北アフリカ(マグリブ)の先住民について「ベルベル人ー歴史・思想・文明」

まず前提となる「マグリブ」という土地について。この↓範囲である。
北アフリカといってもエジプトのあたりは入らず、サハラより北側の海沿いの地域。ここは、北と西を海に、南と東を広大な砂漠に隔てられた環境である。おそらくサハラが乾燥化した時代に、降水量が比較的多めの海沿いに移動してきて集団を形成したのだとされる。エジプトは入らない。
…エジプト入らないのに何でベルベル人について調べてたんだよ、という話はあとで説明する。

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というわけで、読むもんないかなと本屋を漁ってたらベルベル人の本があったので、あるんかーい! って読んでみたのだ。
いやまさか、こんなニッチなとこあるとは…さすがクセジュだぜ。日本人でここの地域に興味ある人なんてそんなにいない気がするんだけどな…?

ベルベル人:歴史・思想・文明 (文庫クセジュ) - ジャン・セルヴィエ, 私市 正年, 白谷 望, 野口 舞子
ベルベル人:歴史・思想・文明 (文庫クセジュ) - ジャン・セルヴィエ, 私市 正年, 白谷 望, 野口 舞子

ベルベル人とは、北アフリカのマグリブ/マグレブと呼ばれる地域に暮らす先住民族の総称である。
いちおう共通する言語や文化はあるのだが、細かく部族に分かれ、それぞれが独自性を主張しあっている。これは、日本の地方の関係性に近い。
日本でも地方ごとに方言があり、それぞれの地域ごとに独自の風習や料理があるだろう。ベルベル語の部族ごとの方言や文化の違いは、その感覚に近い。日本は山がちな土地だが、ベルベル人の暮らしている地域も平野ではなくどちらかというと山岳地帯。そして、日本は四方が海に囲まれていて隔絶されていた時代が長いが、ベルベル人の暮らす土地も、海と砂漠によって、まるで孤島のように隔てられてきた。それゆえに、アラビア語で「日の沈む島」という意味の「ジャズィーラ・トゥル・マグリブ」と呼ばれたのが、現在のマグリブ/マグレブの呼び名の起源である。

ただ、注意しなければならないのは、この「島」はかなり早い段階から撹拌を受けているということ。
この本の最初の部分にも出てくるが、多くの外来人がやってきて混血・混淆した歴史を持つ。つまり古代から変化なく継続している「ベルベル人」という単一民族は存在しない。

伝説で語られるエジプトからやってきた追放されたファラオ。エーゲ海からやってきた民族。隣のリビア砂漠を越えてきたリビア人。ポエニ人。ペルシア人。ローマ人。そしてアラビア人。東地中海から移動した人々によるカルタゴはもちろん、北ヨーロッパからはヴァンダル人もやってきてヴァンダル王国を作った。
それが、この地域である。現代のマグリブに暮らす人々は、古代からそこに住んでいる人々の子孫であると同時に、歴史を通じて次々とやってきた人々すべてをシャッフルした状態でもある。

これは、エジプトも同じ。やって来た民族のメンツもだいたい同じ。
エジプトにはヴァイキングは来なかったが、モンゴル人は一部やって来た。あとケルト人も(おそらく傭兵として)来てた。そのくらいの微妙な差である。

つまり、「ベルベル人とは何者か」については、「大元は古代から北アフリカに暮らしていた先住民。その人々をベースに、歴史を通じてマグリブにやって来た人々と混血していった民族」としか言えない。単一民族とか、古来からずっと変わらず血統を受け継いできたとかいう状態ではない。少なくとも何千年も前から民族移動で血がシャッフルされてきたのは間違いない。

これは、同じ先住民でも、ほんの500年ほど前まで混血のなかったアメリカ大陸や、もっと近代まで外界との接点があまり無かったオーストラリア大陸とはかなり事情が違う。
マグリブはアフリカの中でも人の行き来の激しい地中海世界の一部であり、文化としては「アフリカ」カテゴリというよりは「地中海沿岸」カテゴリに入ると思う。

*****
と、ここまでが前段。
そもそもベルベル人になんで興味があったかというと、少し前にこんなニュースが流れていたからだ。

アルジェリアに古代エジプト王ショシェンク一世の像が立ち、物議をかもす
https://55096962.seesaa.net/article/202101article_12.html

第22王朝のファラオのひとり、ショシェンク王(かつてはシェションクと読まれていたが、その後、読み方が変わった)はベルベル人だった、と言い張って像を建てちゃったのである。
いや、何でこれアリなんだよ。なんで誰も止めなかったんだよ。と思っていたのだが、なんとなく理由が分かった…
ベルベル人自身の伝説の中に、エジプトからフェラウン(ファラオ)が落ち延びてきて5つの部族の起源となった、というものがあるんだ…。

リビア砂漠を越えてエジプト方面から王家の血を引く"誰か"がやって来て部族を創始した、という話だけなら、どこの文明にもよくある貴種流離譚、外来貴種の雛形どおりである。その”誰か"がエジプトのファラオだった、という正体づけの部分だけは後世に作られた話とも考えられる。まあマグリブより東から貴い血筋の誰かを連れてこようとすれば一番近いのはエジプトなんで、話の箔付けとしてはアリだろう。
ただ、当然ながらこれは歴史的に証明は難しい。義経がモンゴル行ってチンギス・ハンになったという伝説くらいの信憑性でしかない。

あと、ベルベル語が古代エジプト語と関連するのかどうか、という言語学情の議論の根底にある概念もなんとなく分かった。
古代エジプト語とナイル上流のヌビアの古語は関連しているし、リビアの古い言語とも関係がありそうなので、じゃあ隣のマグリブも関係してるだろ、人は移動してるし、ってことだね。ただ、マグリブには民族とともにいろんな言語が後から入って色々混じっているようなのではっきり系統が分からないらしい。


そしてもう一つが、7-8年前にツッコミを入れた「ラメセス2世はベルベル人に近いのでは」という話である。

ラメセス2世は「白い肌」? ここから始まる勘違いへの補足など
https://55096962.seesaa.net/article/201712article_18.html

ラメセス2世は「白い肌」という話の出所/ソースの検証
https://55096962.seesaa.net/article/201801article_2.html

そもそもミイラの肌の色やファラオの人種に言及するのは炎上確定のご法度レベルの話題で、当時はまだしも今やったらポリコレ関連で燃えカスになるまで燃やされるだろうけど、それはともかく、この時に思ったのは「ベルベル人」という概念があまりにも理解されていないということだった。

ここまで書いて来たとおり、マグリブ地域は歴史を通じて様々な民族・集団が次々と入植した土地である。ラメセス2世の生きていた3千年前のベルベル人は、その歴史の波を受ける以前の存在で、現在のベルベル人とは違う。
(というか、ベルベル人という名前自体、ギリシャ人が「言葉が通じない、バルバロイ」と読んだところから転嫁してつけられた名前なので、ギリシャ人がまだ来ていない時代には、ベルベル人という呼び名すら存在しない。)

当時も散々ツッコんだが、現代のベルベル人と古代のエジプト人を比べても何の意味もない。単に自分の無知を晒してるだけなのだ。
言語はうっすらつながりがあり、エジプトから移住してきた人がいたかもしれないという伝説はあっても、それとこれとは次元の違う問題。

もしも今もこのトンチンカンな話を覚えていて信じている人に出会ったとしたら、今の私なら、当事よりさらに詳しく「何でそんな勘違いがう生まれたのか」「どこがダメなのか」を説明出来ると思う。