下エジプトからサイス朝時代の天文台跡が見つかる。はっきり分かる天文台の発見は初めてらしい

下エジプトの、古代のブートの街付近の遺跡の発掘をしていたチームが、その遺跡は以前思われていたような神殿ではなく、天文台だったことを発見したそうだ。
根拠となるのは

・庭にデカい日時計が見つかった
・二つの塔が作られている
・天文観察に使うメルケトが出土している

など。

※メルケトというのは水平をとりつつ星を観測する道具、以下は今回の出土品ではないが、おそらく同じ形状ものが出ているはず

Merkhet_3.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Merkhet


基本的にすべての神殿は天文観察や時間・季節の観測を行っていたと考えられており、神殿に天文観察用の塔が併設されてることもあるのだが、天文観測を目的とした天文台施設だと断言されているのは確かに初めてかもしれないな…と思った。

'Everything we found shattered our expectations': Archaeologists discover 1st astronomical observatory from ancient Egypt
https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/everything-we-found-shattered-our-expectations-archaeologists-discover-1st-ancient-astronomical-observatory-from-ancient-egypt

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場所はココ。
現代の地名としてはKafr El-Sheikh、遺跡名としてはTell Al-Faraeen。どっちかで検索すると資料は出てくる。

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特定の神に捧げられた神殿と違っていろんな神の遺物が出てるというのも、天文台と判断された理由かも。
時代は紀元前6世紀、サイス朝(第26王朝)だという。プサメティク1世の像が出ているらしい。この頃はエジプトの首都はその名のとおり下エジプトのサイスにあり、サイスにいる王がナイル上流の、かつての首都だったテーベ近郊の勢力を支配していた。

古来、「時」を支配するのは王の特権であった。
新年がいつから始まるのか、一年のうちいつに何のイベントを設定するか。全土統一の暦の設定も支配者の特権である。
そして時を司る者は、時を正確に観測する者を抱えている必要があった。(通常は神官が兼任する)

なので、「時」の基準を決める天文台は、その時代ごとの首都の近くにあったと考えられている。
サイス朝の時代の天文台がサイスに近いブートで出土しているというのは、この仮説にも沿っていて妥当性がある。

天文台がどういう活動をしていたか、具体的な資料があまり無いので、遺跡の発掘が進んだらまとめて報告書出してほしい。めっちゃ読みたい。
生唾垂らしながらお待ちしてます…!