博物館の収蔵品を処分しようとして非難殺到→たぶん図書館の蔵書を処分するときに文句言ったのと同じ層だな…

奈良の県立博物館が収蔵品を処分するとしたことに対して、無責任に非難していた人たちがいて、ああーよくある実情を知らんのに騒いでるやつね、とスルーしていたのだが、ちょっとあまりにも現場に対する無礼がすぎるなと思ってきたので少し書いておこうと思う。

県立民俗博物館 山下知事“保存資料の廃棄も検討”
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20240710/2050016463.html

●遺物には「価値のあるもの」と「そんなに無いもの」がある
●管理には金がかかるため無限に保管は出来ない、永遠に増え続けていくものを溜め込めない
●遺物はどんなに丁寧に保管しても「必ず」劣化する


まずは、この三点を認識してほしい。
その上で、

文化遺産や遺物は、振り分けられた上で
不要なものは処分されるのが世界的に見ても一般的


という話をしたい。


もちろん、価値のあるものを間違えて廃棄しちゃったとか、それによって失われてしまった情報もある。
心配になる気持ちは分かる。

古代エジプトでいうなら、ジェセル王のピラミッド内から見つかったミイラの破片を処分してしまったのは大失敗だったろうなと思っているし、惜しいと思っている。アクセサリーだけ保管してボロボロの腕は廃棄しちゃったので、見つかったのがジェセル王だったのか、王妃や家族だったのか、はたまた後世のミイラが混入したものだったのか、何も分からなくなってしまった。

だが、それは、その当時の学者や学芸員の選択であり、選択されたこと自体が歴史である。
また感情を抜きにして考えるならば、当時のエジプトの博物館事情や設備を考えれば、そもそも保管していたところで現在まで残っていたかどうかは分からない。ボロボロになってもはや何の研究にも使えない状態になっていた可能性は高い。


発掘された品の場合、発掘されて世に出た時点から加速度で気に劣化が進んでいくのが一般的である。消滅までのカウントダウンが始まるのだ。
どんなに頑張って保管しても、発見された時とずっと同じままであることは絶対にない。
だから定期的な修復をしたり、高画質の写真で往時の状態を残そうとしたりする。カネと手間がかかるのである。そして当然、そのカネと手間は有限であるのだから、より重要なもの、有名なもの、価値のあるものに回される。

それ以外の品は廃棄されるか、倉庫に積み上げられたまま忘れ去られる。


エジプトの場合、廃棄対象の代表例はミイラだ。
ひとつ墓が見つかると何十体というミイラが見つかるが、まさかそれが全部、博物館で丁寧に保管されているなどとは思わないでほしい。全然スペースが足りないし無理。実際には、記者をよんでお披露目されたあと廃棄されているものもの多い。
たまにエジプトミイラから疾患が見つかった、というようなニュースを見かけることがあると思うが、疾患を見つけるために、ミイラを切り裂いたり解剖したりしていることもある。つまりそのミイラには、丁寧に保管される予定はない。

現実問題として、ミイラは、しばらく常温保存していると湿気を吸ってカビが生えてくる。もう一回冷たい砂の下に埋め戻すのでなければ、冷蔵庫にでも突っ込んどかないと保管できない。なので廃棄するしかないのだ。


忘れ去られるケースについては、大英博物館のような大手ですら起きている。
少し前に、職員によって保管遺物が盗まれて売りさばかれていたことが発覚したが、バレなかったのは倉庫に保管されて棚卸しされていなかったからだ。

大英博物館、盗難品は約2000点 一部は回収済み=理事長
https://www.bbc.com/japanese/66631724

また、目録化されていない遺物があるという話も書かれているが、これは大手に限らずどこもそう。
大英博物館はかつて、好古趣味の貴族からの寄贈をまるっと引き受けたりしていたことがあり、それが膨大なコレクションの源になっているのだが、引き受けた時期や量によっては目録が作られていない。自前で発掘を主導した遺物はわりと記録されているが、紛失されたものもある。

あとスコットランドのケースだが、目録に載っているけど再調査されないまま倉庫に埋もれてて、最近になって倉庫から「再」発見されたような遺物もある。重要なもので目録に載っていて、誰もが図録で一度は目にしていたような有名遺物でさえも、実物を調査しようと考える学者がしばらく出てこなければ、倉庫内で行方不明になることは在り得る。

19世紀にギザのピラミッドから発見され行方不明になっていた木片、「再」発見される
https://55096962.seesaa.net/article/202101article_24.html

これらは、理想論を振りかざす人が知らないか、見ようとしていない現実である。
博物館に興味があってニュースを見ているか、どういった運用で遺物が保管されているか考えたことがある人なら、頭ごなしな理想論など振りかざせない。どこの博物館も整理・管理のためのカネと人手、保管スペースの管理などに苦労しているのは知っているだろうから…。



そして、電子データでの保管をバカにする人も、現実を見ていないと言える。

以前、「シルクロード新世紀 — ヒトが動き、モノが動く —」というイベントの特別講演で、文化財の保存についての話を聞いてきた。文化財を保護したければ、誰にも見せずに保管するのが一番傷まない。しかしそれでは意味がない。ではどうするか、精巧に作られたクローン美術を展示してホンモノはバックヤードで保管するという方法もある。という話を聞いた。例として出されていたデジタルデータを駆使して作られたイミテーションの絵画は本物かと思うほど美しく、なるほどこれはアリだなと思った。
そういう使い方もある。

また、形あるものは、いつか失われる。古いものは劣化していく。デジタルデータは、今の姿を未来に繋ぐための手段でもある。
古代エジプトの遺物の場合、写真でしか残っていない遺物は多数ある。ツタンカーメンの盾をはじめとするツタンカーメン関連の遺物たちは、発掘されてからの100年で軒並み退色し、かなり傷んでしまっている。

よく図録などに載っている、ツタンカーメンの娘たちのミイラも現存しない。しないというか、ほぼ破片の状態まで崩れてしまった。
発見当時の、産毛まで確認できる美しい姿は写真の中でしか見ることは出来ない。デジタルデータがあったからこそ情報が失われずに済んだ。


それから、考古学の基本として、「発掘したら劣化する」「発掘の過程で失われる情報もある」「技術が進めば分かることは増える」は前提なので、基本、遺跡は全部掘らない。できるだけ掘る範囲を少なくして、トレンチと呼ばれる細いエリアだけ掘ったり、遺跡の一定の面積は手つかずのまま未来に残したりする。

そういう残し方の出来ない民俗遺物などは、同じようなものであればいい状態のものだけ残してあとは処分とか、写真やデータだけ残すというのは普通に選択肢としてはアリ。古民家だって、貴重なものとはいえエリアに十軒も二十軒も残しておくものではない。あと貝塚とか、何十箇所も貝塚残しててもしょうがないというか邪魔になってしまうので、代表的なものだけ残してあとは開発するのも現実的な選択。
土器の破片や、同じような石器ばっかり何トンも保管していても、なんの研究の役にもたたない。そんなものの管理と整理に無限の手間をかけてはいられないし、それだけで倉庫を埋める余裕はない。もっとほかのことに手間暇をかけたほうがいい。

当たり前の話なのに、悪意のある情報の流し方されて釣られる人は絶えない…。


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で、個人的に思うのは、こういう件でいちいち噛みつくのは、図書館の蔵書を捨てるというニュースが流れたときに怒っている人と同じ層ではないか、ということだ。
私自身、図書館はヘビーユーザーだが、蔵書を捨てることには賛成である。もちろん、捨てられたら困る稀覯本もあるが、それ以外の本は定期的に捨てて新しいものを入れてもらわなければ困る。

図書館の本は捨ててもいい。図書館は無限の蔵書庫じゃないんだから
https://55096962.seesaa.net/article/201705article_4.html

古い説しか載っていない本とか、ボロボロになってしまった本とか、捨てて今の本に入れ替えるのは当たり前。
で、何を捨てて何を残すかは、その図書館の職員の人たちの選択であり判断。博物館における学芸員の役割と同じ。

その施設を実際に利用していれば実情が見えるはずで、お門違いの理想論を声高に叫ぶなんて出来なくなる。
今の時代のSNSなんかだと、正論っぽいことを偉そうに言ってイイネがいっぱいつけば勝ち、みたいなとこがあるけども、そういうんじゃないんだよ。こっちは自分の利用する施設が持続可能かどうかと快適に使えるかどうかが判断軸だよ。ふだん使ってもない施設に門外漢が噛みついて話をややこしくんすんのやめてくれよ。

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あと、冒頭の話題の発端となっている話、捨てられる対象は「農具」だが、騒いでいる人たちのうちどれだけの人が、実際に、博物館で古い農具を見たことがあるのか。
私は当然ある。あるからドヤ顔で言っている。
直近だと、震災復興祈願のお布施観光で富山に行ったとき、高岡市立博物館(なんと入場無料! 漆器もさわれる!)で昔の農具で遊んできた。

高岡市立博物館
https://www.e-tmm.info/

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だが、この博物館、無料なのに入ってる人は少ないし、廊下の端っこに置かれている農具のコーナーは、しばらく滞在してても全く人が訪れなかった。
「天穂のサクナヒメ」に出てきたアレとかアレとかもあるのに…。写真とりまくってるの私だけだった…。

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この農具だって、同じようなのがいくつもあったら、いいやつ一つ残してあとは廃棄って判断になるのは当然だと思う。
資料としては一つあれば十分だし、ほかの博物館に同じようなのがあるならこのスペース別のものに使ったほうがいいだろうし。そもそも不人気っぽかったし…。近くの学校とかで教材に使ってくれてるなまだいいんだろうけど。

言いたいことは、文化財が捨てられることが嫌だというのなら、それが重要なものだというのなら、まずは現地に言って見て、触れて、どういうものなのか理解するところからでは? ということ。
それから、価値や歴史的な意義を考えてみては。

遺物を保管するのって、まさにそのためなので。