人類のオーストラリア遠征6万年前説はおそらく間違い。だが行程の一部は明らかに。
人類がはじめてオーストラリアに渡ったのはいつなのか。
かつては4万年前くらいではとされていたのが、現在では遺跡の調査や先住民のDNAの分析から、5万年までは確実に遡るとされている。この時代、オーストラリアに最も近い陸地はスンダランドと呼ばれるタイからインドネシア付近の島が合体した陸地で、その先は幾つかの島々を挟んでオーストラリアとなる。
一度として離陸が繋がったことはなく、それゆえ海を渡れない動物は相互に行き来が出来なかった。この相互行き来不可なラインを「ウォレス線(ウォーレス・ライン)」と言うが、船を作ることが出来た人類は、このラインを越えられる数少ない生き物の一種だったのだ。
で、2017年に出た論文だと「6万年前まで遡るのでは?」というものがあったのだが、その後の調査で、この年代は誤りとみなすほうが妥当、となってきているらしい。オーストラリア手前の島嶼地域の遺跡で5万5千年を遡るものが出てこないからだ。
2017年当事の論文↓
最新の研究に…追いつけない…! オーストラリアへの移住が6万5千年前まで遡る(かも)
https://55096962.seesaa.net/article/201707article_24.html
新説に対し検証がされて「やっぱ間違いでした」となるのは良くあることだし適切な手順である。
なのでこれ自体はいいのだが、追加研究として、「5万5千年前にはオーストラリア手前まで確実に来てた」、「しかも現地の環境に適応してた」というものが出ていた。
現地の環境に適応している、とは、定住し、現地で入手可能な資源だけで生活出来ていた、ということだ。
Human dispersal and plant processing in the Pacific 55 000–50 000 years ago
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/human-dispersal-and-plant-processing-in-the-pacific-55-00050-000-years-ago/49D5AEACCEA56622FEB88C0F248C63EE
調査されているのはMololo洞窟。島嶼部の洞窟で、ここは5万年~5万5千年くらいの生活痕が出ている。
ホモ・サピエンスなのかデニソワ人なのか、はたまたホモ・フローレスなのかといったところは特定されていないが、年代的にはホモ・サピエンスの可能性が高いかなと思っている。洞窟に残された手の痕跡からしても小型のホモ・フローレスではなさそう。
SAHUL(サフル)と書かれているのが、のちにニューギニア島とオーストラリアになる場所。
矢印が二本あるが、移住ルートに北回りと南まわりの二本が想定されているため。航海ルートと言い換えてもいい。
今のところ、北回りは6万5千~6万年前まで遡れるが、南まわりは4万4千年前までしか遡れず、おそらく最初の移住者は北回りルートを使っていただろうとされる。
これが洞窟の中の構造。古代人のマイホームだった場所。
ここからいろんなものが出てきている。
ここまで来られればオーストラリア目の前じゃん? と思うかもしれないが、忘れてはいけないのはアジアとオーストラリアは全く生物相が異なるということ。イノシシやシカの住む世界からいきなり、タスマニアデビルやカンガルーの済む世界にいって、ノーヒントで生きていけるわけがない。食える動物と食えない動物をどう判断するか。使える植物と使えない植物をどう見分けるか。気候が違えば生活スタイルも変わる。雨はいつ降り、どういう地形が住居に最適なのか。
古代世界の移住は未知の世界でのサバイバルに等しい。少しずつ知見を溜めながら環境に適応していくしかない。
というか、人間以外の動物は、その環境変化に適応出来なかったものが多い、という研究が最近出ている。
ニューギニア島までは、オーストラリアとアジアの生き物が混在した状態で生息することが出来ている。だが、そこから先へは進めなかった。
ウォレス線はどうやって形成されたのか。生物種の境界には「気候変動時の適応力」が関係するのでは、という説
https://55096962.seesaa.net/article/500147873.html
人間含め、アジアからオーストラリアに渡った動物はけっこういるのに、逆はほぼ無いのだ。オーストラリアで特殊化した生物は、全く異なる環境へ移住する適応力が弱かったのだろう。そして適応できた人間も、100年とか1000年とかでいきなり移住は出来なかった。
モロロ洞窟からは、現地の植物からとった樹脂を加工に使った痕跡や、コウモリなどの陸上生物を食べた痕跡、ウニなど海産物も利用していた痕跡などが見つかっている。それらは、1万年以上かけて蓄積された次のステップのための知見の積み重ねの証拠だ。食えるもの、利用できるもの、気候など、様々な知識を得て、人類はさらなる旅を続け、やがて新天地・オーストラリアへとたどり着いた。
なお、オーストラリアへの人類の移住と、5万年前の航海に関する資料は、こちらの本が良かったのでオススメしておく。
海の人類史-東南アジア・オセアニア海域の考古学- (環太平洋文明叢書) - 小野 林太郎
かつては4万年前くらいではとされていたのが、現在では遺跡の調査や先住民のDNAの分析から、5万年までは確実に遡るとされている。この時代、オーストラリアに最も近い陸地はスンダランドと呼ばれるタイからインドネシア付近の島が合体した陸地で、その先は幾つかの島々を挟んでオーストラリアとなる。
一度として離陸が繋がったことはなく、それゆえ海を渡れない動物は相互に行き来が出来なかった。この相互行き来不可なラインを「ウォレス線(ウォーレス・ライン)」と言うが、船を作ることが出来た人類は、このラインを越えられる数少ない生き物の一種だったのだ。
で、2017年に出た論文だと「6万年前まで遡るのでは?」というものがあったのだが、その後の調査で、この年代は誤りとみなすほうが妥当、となってきているらしい。オーストラリア手前の島嶼地域の遺跡で5万5千年を遡るものが出てこないからだ。
2017年当事の論文↓
最新の研究に…追いつけない…! オーストラリアへの移住が6万5千年前まで遡る(かも)
https://55096962.seesaa.net/article/201707article_24.html
新説に対し検証がされて「やっぱ間違いでした」となるのは良くあることだし適切な手順である。
なのでこれ自体はいいのだが、追加研究として、「5万5千年前にはオーストラリア手前まで確実に来てた」、「しかも現地の環境に適応してた」というものが出ていた。
現地の環境に適応している、とは、定住し、現地で入手可能な資源だけで生活出来ていた、ということだ。
Human dispersal and plant processing in the Pacific 55 000–50 000 years ago
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/human-dispersal-and-plant-processing-in-the-pacific-55-00050-000-years-ago/49D5AEACCEA56622FEB88C0F248C63EE
調査されているのはMololo洞窟。島嶼部の洞窟で、ここは5万年~5万5千年くらいの生活痕が出ている。
ホモ・サピエンスなのかデニソワ人なのか、はたまたホモ・フローレスなのかといったところは特定されていないが、年代的にはホモ・サピエンスの可能性が高いかなと思っている。洞窟に残された手の痕跡からしても小型のホモ・フローレスではなさそう。
SAHUL(サフル)と書かれているのが、のちにニューギニア島とオーストラリアになる場所。
矢印が二本あるが、移住ルートに北回りと南まわりの二本が想定されているため。航海ルートと言い換えてもいい。
今のところ、北回りは6万5千~6万年前まで遡れるが、南まわりは4万4千年前までしか遡れず、おそらく最初の移住者は北回りルートを使っていただろうとされる。
これが洞窟の中の構造。古代人のマイホームだった場所。
ここからいろんなものが出てきている。
ここまで来られればオーストラリア目の前じゃん? と思うかもしれないが、忘れてはいけないのはアジアとオーストラリアは全く生物相が異なるということ。イノシシやシカの住む世界からいきなり、タスマニアデビルやカンガルーの済む世界にいって、ノーヒントで生きていけるわけがない。食える動物と食えない動物をどう判断するか。使える植物と使えない植物をどう見分けるか。気候が違えば生活スタイルも変わる。雨はいつ降り、どういう地形が住居に最適なのか。
古代世界の移住は未知の世界でのサバイバルに等しい。少しずつ知見を溜めながら環境に適応していくしかない。
というか、人間以外の動物は、その環境変化に適応出来なかったものが多い、という研究が最近出ている。
ニューギニア島までは、オーストラリアとアジアの生き物が混在した状態で生息することが出来ている。だが、そこから先へは進めなかった。
ウォレス線はどうやって形成されたのか。生物種の境界には「気候変動時の適応力」が関係するのでは、という説
https://55096962.seesaa.net/article/500147873.html
人間含め、アジアからオーストラリアに渡った動物はけっこういるのに、逆はほぼ無いのだ。オーストラリアで特殊化した生物は、全く異なる環境へ移住する適応力が弱かったのだろう。そして適応できた人間も、100年とか1000年とかでいきなり移住は出来なかった。
モロロ洞窟からは、現地の植物からとった樹脂を加工に使った痕跡や、コウモリなどの陸上生物を食べた痕跡、ウニなど海産物も利用していた痕跡などが見つかっている。それらは、1万年以上かけて蓄積された次のステップのための知見の積み重ねの証拠だ。食えるもの、利用できるもの、気候など、様々な知識を得て、人類はさらなる旅を続け、やがて新天地・オーストラリアへとたどり着いた。
なお、オーストラリアへの人類の移住と、5万年前の航海に関する資料は、こちらの本が良かったのでオススメしておく。
海の人類史-東南アジア・オセアニア海域の考古学- (環太平洋文明叢書) - 小野 林太郎