クフ王の坐像はなぜアビドスから発見されたのか。制作年代にまつわる疑問も提起される

ギザ台地にあれだけデカいピラミッドを作っておきながら、クフ王の「完品の」像は、ほんの7.5センチほどの高さのちんまい像1つしか残されていない。
見たことある人は多いと思う。これである。

Kairo_Museum_Statuette_Cheops_03_(cropped).jpg

しかし、この像は他の王たちのように石材では作られていない。材料は象牙。そして発見地はギザより上流のアビドスである。
アビドスは古来より聖地で、ミイラづくりの神アヌビス神の本拠地。そして先王朝時代のマスタバ墓が並ぶ墓地でもある。だが、クフ王の時代にはアビドスに墓はつくられていない。

等身大の石像はギザに置かれていたはずなのにそれが発見されていないこと、発見されたのがアビドスで、しかも用途不明のやたら小さなものであること。
改めて考えると妙である。
そもそも小さすぎるので祠堂に入れて飾ることが出来ないし、紐を通すところがついていないので小型の神像のように持ち運びも出来ない。

というわけで、なんか今さらふと「この像ってどういう状況で見つかったんだっけ…」というのから調べていたのだが、予想外の情報が見つかった。

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・発見は1903年、発見者はフリンダース・ピートリ
・見つかった場所はアビドスの建物の遺構だが、その建物が何なのか確定されていない
・像が見つかったので「多分、神殿跡だろう」ってことにされた
・建物周辺からクフ王と同時代の第4王朝の遺物が出ていない(もしくは、可能性のあるものが幾つかという状況で証拠が乏しい)
・像がクフ王のものと特定されたのは像に刻まれている王名
・最近になってザヒ・ハワス博士が「この像は後世に王の威光にあやかるために作られたレプリカでは」と主張しており、作られた年代が議論対象になっている
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まさかの展開。
いやでも、調べたら疑問点はたくさんあり、この像がクフ王のものだとする根拠には怪しいところもある。


確かに出来はあまり良くない。顔とかぼやっとしてるし、体型もずんぐりしてるし。でもそれは材質の問題だと思ってた。
ただ、そもそもなんで石材で作らなかったんだ、から考え始めると、疑う理由はある。

ザヒ・ハワスは、この像が、古王国時代への憧れや古典回帰の傾向のあった第26王朝に作られたものではないかと考えているようだ。
ムチ(フレイル)の持ち方のポーズが後世のものになってる、とも言っている。そしてこの時代だとアビドスへの聖地巡礼が観光のように行われていたはずなので、見つかった場所は像の奉納場所だったのでは、と推測しているようだ。

https://gizamedia.rc.fas.harvard.edu/images/MFA-images/Giza/GizaImage/full/library/hawass_fs_mokhtar.pdf
2354663.png

ただ、この説明にも疑問が残る。
もし像の奉納場所だったなら、他にももっとたくさんの、同じような小型の像が見つかっていないとおかしい。また材質が高価な象牙(実際にはゾウではなくカバの牙を使ったアイボリーもあるが)なのも、庶民が奉納する素材じゃないなと思った。

もし、この像が第4王朝のものだとしたら、用途が分からない。神殿に安置する坐像は普通は石材だしもっと大きい。
もし、この像が後世のものだとしても、用途が分からない。お守りとして持ち歩くには手の込んだ細工すぎるし持ち運び用の紐を通す加工がされていない。

結局どっちにしてもスッキリしない。材料が有機物なんだから、放射性炭素年代測定は有効な気がするが、分析して決着つけてほしいなあ。


なお、クフ王の像で完品として残っているものは確かにこれ1つなのだが、完品でなければ幾つか残っている。台座に名前の刻まれたものは、日本のエジプト展で出品されたこともある。
要するに完品で残ったものが無いだけで、顔がないとか、足と台座の部分だけとかの像はあるのだ。まあ、何千年って前の像なので、そもそも残ってる他の王のほうが奇跡なのかもしれない。