タイトルのつけかたが秀逸「神聖ローマ帝国 『弱体なる大国』の実像」

タイトルの「弱体なる帝国」と帯の「強くない国家が長く続いたのはなぜか」というのが秀逸だった。
そして開いたとこにある「神聖でもなければローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」という18世紀の帝国評を見て、あっこれは分かってる人が書いてるなと思ったので読んでみた。ややこしい存在について綺麗に整理され、読みやすいしわかりやすい本だった。

神聖ローマ帝国 「弱体なる大国」の実像 (中公新書) - 山本文彦
神聖ローマ帝国 「弱体なる大国」の実像 (中公新書) - 山本文彦

まず、神聖ローマ帝国は何かというと、一言で言い表せない、「なんだかよくわからない政体」である。
歴史は850年ある。その中で有名なカノッサの屈辱や西洋史の暗部ヴェンデ十字軍、ルターの宗教改革、三十年戦争などなど、いろんな歴史イベントが散りばめられている。だが、全体を通してみるとイベントに統一性がない。時代ごとに政体の中身が違ううえに、国の本体と言うべきものがフランスなのかドイツなのかオーストリアなのかよく分からんのだ。

初代王カールはフランク王なので、現代でいうとフランス。
でも領地の大半はドイツだし、戴冠式の行われた都市など主要な街は現代のドイツ。
15世紀以降、長く皇帝位を独占したハプスブルグ家はオーストリア。
ハプスブルグ家が分裂してスペインも統治していたのでスペインも関係ある。
でもって「帝国」を名乗った根拠は、元々、皇帝がローマ王として教皇に戴冠させられていたことに由来するのでイタリアも重要。

一般的なイメージでは、神聖ローマ帝国はドイツとイコールで結ばれるが、実際はそう単純な図式でもない。少なくとも初期にはドイツよりフランスの色が強い。
帝国というからには皇帝の絶対的な権力はいちおう保証されているのだが、教皇や貴族によって下支えされている。選帝侯がいて皇帝を選挙で決めてたのも神聖ローマ帝国(末期)だ。皇帝っていうより諸王の中での筆頭という立場に近いのでは…? という感じもある。

そういうところが「弱体なる大国」なのだ。でもなぜか長い事生き残った。なぜか。

読んでて思ったのは、「強すぎないから生き残れたんだろうな」ということだった。
神聖ローマ帝国の領土は、現在の「ヨーロッパ」の多くの国々にまたがっている。現代の国境はわりと最近のもので、数百年前までこのへん全部まとめて一つだったのだ。

w3rtt8.png

この帝国の周辺には、イギリスやデンマーク、フランス(西半分)、ポーランドといった、並び立つ強国が揃っている。神聖ローマ帝国が版図の拡大を図り、危機感を覚えれば、周囲が結託してそれを防ぎに来る。適度に弱体でないとこのポジションで生き残れない。

あとオスマン帝国という共通敵が東に備わっていたのも大きいかな。実際、第一次・第二次のウィーン包囲の時には協力体制が出来ていたし。
この本を読んで改めて思ったのだが、東の帝国であるオスマン帝国は、神聖ローマ帝国の「対」とでもいうべき存在だと思う。オスマンもまた、性質を変え、弱体化しつつも600年の長きに渡り存続した帝国だった。

両者の本を読み比べると興味深いことに気づく。基本的に多産であり、多くの後継者たちが殺し合いをしたオスマンと、子供が夭折しまくり成人出来ないため後継者不足になっている神聖ローマ。
宗教縛りはゆるいオスマンと、異端の迫害に忙しく宗教による統一やバランスを重視する神聖ローマ。
選んだ道が尽く違う。そして、少しだけ長く生き残ったのはオスマン帝国だが、その最後はかつて神聖ローマ帝国の一部だった国々を含むヨーロッパによって切り裂かれるという悲惨なものだった。

両者の帝国運営は、どちらが良かったというわけでもない。ただ、タイミングの問題だったのだろうな…という気がする。間違いも正解もない、100年後や200年後からしか見えない結果もある。だからこそ歴史は面白い。