面白い本だが細部は眉に唾をつけながら「インカ帝国 歴史と構造」

新刊出てたのでとりあえず読んでみた。インカ帝国についての本。
わりと既存説に挑戦している内容の多い上に、かつて生きていたインカの人々に近い視点を探ろうとしている、考え方の面白い本だった。まあ読んで面白いのはいいんだけど、「これあってる? ほんとに?? 聞いたことないんだけど」みたいなのも多いので、自分としてきは、眉に唾をつけながら読んでいた。

インカ帝国-歴史と構造 (中公選書 149) - 渡部 森哉
インカ帝国-歴史と構造 (中公選書 149) - 渡部 森哉

アンデス文明はそれほど詳しくないが、何冊か本を読んではいるのと、実際に現地に行ったこともあるので、周辺知識はもっている。自分が新しいことを学ぶ場合の判断基準は、「権威のある人がどう言ったか」ではなく「自分の持つ既存知識との整合性が取れるか」「信じるに足る根拠があるか」である。整合性が取れない内容は、何かが間違えているか、情報が足りない。
この本の中にも、「その話が本当だとすると、他と整合性取れなくなるよ」という部分はあったので、そこは受け入れられなかった。

というわけで、自分的に引っかかった部分をいくつかピックアップしておく。
一つは、これまで言われてきたインカの王系統は実は根本から間違えていて、複数人が同時即位していた可能性がある、という内容だ。

一般には、インカ王は13人いて、この順序で即位したことになっている。サルミエントとバルボアの書き残した内容でだいぶ違うのを無理やり整合性取ろうとしているのだが、これでも矛盾はあるらしい

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出典元↓
インカ帝国 砂漠と高山の文明 (岩波新書) - 泉 靖一
インカ帝国 砂漠と高山の文明 (岩波新書) - 泉 靖一

で、今回の本に載ってたのがこれ。
インカ帝国の領土は「タワンティン・スウユ」と呼ばれ、クスコ中心に、ほぼ東西南北の四つの領域に分かれている。で、初代王をタテマエの支配者と抱く一つ以外の三つの地域では、それぞれに王がいたのだろうという。

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これは面白い説だし、同時即位という概念自体はアリだと思った。昔からインカ王の家系図がはっきりしないのは不思議だなと思っていたが、そもそも王家が複数あって、スペイン支配後にそれぞれに都合のいい家系図を残そうとして混乱が起きたんなら、記録から漏れてしまった王がいた可能性はあるし、最後の王であるワスカルとアタワルパの関係も、別々の地方で同時に即位していた王とするのは納得する。
三人の中で最も位の高い一人とその他二人、という配置になっていた説もアリだとは思う。

ただ、結果的にそうなってしまったのか、最初からそういうシステムとして作られたのかが考慮されていない。

そもそも王という言葉と役職が曖昧な概念すぎると思った。

古代エジプトの場合、王(ファラオ)は必ず一人であり、首都にいて、祭祀の頂点である。その下に、エジプト北部(ナイル下流=下エジプト)と、エジプト南部(ナイル上流=上エジプト)を統治する二人の宰相がいる。三人体制という意味では著者の言っているインカ帝国と同じだが、宰相は王ではない。両者の権限と役割は明確に区別されている。
ていうか王が同時に複数いたら指揮命令系統がおかしくなるし、インカ帝国という政体そのものが成り立たなくなってしまう。

そもそもインカを「帝国」と呼ぶこと自体がインカ帝国崩壊後に作られた概念だとする説もある。ただ、「帝国」という言葉を使わなかったとしても、絶対権力者を抱く王国、という概念は残るはずなので、そもそもインカは王国ですらなく連邦国家に近かったのでは? という疑問が浮かぶ。

帝国なり王国なりという政体を前提とするならば、王を名乗る人間が複数並び立つ状態は、一般的には分裂期とか混乱期とか呼ばれる。要するに「結果的にそうなっただけ」という一過性のものだ。恒常化すれば政体が崩壊する。
また、何をどうしてこの年表を組み立てたのかの根拠も書かれていないため、あってるのかどうかの判断もつかなかった。


次に面白いなと思ったのが、クスコ周辺の地名にアイマラ語がけっこう残っているということと、王の名前は公用語だったケチュア語だけで理解しようとすると難しい部分があるので別言語が入っているかもしれないという話。
インカは多民族国家であり、使われていた言語の数も多い。クスコ周辺は特に人の出入りが激しく、DNAや同位体測定の結果、各地から人が集められていたことが分かった、という研究を読んだこともある。↓

Inca Workers' Homelands
https://archaeology.org/issues/january-february-2024/collection/inca-workers-homelands/

ただ、そこから、インカの王族はアラワク語系のプキナ語を話していたはずだ、という話に飛躍する意味が分からない。
よりにもよってアラワク語系かい。元はカリブ海近辺の、南米でも北のほうで話されていた言語なのだが…。

著者は、インカ王族はアンデス東のアマゾン地帯とも関連が深かっただろうと考えているようだ。わざわざアンデス方面まで領地を広げているのは故郷に関連するからかもしれない。とまで書いている。
だが、単純に考えれば、アマゾン方面へのアクセスが必要だったのは、アマゾンの低湿地帯でしか手に入らない資源があったからである。動物か、木材か、その他の貴金属かは分からないが、物資調達には気候の異なる領地が必要となる。

よくインカは「垂直の文明」と言われるが、それはまさに、海抜0メートル地帯から3000mを越える高地まで、変化に富む気候を活かして、それぞれの標高に適した物資を手に入れていたことによる。

で、もう一つ、アンデスの住人は遺伝的に高地に順応した変異を持っている。
伝説通り、インカの王族の出身地がボリビアのティティカカ湖周辺だとすれば、そこは4,000,に及ぶ高地なので、高地順応しやすい変異を持っている確率が高まる。もしアラワク族の系統で元々低地に住んでいたのなら、たかが千年程度では変異は得られないので、そもそもクスコをはじめとする高地で暮らすこと自体が生存リスクになってしまう。

世界三大高地と人類の高地順応~高地の人々の高度順応戦略とその代償
https://55096962.seesaa.net/article/202001article_15.html

インカ王族が特殊な言葉を使っていたとしても、何もプキナ語とか持ち出す必要はないだろう。同じ日本語でも、戦前の皇室の人たちの使っていた言葉は全く分からない。玉音放送で昭和天皇が喋ってる内容は、文字に書き起こされたものを見てすら理解しがたく、まるで別言語のように聞こえる。王族には「王室ことば」があったのだろう、と理解したほうが妥当に思える。
また、王の妻たちは各地から輿入れしてきたいろんな部族の娘たちだ。王族の名前は、彼女たちの出身地にならってつけていたのでケチュア語だけではなかったのかもしれない。
ここを特定するのなら、もう少し根拠を出さないと難しいと思う。

(参考までに、岩波新書のほうに載っているアンデス山脈で話されていた言語リストはこんな感じである)

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あと、マチュピチュという地名の語源についての話は、2つ前の記事に記載したとおり。
「ピチュ」という単語に「鳥」「瞳」という訳を当てようとしているが、それだと山の名前としては不自然になってしまう。

他にもいくつか、引っかかったところや、根拠が足りないなと感じるところはあったが、とりあえず三箇所ほど上げておいた。

同じジャンルの本を何冊か読んでみて、互いの整合性を取ること。ツッコミ入れられるかどうか試みて、そのツッコミに反論できるほどの根拠が書かれているかを検討すること。これが自分の本の読み方である。誰が何を言おうと納得出来ないものはとりあえず保留でいい。前に進んでいれば、いつか、保留にしたものが「やっぱ違うじゃん」もしくは「あれ正しかったんだ…」と分かる日は、必ず来るのだから。