大ピラミッド前の世界最古の港近辺から銅汚染の痕跡を発見。長年に渡る銅加工の証拠か
おさらいだが、古代エジプトでピラミッドが作られていた時代は銅が使われていた。(鉄器時代に入るのは1,500年ほど後)
銅はエジプトが実効支配をしていたシナイ半島で採掘されており、紅海沿岸で銅を運んだ港の痕跡と物資台帳のパピルスが見つかっている。おそらく、硬い石最後にを切り離す時の楔や石に彫り込む彫刻、木材加工の道具などに使われていたと思われる
そのピラミッド前の港、ナイル川からピラミッドのある台地へのアクセス場所に作られたクフ港と呼ばれている港近辺の土壌から、銅による汚染の痕跡が見つかったのだという。つまり港の周辺で銅加工の工房が長期に渡り稼働していた可能性がある。
5,000-Year-Old Copper Pollution Found near the Pyramids
https://eos.org/articles/5000-year-old-copper-pollution-found-near-the-pyramids
元論文
The construction of the Giza pyramids chronicled by human copper contamination
https://pubs.geoscienceworld.org/gsa/geology/article-abstract/doi/10.1130/G51965.1/645706/The-construction-of-the-Giza-pyramids-chronicled?redirectedFrom=fulltext
論文内の絵がちょっと小さくて見づらいので、他の論文で使われている図を持ってきた。
ギザのピラミッドが作られていた当時、すぐ目の前には、現在は枯れてしまったナイル川の支流が届いていた。
ただ、この銅加工の痕跡は、ピラミッド建造だけに関わるものではなさそうだ。
元論文のほうの以下の図を見る限り、ナカダ期(つまり最初の統一王朝が出現する頃)あたりから痕跡が出始め、ピラミッド建造が下火になっていく中王国時代の末まで続いている。
銅はエジプト国内のナイル川沿いでは取れない。上流のヌビア、もしくはシナイ半島が産地になる。ナカダ期にもう遠征していた or 別の方法で輸入していた可能性があるか、というと、一応ある。ラピラズリとかも出土しているので遠距離交易は出来た。でもその当時の銅で作られた道具の証拠が乏しいのと、まだピラミッドは作っていなかったので、何に使ってたのかがわからん。
中王国時代の痕跡はおそらく近辺に首都機能と首都に付随する工房があったためじゃないかな。メンフィスの金属加工工房。メンフィスの主神は創造神プタハで鋳造の神でもあるので、金属関連の工房が近くに集中してた可能性は高い。
あと、汚染の状況が紀元前1000年頃まで続いたとされているのは、まさにその頃に鉄製品の出土数が銅製品を逆転してトップに躍り出る時代で、確実に「鉄器時代に入った」とされる時代区分でもあるので、既知の歴史の流れとは一致している。
調査者は本文内で「探そうと思わなければ見つからない」と言っているが、確かに今までこんなの調査しようとはしてなかった。
面白い視点だと思う。
********
古代遺跡周辺の金属汚染の調査としては、以下のようなものもある。
これは鉱山の側で加工していたパターンで、おそらくこっちのほうが一般的。加工前の銅鉱石を運搬してから加工するよりは、製品化してから運搬のほうが効率的だろう。
なので自分は、ピラミッド沿いで見つかった加工の痕跡は、いったん製品化されたものの「再加工」、たとえば使っているうちにノミの頭が潰れて使えなくなった時に鋳造し直す、みたいな作業がメインだったのでは、と思っている。
古代の環境破壊;ティムナ渓谷の銅産業と周辺の森林の消滅について
https://55096962.seesaa.net/article/492035109.html
鉄器時代の開始についての資料は以下。何度か書いているとおり、東地中海における鉄器時代の始まりは、ヒッタイト滅亡とは連動していない。
鉄器が広まり始めた理由と技術の変遷/ヒッタイト崩壊後、真の鉄器時代に至るまで
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_10.html
銅はエジプトが実効支配をしていたシナイ半島で採掘されており、紅海沿岸で銅を運んだ港の痕跡と物資台帳のパピルスが見つかっている。おそらく、硬い石最後にを切り離す時の楔や石に彫り込む彫刻、木材加工の道具などに使われていたと思われる
そのピラミッド前の港、ナイル川からピラミッドのある台地へのアクセス場所に作られたクフ港と呼ばれている港近辺の土壌から、銅による汚染の痕跡が見つかったのだという。つまり港の周辺で銅加工の工房が長期に渡り稼働していた可能性がある。
5,000-Year-Old Copper Pollution Found near the Pyramids
https://eos.org/articles/5000-year-old-copper-pollution-found-near-the-pyramids
元論文
The construction of the Giza pyramids chronicled by human copper contamination
https://pubs.geoscienceworld.org/gsa/geology/article-abstract/doi/10.1130/G51965.1/645706/The-construction-of-the-Giza-pyramids-chronicled?redirectedFrom=fulltext
論文内の絵がちょっと小さくて見づらいので、他の論文で使われている図を持ってきた。
ギザのピラミッドが作られていた当時、すぐ目の前には、現在は枯れてしまったナイル川の支流が届いていた。
ただ、この銅加工の痕跡は、ピラミッド建造だけに関わるものではなさそうだ。
元論文のほうの以下の図を見る限り、ナカダ期(つまり最初の統一王朝が出現する頃)あたりから痕跡が出始め、ピラミッド建造が下火になっていく中王国時代の末まで続いている。
銅はエジプト国内のナイル川沿いでは取れない。上流のヌビア、もしくはシナイ半島が産地になる。ナカダ期にもう遠征していた or 別の方法で輸入していた可能性があるか、というと、一応ある。ラピラズリとかも出土しているので遠距離交易は出来た。でもその当時の銅で作られた道具の証拠が乏しいのと、まだピラミッドは作っていなかったので、何に使ってたのかがわからん。
中王国時代の痕跡はおそらく近辺に首都機能と首都に付随する工房があったためじゃないかな。メンフィスの金属加工工房。メンフィスの主神は創造神プタハで鋳造の神でもあるので、金属関連の工房が近くに集中してた可能性は高い。
あと、汚染の状況が紀元前1000年頃まで続いたとされているのは、まさにその頃に鉄製品の出土数が銅製品を逆転してトップに躍り出る時代で、確実に「鉄器時代に入った」とされる時代区分でもあるので、既知の歴史の流れとは一致している。
調査者は本文内で「探そうと思わなければ見つからない」と言っているが、確かに今までこんなの調査しようとはしてなかった。
面白い視点だと思う。
********
古代遺跡周辺の金属汚染の調査としては、以下のようなものもある。
これは鉱山の側で加工していたパターンで、おそらくこっちのほうが一般的。加工前の銅鉱石を運搬してから加工するよりは、製品化してから運搬のほうが効率的だろう。
なので自分は、ピラミッド沿いで見つかった加工の痕跡は、いったん製品化されたものの「再加工」、たとえば使っているうちにノミの頭が潰れて使えなくなった時に鋳造し直す、みたいな作業がメインだったのでは、と思っている。
古代の環境破壊;ティムナ渓谷の銅産業と周辺の森林の消滅について
https://55096962.seesaa.net/article/492035109.html
鉄器時代の開始についての資料は以下。何度か書いているとおり、東地中海における鉄器時代の始まりは、ヒッタイト滅亡とは連動していない。
鉄器が広まり始めた理由と技術の変遷/ヒッタイト崩壊後、真の鉄器時代に至るまで
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_10.html