ヒッタイトの神像について~メソポタミアのは残って無いけどヒッタイトは残ってるなという話

古代エジプトの神々の姿は、壁画も神像も残っているので誰もがイメージしやすいと思う。
だが、メソポタミアの神像については、ほぼ残っていない。御本尊にあたる神像はもちろん、個人が身につけたアクセサリのようなものまで含めても限られた数しかなくて、印章に刻まれた姿など、限られた手がかりしかないのが現状だ。

その理由については、だいぶ前に調べた。

メソポタミアでは神像があまり見つかっていないが、その理由とは
https://55096962.seesaa.net/article/201410article_22.html

理由としては、以下が考えられるという。

・ベースが木製だったため腐敗して消滅した
・神像を財宝で飾りたてていたため、略奪の被害に逢った
・神像が都市の権威の象徴という役目を持っていたため、都市間の戦争で失われることが多かった
・神像の製作に王自らが関わるなど、個人が勝手に作れるものではなかったため絶対数が少なかった

だが、最近になって博物館の収蔵品リストをぼーっと眺めている時にふと気づいた…
ヒッタイトの神像はけっこう残ってるんだが??

メトロポリタンの収蔵品
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/327401

33656768.png

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/327438
3256524.png

サイズ的には小さく、紐を通すような穴が空いていることから装身具の一種と思われる。
ただ、神をかたどった像には違いないし、どちらも金を使っていて高価な品だ。これで残ってるってことは、「貴金属だったから略奪された」が主原因ではないと思った。

おそらく、「絶対数が少なかった」ということのほうが、残っていない大きな原因なのではないだろうか。
神殿に神像を置くことはあっても、護符などの装身具や、持ち運びのできる小型のものを作らなかったのでは?
各神殿に一体だけ置く御本尊のみ作る、その数少ない像をめいっぱい飾り立てる、他はナシ。というやり方だったとしたら、そりゃー残らないだろう。

それと、墓に何を入れるか、という文化の違いもありそうだと思った。
古代エジプトの神像は、祠堂に入れて持ち運びできる小型のものや、墓に納められたものが残っているケースも少なくない。ツタンカーメンの墓からも神像が何体か出てきている。
ヒッタイトも、装飾品としての神像を作る文化があったから、墓から出たものが残る。
メソポタミアはそもそも豪華な墓を作る風習があまり無いので、墓の出土品として神像が出てきた話を聞いたことがない。

材質だけでなく、このあたりの神像づくりの文化も関連してそうなので、そっち系の人は詳細に調べれば論文一本書けるのでは。