「余剰作物」を作るキッカケは何だったのか、古代史の転換期について

かつて、古代史の世界において階級社会の誕生は、「農耕が始まり、余剰作物が生まれることによって生産に関わらない王や神官といった階級が生まれ…」という風に説明されることが多かった。最近では、各地の遺跡から古代世界の実態が分かってきたことにより、この単純化された見方も色々とツッコミが入り始めているが、ここでは古代エジプトの話に特化したい。

古代エジプト世界は、紀元前3,000年頃には王権が出現し、ほどなくして官僚社会も成立する。帳簿や国勢調査の証拠、組織立って動かなければ作れない巨大な王墓など、どれも特権階級の出現と、特権階級を養うための余剰作物の存在を示している。
だが、何がキッカケで特権階級が生まれたのかの部分が分かっていない。

というか、どの文明・どこの地域でもそうなのだが、何の理由もなく、余るほど作物を作るわけがないのである。
現代ですら、農耕は重労働だ。手間を考えれば、必要最低限だけ作りたい。余らせたら勿体なさすぎる。
食べる分だけ獲物を狩ればいい狩猟と違って、農耕の場合、余分が出るといことは、種を撒く段階で余分なぶんを撒いていることになる。
まとまった人数の特権階級を養えるだけの余剰があるということは、ちょっと余ったとかいうレベルではなく、明確な意思を持って、それなりの規模の「余り」が出るように耕作しているわけだから、そこに何か切っ掛けが必要になる。

で、古代エジプトの場合、その「切っ掛け」は、葬式などの儀式ではないかと思われる。
エジプトでは、約5,000年前のビール工房跡が幾つか見つかっている。規模からして、まとまった人数に振る舞うことを前提としていたのは間違いない。祝宴の可能性もあるが、エジプトでは葬式の際の共食の証拠があるので、葬式の時に提供された可能性が考えられている。

飲兵衛の道はオリエントより。エジプトで5,000年前のビール醸造所が見つかる。
https://55096962.seesaa.net/article/201807article_14.html

また、王墓に大量のお酒が収められていたことも分かっているが、この酒はワインなので、ワイン醸造のための作物を作っていたことも考えられる。酒だけ入れて食べ物を入れないというのも考えにくいので、残っていないだけで、お酒以外にパンや肉など他の食べ物も大量に収められていたかもしれない。

もしかして: 古代エジプト初代王、めっちゃ酒飲みだった
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_23.html

葬式は、いつ発生するか分からない。また、墓参りは葬式のあとから継続して行われる。
最初に「葬式用とご先祖用に余分を作って準備しておこう」という発想が生まれ、実際には生きた人間の腹に入らない「余剰」分の穀物を常に準備しておく習慣が生まれると、そこから葬送儀礼の専門家である神官などの階級が固定された流れは容易に想像がつく。古代エジプトにおける王の最初の役割が儀式を司るものだったこととも矛盾しない。

古代エジプトは、とかく墓にこだわる文明で、最初の大規模な遺跡としては、墓が圧倒的に多く残っている。
他の文明はともかく、エジプトの場合、葬送儀礼の発展を切っ掛けにして、余剰作物の生産と特権階級の誕生に繋がったというのはあり得るシナリオかなと思うのだ。