古代エジプトの石材の切り出し方 「木の杭に水を掛けて割った」はあまり正確ではない。

古代エジプトの石材の切り出し方、なんか「木材に水を掛けて膨張させた」「杭を打ち込んで割った」という話を書いてる本をいまも結構見かける。たぶん、想像されているのは↓こういうシーンだと思う。

how-pyramids-were-built--egypt-pyramids.jpg

でもこれ、もう古い。
古いというか、くさびを打ち込んで石材を切り離す手法自体は確かにあったのだが、これだけで石が割れるはずがないんである。…いや、普通に、そのへんの石灰岩とか砂岩でやってみればいいと思う。こんな簡単にブロック出来ないから…。

実際には、石の周りに溝を掘り、最後に残した部分だけ、くさびを打ち込む方法で切り離していた。
そして、その溝の部分は、より硬い岩で作ったハンマーで掘っていた。
石材と銅とか使えなかった時代には、溝の幅は人間の体が入れるくらいの幅広なものになりがちで、より安価な鉄が大量に使えるようになると、溝の幅も減ってくる。

「大英博物館 古代エジプト史」から、石材の切り出し部分の文章は以下のようになっている。

34771.png

大英博物館 図説 古代エジプト史 - A・J・スペンサー, 近藤 二郎, 近藤 二郎, 小林 朋則
大英博物館 図説 古代エジプト史 - A・J・スペンサー, 近藤 二郎, 近藤 二郎, 小林 朋則

この文章に近い図が、以下になる。

245509.png

※出典元「エジプト・アコリス遺跡のニュー・メニア採石場址N区に残る巨石に関する一考察」
https://www.arch.kyushu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/04/27.pdf

アコリスの事例はプトレマイオス朝時代の採石場跡だが、石材切り出し方法自体は新王国時代には既に確立されている。
有名どころでは、未完成のオベリスクで有名なアスワンの採石場。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E5%AE%8C%E6%88%90%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF

このオベリスクの周囲に掘られた溝が、まさに石を切り出すさいに「コの字」に削り込まれた部分。底面だけ少し残しておいて、最後にそこに楔を打ち込んで切り離す。
石を削り込むために使うものは、硬い石である。これは、採石場にはよく落ちている丸い石だ。最初から丸かったわけではなく、何度も石に叩きつけているうちに丸くなったと考えられる。両手で持って叩きつける。
金属製のノミや木材は補助。

ていうか木材に乏しい地域だし、金属はそもそも高級品。大量の労働者を一気に働かせるからには、安価かつ安定して手に入る簡単な道具を使わないと、道具不足で作業が止まっちゃう。一番たくさん出てくる道具は、そのへんにある「硬い石」なのだ。

Obelisk-Quarry,-diorite-ball.jpg

採石場には、「xx日ここまで」のように作業量の線が記載されていることが多く、何人でやったかは不明だが、「ファラオの形象」(渉文社)に出てくるクルナの新王国時代の採石場では、一日20センチくらいずつ掘り下げていった痕跡があるらしい。なお、この本にも採石場の写真や石を切り出すための溝の掘り下げ方の図は出てくる。

ファラオの形象: エジプト建築調査ノート (知の蔵書21) - 西本 真一
ファラオの形象: エジプト建築調査ノート (知の蔵書21) - 西本 真一

というわけで、古代エジプトの石切りのやり方は、

・硬い岩を使って石を削り、一部だけ残して溝を掘る
・残した部分を最後に切り離す
・切り出したブロッグを運搬


という流れ。
メインの工具は そのへんの硬い石 である。


ただし、このやり方は石をかなり無駄にする。というか溝の部分の石が大量の石の破片として残る。
採石場の削られた面積に対し、実際に使えた石のブロックの量が少なくなるのだ。

古王国時代の話になるが、かつては、ピラミッド近くの採石場から切り出された石材量とピラミッドの堆積があわないのでは、などという話もあったが、ピラミッド内部は意外とスキマが多く、スキマに砂や石片を詰めていることが分かってきたので、いまなら体積量の計算は合うのかもしれない。
あと、ピラミッドを作る時に作られた、石を運び上げるための傾斜路、採石場から出た大量の瓦礫を使ったのでは? という話もあったりする。

このへんふまえて再現画像とか描いてくれると大変ありがたい…(ちらっちらっ
日本語資料もあることだし、新しい資料使ってほしいなあ…(ちらっちらっ