イースター島は「モアイ作りすぎて戦争して人口が減った」わけではなかった、という論文と最近のトレンドについて

最近の記事で、「モアイ像のイースター島、DNA分析で通説覆す 文明崩壊なかった?」というものが出ていた。
お約束のように「定説をくつがえす」と書かれているが、毎度おなじみのパターンで、5年位前からもう書き換わりつつあって今回のはダメ出しの論文なんスよ。

https://www.asahi.com/articles/ASS9C1V5MS9CPLBJ001M.html
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というわけで、元論文の簡単な概要と、ここまでの研究の軌跡をおさらいしてみたい。
まず、15年くらい前までの説では、イースター島はモアイ像を作るためにヤシの木を切り倒しまくって環境破壊し、人口が増えすぎたことによって飢餓や戦争を引き起こしたことでいったん文明崩壊したとするのが有力だった。
この崩壊は1600年頃に発生し、その後、18世紀にヨーロッパ人と接触した時点では人口が激減していたのだと考えられてきた。

だが、最近の研究では、そもそも島の食料生産キャパ的に人がそれほど増えることはあり得ないため、人口は元々数千人で遷移していたはずだと考えられるようになった。最近出た論文だと以下。
要するに、ヨーロッパ人が最初に島に訪れた時に見た「数千人」は、減ってそうなったわけではなく最初からそうだった、ということ。

ラパ・ヌイ(イースター島)の人口上限は3,000人~4,000人? 過去の研究の見積もりが多すぎた可能性
https://55096962.seesaa.net/article/503858794.html

ただし、人が住むことによって島の環境が激変したのは事実。花粉の研究などから、1500年~1600年頃にヤシの木など大型樹木の痕跡などが消えている。
その環境変化によって大型船の建造は出来なくなったかもしれないが、飢餓状態に陥るまでにはいってなかった、という話である。

なお、イースター島の住民がポリネシア系であることと、アメリカ大陸とも接触していたという話も、10年くらい前まではまだ懐疑派も多かったのだが、5年位前には既に定説化していた。以下は2020年の記事。

ヒトの進化:遠く離れたポリネシアでのアメリカ先住民との接触
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/13376


というわけで、今回の論文の話に移る。ネイチャーに掲載された元論文はこれ

Ancient Rapanui genomes reveal resilience and pre-European contact with the Americas
https://www.nature.com/articles/s41586-024-07881-4


今回の分析に使った「古代のラパ・ヌイ人」というのは、フランスの博物館に保管されていた古い人骨と歯だそうだ。19世紀から20世紀にかけて持ち出されたもののようだが、島のどこから持ち出したのかは不明。分析にあたり先住民の団体に許可はとったらしいので、人権関係はクリアされてる…はず。多分。(今はもう島から勝手に人骨持ち出したり出来ないからね…)

で、従来の定説どおり、祖先の90%はポリネシア系の遺伝子。ただ残り10%はアメリカ先住民、特に中央アンデス付近との繋がりが見られるという。これは、先祖が10人いたら、そのうち1人はアメリカ先住民だった、くらいの割合。面白いことにポリネシアにもわずかにアメリカ先住民との繋がりが見られる。海のハイウェイが太平洋を横断して繋がっていた時代があったのかもしれない。

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混血のあった時期だが、西暦1336年~1402年が確率 68.3%、1246年~1425年が確率95.4%と出ているので、2020年の論文にある「1200年ごろにポリネシアと南アメリカ先住民がやり取りしていただろう」という年代とも一致する。
さらに興味深いことに、接触した先が中央アンデスの住民とすれば、ポリネシアでのサツマイモの呼び名がケチュア語起源かもしれないという説とも一致する。

これは今後の研究が楽しみそうだな。


また、人口の極端な減少がなかったはずだという説、これは、分析された古代ラパ・ヌイ住民15人のゲノムが疎遠だったことから推測されている。一般に、人口のボトルネックがあると、生き残った少数の間で子孫を作るため遺伝子が均一化する。しかし15人はほとんど近親婚をしておらず、あまり近い親戚関係ではなかった。つまり遺伝子の多様性が保たれている=人口が激減してボトルネックになる状況は発生していなかった、と言えるわけだ。


というわけで、島の環境は人の居住によって大きく変化していたが、ラパ・ヌイ住民は、それに適応して普通に生きていた。島の文明を崩壊させたのは疫病を持ち込み奴隷狩りをしたヨーロッパ人と、ヨーロッパから南米への入植者たちだという結論になる。
モアイ像作りすぎて文明崩壊したとか、人口増やしすぎてメシが足りなくなって戦争したとかは、島の住民が原始的で愚かだと考えた差別的な見方だったのかもしれない。

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おまけ
その他の、これまでの研究に関する記事

イースター島住民は南米と物資の交換をしてたかもしれない、という研究
https://55096962.seesaa.net/article/502749879.html

解読の見込みのない「未解読文字」ロンゴロンゴ、その最近の研究について
https://55096962.seesaa.net/article/202107article_1.html

海を渡る人類 ~ポリネシア住民と南アメリカ先住民の出会いの証拠がまた一つ。
https://55096962.seesaa.net/article/202007article_7.html