史実と創作のはざまで許されることとは。「中先代の乱」と「逃げ上手の若君」

鎌倉と北条氏推しのマンガ「逃げ上手の若君」がアニメ化されてヒットしているようだ。
マンガはもちろん売れているだろうが、その原典(?)とでも言うべき本のほうも是非、書店の方は平積みにしていただきたい…封神演義のマンガがあたった時と同じで絶対売れるから…。

そう、主人公の北条時行をテーマにした一冊の文庫本が既に出てるのである。

中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢 (中公新書) - 鈴木由美
中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢 (中公新書) - 鈴木由美

しかもあとがきがコレ
うん、あれだ、とっても正直でいいと思います。 推しのために本を書いて知名度を上げるとかマニアの鑑。

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北条時行と彼の起こした戦いは、ほとんど記録がなく、マンガでもすでに言われているとおり、日本史を通史として見た場合は一行くらいしか出てこないマイナーな歴史事件&人物である。しかし、詳細に前後の流れを調べていけば変な妄想や創作を入れなくても、それだけで一冊の本ができる。ドラマチックではないかもしれないが、その時代を生きた人々の面影をうっすらと感じることが出来る。

そして、「史実として分かっていることはなにか」「議論の余地があるのはどこなのか」を前提知識として持った状態で創作物としてマンガのほうを読むと、「面白くするために設定を変えた部分はどこか」が分かる。また、議論の余地がある部分について、どう味付けしてキャラを組み立てたのかが理解できる。
なので、史実と創作は両方読んだほうがいい。物語の作り方や、歴史人物を創作で扱う上で最低限、気をつけておくべきところは何か、などが分かる。

特に日本史の場合、歴史人物の子孫や、直系ではなくとも血の繋がりのある人が現代まで生き残っているケースが少なくない。最も有名なところでは天皇家。中先代の乱には後醍醐天皇が深く関わっているが、マンガのほうではずっと御簾の中で威厳オーラを発しているだけの大魔王バーン様状態なのである。これはうまい演出だなと思った。天皇家はヘタに扱うと色々あるからね…。配慮はしつつ遠慮はしないためには、こういうのもアリ。
あと、どのキャラクターないがしろにはされていない、つまり明らかな憎まれ役やただ単に嫌なヤツという悪役は設定されていない。それがいい。
日本史の場合は、人によって推し武将が違ったりもするので、へたにペラい悪役は設定しないほうが無難なんだな、というのは一つの学びだった。
エジプトものの創作だと、自分の推しがクソみたいな悪役にされていてイラっとすることもあったので、悪役を設定しないという選択肢はとても良い。


あと史実では「敗戦のあと記録から消えるから、おそらく死んだ」とされる時行の叔父について、マンガのほうでは「記録から消えるだけだから実は生きてたかもしれんよ」に替えてある。これも、議論の余地がある範囲で巧いことやったなあと思った。

歴史モノである以上、歴史の大きな流れは変えられない。帳尻を合わせつつ、間の記録のない部分をいかにして組み立てるか。あまり詳細な行動記録のない人物のほうが想像の余地があるのは当然だ。
これは「ヒエトリエ」の主人公が、ディアドコイ戦争のゲームメーカーの中ではマイナーなエウメネスに設定されていることとも通じる。創作する場合、表舞台にずっと立ちっぱなしの人よりは、ときどき記録が途切れてるくらいの人が自由度が高い。

自分は、歴史モノの創作で対象となる人物について不勉強のまま、適当に空想で作られた物語は大嫌いなのだが、きちんと調べて愛着をもった上で創作された作品は大好物である。史実と創作の間で許されることは何なのか。ひとえに、「対象人物や時代について勉強してるかどうか」=「愛があるかどうか」、これに尽きると思う。

知名度ある人物をただ利用してやろうとしただけの、愛の足りない創作はだめなのです。そして過去の人々には、たとえ敗者の側であっても敬意を払うこと。これも大事な要素だよなと思う。


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英語タイトルがThe Elusive Samuraiになってて、るろ剣いらいのダサタイトルだな…とちょっと思ってしまった。
もうちょいなんかなかったの…か…。
逃げ上手の若君 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) - 松井優征
逃げ上手の若君 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) - 松井優征