プレペチャ族とは何者か。崩れたピラミッドの話から辿るメキシコの先住民たち
メキシコにある、史跡となっている古いピラミッドが大雨で崩れた。というニュースを見かけた。
Ancient Pyramid in Mexico Damaged After Heavy Downpours
https://news.artnet.com/art-world/ancient-pyramid-mexico-collapse-rains-2523535
メキシコといえばアステカ文明。だが、形がアステカっぽくなくて、特徴的な段々がある。なんだこれ? と思ってよく読んだら、これはアステカに対抗していたプレペチャ族の築いたもので、いまから1000年以上前に作られたものらしい。(アステカは500年くらい前なのでそれよりもずっと前)
そして、プレペチャ族の子孫は、まだこの土地に暮らしているらしい。
アステカが周辺の小国を支配して帝国を築いたことは知っていたが、ここは征服できなかった国の一つなのだ。
プレペチャ族についての簡単な概要とかはWikipedia参照
Purépecha
https://en.wikipedia.org/wiki/Michoac%C3%A1n
彼らはメキシコ中部のミチョアカン州を中心に暮らしており、1525年に戦わずしてスペインの門下に下るが、その後、過酷な支配を受けて戦争になったとされている。
ここで思い出して欲しいのは、コルテスによるアステカ征服が、アステカの文化レベルが低かったとか、迷信に囚われたせいではなかった、という現在の定説だ。
https://55096962.seesaa.net/article/202102article_18.html
当時のアステカでは複数の都市国家が覇権を争いあっており、テノチティトランはその中で上位にあった都市国家になる。支配が崩壊したのは、下位の従属都市国家がスペインと組んで反逆したせいだ。つまり内紛に便乗して漁夫の利を得たのがスペイン。アステカと敵対していたプレペチャ族/都市国家Tzintzuntzan が最初スペインと組んだのは、「敵の敵は友」理論からだろうと思う。
ただ、スペインは最初から現地勢力は利用するだけだと思っていたので、結局は上手く利用されて、部族間のまとまりがなくなったところで各個撃破されてしまったのだ…。
彼らは、自身の歴史を文字記録として残していないという。なのでこのピラミッドが何のためのものだったのかいまとなっては不明。生贄の儀式に使われたか、他のアステカの遺跡同じく神殿を作ってたかしたのだろう、くらいしか情報がでてこなかった。
ただ面白いのは、口伝として残っている内容で、「征服者の来る前にも同じような災いが起こったが、それは Nana Kuerhaepiri [Curicaueri] 神とK’eri Kurikweri 神の不興を買ったためだ」と言われているところ。
天然痘や戦争などの要因で大きな人口減を体験したのは他の地域と同じだろうが、一部ではあっても口伝で古来の神名が残ってるのはいいなと思った。
調べてみると、ナナ・クエルハエピリ(クリカウエリ)というのは、近隣のマヤやアステカの神話で言う太陽神のようで、天と戦争の神とされていた。ただ、ケリ・クリクウェリについては検索しても何も出てこないので分からない。(スペイン語なら出てくるかも…?)
マヤ諸語も言語ごとに神名が違ってて覚えにくいのだが、アステカ近辺も部族ごとに独自神がいるんだなって気がついた。さすがにこれは資料探すの大変そうだな…。てか網羅してるような資料はあるんだろうか。
というわけで、中南米は「マヤ」とか「インカ」とか「アステカ」とかの大きな枠組みの下に、地域個別の部族文化があるんだよという話。
ほとんど研究されておらず、資料も出てないような地域もある。ただ、「そういうのがある」というということを知っていれば、見える世界の解像度はおのずと上がると思うのだ。
Ancient Pyramid in Mexico Damaged After Heavy Downpours
https://news.artnet.com/art-world/ancient-pyramid-mexico-collapse-rains-2523535
メキシコといえばアステカ文明。だが、形がアステカっぽくなくて、特徴的な段々がある。なんだこれ? と思ってよく読んだら、これはアステカに対抗していたプレペチャ族の築いたもので、いまから1000年以上前に作られたものらしい。(アステカは500年くらい前なのでそれよりもずっと前)
そして、プレペチャ族の子孫は、まだこの土地に暮らしているらしい。
アステカが周辺の小国を支配して帝国を築いたことは知っていたが、ここは征服できなかった国の一つなのだ。
プレペチャ族についての簡単な概要とかはWikipedia参照
Purépecha
https://en.wikipedia.org/wiki/Michoac%C3%A1n
彼らはメキシコ中部のミチョアカン州を中心に暮らしており、1525年に戦わずしてスペインの門下に下るが、その後、過酷な支配を受けて戦争になったとされている。
ここで思い出して欲しいのは、コルテスによるアステカ征服が、アステカの文化レベルが低かったとか、迷信に囚われたせいではなかった、という現在の定説だ。
https://55096962.seesaa.net/article/202102article_18.html
当時のアステカでは複数の都市国家が覇権を争いあっており、テノチティトランはその中で上位にあった都市国家になる。支配が崩壊したのは、下位の従属都市国家がスペインと組んで反逆したせいだ。つまり内紛に便乗して漁夫の利を得たのがスペイン。アステカと敵対していたプレペチャ族/都市国家Tzintzuntzan が最初スペインと組んだのは、「敵の敵は友」理論からだろうと思う。
ただ、スペインは最初から現地勢力は利用するだけだと思っていたので、結局は上手く利用されて、部族間のまとまりがなくなったところで各個撃破されてしまったのだ…。
彼らは、自身の歴史を文字記録として残していないという。なのでこのピラミッドが何のためのものだったのかいまとなっては不明。生贄の儀式に使われたか、他のアステカの遺跡同じく神殿を作ってたかしたのだろう、くらいしか情報がでてこなかった。
ただ面白いのは、口伝として残っている内容で、「征服者の来る前にも同じような災いが起こったが、それは Nana Kuerhaepiri [Curicaueri] 神とK’eri Kurikweri 神の不興を買ったためだ」と言われているところ。
天然痘や戦争などの要因で大きな人口減を体験したのは他の地域と同じだろうが、一部ではあっても口伝で古来の神名が残ってるのはいいなと思った。
調べてみると、ナナ・クエルハエピリ(クリカウエリ)というのは、近隣のマヤやアステカの神話で言う太陽神のようで、天と戦争の神とされていた。ただ、ケリ・クリクウェリについては検索しても何も出てこないので分からない。(スペイン語なら出てくるかも…?)
マヤ諸語も言語ごとに神名が違ってて覚えにくいのだが、アステカ近辺も部族ごとに独自神がいるんだなって気がついた。さすがにこれは資料探すの大変そうだな…。てか網羅してるような資料はあるんだろうか。
というわけで、中南米は「マヤ」とか「インカ」とか「アステカ」とかの大きな枠組みの下に、地域個別の部族文化があるんだよという話。
ほとんど研究されておらず、資料も出てないような地域もある。ただ、「そういうのがある」というということを知っていれば、見える世界の解像度はおのずと上がると思うのだ。