アスワンのダム湖の中にはまだお宝がたくさん沈んでる。ダイビングで石碑を新発見
ダム湖に沈んでしまった遺物は水中考古学の範疇になるらしい。
1960年代までに、アスワン・ロウ・ダム(ハイ・ダムの下流に作られたダム)によって水没してしまった遺物を、ダイビングで改めて探してみたら、今まで知られていなかった第18王朝と第26王朝のファラオの石碑が見つかったよ。という話。
発表はエジプト政府(エジプト・フランス合同隊の成果)。
まだ「発見されたよ」までなので、解読結果などはこれから出てくると思う。
エジプト観光局のFacebook
https://www.facebook.com/tourismandantiq/posts/pfbid0eogCqdzRGVePSHkbXYE8zoDg53SBcHjMSidxE19x36Ru1xphRtJYaLT5AXxiqR9Yl
フィラエ島近辺で見つかっているようなので、おそらく移設前のイシス神殿のあたりにあったものかと思われる。
探索エリアはこのへん。
見つかっているのは今のところ、以下の王たちの名前の刻まれた記念碑。
トトメス4世、アメンホテプ3世(第18王朝)
プサメティク2世、アプリエス王(第26王朝)
アプリエスは日本だとドマイナーなファラオなのだが、旧約聖書にも登場する王で、バビロニアに協力を仰いだことからメソポタミア史の本にもチョイ役で一行くらいは登場していることがある。名前がギリシャ語っぽく聞こえると思うが、実際にギリシャ語名である。本来のエジプト語名はウァフイブラーもしくはハァイブラーなのだが、先に知られていたのがギリシャ語名だったため、慣例でギリシャ語名で書かれることが多い。
概要などは以下を参照。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_26th_05.htm
第26王朝は末期王朝の中では安定していた時代であり、前後の時代に比べて記念碑などの遺物が多い。
プサメティク王やアプリエス王の遺物はエジプトの北端でも見つかっているため、この時代はエジプト全土に王の権限が行き渡っていたんだなぁと改めて思った。
第18王朝は資料多めの時代なので、自分的には末期王朝時代の遺物のほうが気になる。イシス信仰に係る資料が出てくると嬉しい。
調査結果を正座待機します。(にこにこ)
1960年代までに、アスワン・ロウ・ダム(ハイ・ダムの下流に作られたダム)によって水没してしまった遺物を、ダイビングで改めて探してみたら、今まで知られていなかった第18王朝と第26王朝のファラオの石碑が見つかったよ。という話。
発表はエジプト政府(エジプト・フランス合同隊の成果)。
まだ「発見されたよ」までなので、解読結果などはこれから出てくると思う。
エジプト観光局のFacebook
https://www.facebook.com/tourismandantiq/posts/pfbid0eogCqdzRGVePSHkbXYE8zoDg53SBcHjMSidxE19x36Ru1xphRtJYaLT5AXxiqR9Yl
フィラエ島近辺で見つかっているようなので、おそらく移設前のイシス神殿のあたりにあったものかと思われる。
探索エリアはこのへん。
見つかっているのは今のところ、以下の王たちの名前の刻まれた記念碑。
トトメス4世、アメンホテプ3世(第18王朝)
プサメティク2世、アプリエス王(第26王朝)
アプリエスは日本だとドマイナーなファラオなのだが、旧約聖書にも登場する王で、バビロニアに協力を仰いだことからメソポタミア史の本にもチョイ役で一行くらいは登場していることがある。名前がギリシャ語っぽく聞こえると思うが、実際にギリシャ語名である。本来のエジプト語名はウァフイブラーもしくはハァイブラーなのだが、先に知られていたのがギリシャ語名だったため、慣例でギリシャ語名で書かれることが多い。
概要などは以下を参照。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_26th_05.htm
第26王朝は末期王朝の中では安定していた時代であり、前後の時代に比べて記念碑などの遺物が多い。
プサメティク王やアプリエス王の遺物はエジプトの北端でも見つかっているため、この時代はエジプト全土に王の権限が行き渡っていたんだなぁと改めて思った。
第18王朝は資料多めの時代なので、自分的には末期王朝時代の遺物のほうが気になる。イシス信仰に係る資料が出てくると嬉しい。
調査結果を正座待機します。(にこにこ)