ・ヌイ島の歴史そのものだ。

かつては、16,000人いた島民が飢餓によって互いに争いあい、ヨーロッパ人が最初にこの島に到達した時には3,000人にまで減っていたのだ、という説が主流だったが、最近の説では、「そもそも島のキャパ的に、そんなに人数増える余地ないぞ」「もともと3,000人程度で推移してたのでは?」というのに変わってきてるようだ。


もし「人口が増えすぎたことによる飢餓」とかが無かったとすると、別の原因での飢餓とか、そもそも4,000人で大戦争なんて出来なくない? とか、色々考慮することが出てきてしまう。
果たして、この島の本当の歴史は、どうだったのだろうか。


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前提として、島嶼部では、自然を人工的に改造することによってしか人間は生きていけない。
以前書いたものだとこれ。ラパ・ヌイの人口推移で、人口に影響する要素として畑以外のものがほとんど考慮されていないのは、考慮する必要がない(魚などは食料としては微小)からだ。

島で生き抜くために必要なこととは。「島に住む人類」
https://55096962.seesaa.net/article/201810article_18.html

日本の沖縄の人口推移の研究もあるが、島は、大きさと、そこで作れるメインの作物が決まった時点で、養える人口上限が決定されるという特徴を持つ環境。だからこそ人口調整のために移住が繰り返され、最後にイースター島までたどり着いたというのが太平洋の島々である。