古代エジプトの「水売り」事情、砂漠の国では水汲み人は商売になるという話

日本では昔、「水売り」という商売の話がある。井戸が塩辛い、井戸が枯れやすいなどで良質な水にアクセスしづらい地域の人に水を売る商売があったという。水道の普及とともにこの商売は消えていくが、古代エジプトにも似たような商売があった。
あまり資料に登場することのない、空気のような職業だが、丹念に見ていくと「水運び人」は古代世界において確固たる一つの職業として成立していたことが分かってくる。

まず、いつもの前提として、エジプトは砂漠の国なので、ほとんど雨が降らない。
これを念頭に置いてほしい。

通年で水のあるナイル川から水を汲んでくるか、井戸で地下水を汲み上げるしかない。
ごく稀に突発的な雨が降ることはあっても、暑い気候ですぐに干上がってしまうか、降りすぎて鉄砲水になるかして、ほぼ利用不可である。
よって、街でも村でも、水路によって水を引き込むのでなければ、水の必要な場所には「必ず」人手による水の運搬が発生している。必ずである。


●貴族の邸宅の庭園の場合

これは以前、以下にまとめた。王宮や貴族の邸宅内で日常的に使われる水も、全て同じように雇われていた労働者が運んでいたと思われる。

古代エジプトの庭園と水汲み事情 ~貴人の庭はとんでもなく人手がかかるという話
https://55096962.seesaa.net/article/202007article_25.html


●一般の村の場合

今回取り上げるのは、デイル・エル・メディーナという川から遠い職人村のケース。
この村は王家の谷の入口に位置し、王家の墓を作る職人たちが王家からのお給料で暮らしている集落である。王家の谷は内陸の谷間にあるため、近くにある村もナイル川には直接アクセスできない。井戸を掘ろうとした痕跡はあるが村の近くで水はでなかったらしい。

この村の場合、専属の水運び人が6人ついており、1つの家庭に100リットル前後の水を毎日配給していた、という記録がある。つまり配給制。
100リットルは100キロなので、当然、相当に重たい。現代でいうと、山で見かける歩荷さんみたいな職業だったのだろう。余裕がある人は水の運搬にロバを使っていたようで、ロバの足りない分を人に借りたという記録も残っている。

また、村に貯水槽を作ってそこに水を貯めた可能性もあるらしく、その場合は、不定期に降る少ない雨を谷から引き込んで一箇所に集める、ペトラ遺跡に見られるようなタイプのものだったかもしれない。


●水を使う作業は川沿いで

水を大量に使うお洗濯は、洗濯人に依頼することで解決していた。つまり洗濯人という商売もある。
依頼した衣類はたいてい数日以内に返却されてきたらしいが、これはエジプトが乾燥した地域で乾かすのに時間がかからなかったのも関係しているだろう。
洗濯人は、定期的に各家庭を回って洗濯物を受け取り、川まで行って洗濯し、乾かして戻ってくる。移動するだけでも大変そうである。


●その他 水汲みのお仕事

川沿いに住んでいる人や、良質な水が湧く井戸が近くにある人は、水売りから水を買う必要はないが、自分で水汲みに行く必要はある。
これは現代の、水道がない国の人と同じである。そうした国では、日常の汲みは主に女性と子供の役割であり、古代エジプトでも同じだったと考えられる。
良質な木の乏しいエジプトでは、木の桶はほぼ作られなかった。水汲みは壺を使ったと考えられる。革袋だとあまり大きなものは作れないので水筒くらい。
ディル・エル・メディーナの場合、水の配給は「xx袋」の単位で記録されているが、これは穀物袋を単位に使っているためで、ニュアンスとしては「ガロン」単位、みたいな感じ。


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出典元

この本、誰か翻訳して出版するというと思うの。
エジプト創作する人はせめてこのくらい調べてからだよね…って感じの内容だった。読んどくと、だいぶ解像度が上がるよ。

Village Life In Ancient Egypt: Laundry Lists and Love Songs - McDowell, A. G.
Village Life In Ancient Egypt: Laundry Lists and Love Songs - McDowell, A. G.