古代エジプトの生命のしるし「アンク」、その原型について
古代エジプトの生命のしるし「アンク」といえば、見たことある人も多いと思う。こういうやつ。お守りとか、何かのデザインとととかで使われているのをよく見かける。

この印、元がなんだったのか良くわからないと言われることがある。
有力な説としては、元々は「お守りとして使われていた紐の結び目」ではないかというもの。エジプトの歴史の初期の頃からあるが、初期のものだと元の形がわかりやすいのだという。
というわけで、この「アンク」の使用、どこまで遡れるのか探してみた。
結論として、第一王朝の四番目の王であるジェト王の墓から出ている櫛まで遡ることが出来た。コレ。

https://historicaleve.com/first-dynasty-of-ancient-egypt-pharaoh-djet/
この櫛は、カバの牙で作られた象牙製。セレクに囲まれた王命、左右に権力を意味するウアス杖、そして生命の印であるアンク、そして上部には翼を広げた日輪と、のちにエジプト美術のスタンダードとなっていく要素が既にある程度まで出揃っていることがわかる。この図だと、アンクの縦棒の部分が二本に分かれているので、たぶんリボンの結び目なんだろうな…というところまでは分かる。横線の部分の棒に結びつけていたのかもしれない。
ただ、このアンク、時代ごとに少しずつ形が違っている。
中王国時代以降に作られたものだと、横棒の部分が二段になっていて、横棒にぐるぐる巻き付けた部分がある。二本に分かれていた縦棒の部分は揃えられている。

さらに紀元後に入り、初期キリスト教のシンボルとして使われるようになると、横棒と縦棒の長さが同じにされ、コプト十字と言われるシンボルに変化する。

なので、最初期の発端はおそらくリボンで作った輪っかで合っていそうなのだが、その後の3,000年のどこかで、「元の形」として認識されたものが変わってる可能性も無くはないと思うのだ。
ともあれ、聖なる形とての「アンク」は、最初期の王朝から現代まで、悠久の時を越えて生き残った。一つの形がこれほど長く文明の中で使われ続けた事例は、それほど多くないんじゃないかな。

この印、元がなんだったのか良くわからないと言われることがある。
有力な説としては、元々は「お守りとして使われていた紐の結び目」ではないかというもの。エジプトの歴史の初期の頃からあるが、初期のものだと元の形がわかりやすいのだという。
というわけで、この「アンク」の使用、どこまで遡れるのか探してみた。
結論として、第一王朝の四番目の王であるジェト王の墓から出ている櫛まで遡ることが出来た。コレ。

https://historicaleve.com/first-dynasty-of-ancient-egypt-pharaoh-djet/
この櫛は、カバの牙で作られた象牙製。セレクに囲まれた王命、左右に権力を意味するウアス杖、そして生命の印であるアンク、そして上部には翼を広げた日輪と、のちにエジプト美術のスタンダードとなっていく要素が既にある程度まで出揃っていることがわかる。この図だと、アンクの縦棒の部分が二本に分かれているので、たぶんリボンの結び目なんだろうな…というところまでは分かる。横線の部分の棒に結びつけていたのかもしれない。
ただ、このアンク、時代ごとに少しずつ形が違っている。
中王国時代以降に作られたものだと、横棒の部分が二段になっていて、横棒にぐるぐる巻き付けた部分がある。二本に分かれていた縦棒の部分は揃えられている。

さらに紀元後に入り、初期キリスト教のシンボルとして使われるようになると、横棒と縦棒の長さが同じにされ、コプト十字と言われるシンボルに変化する。

なので、最初期の発端はおそらくリボンで作った輪っかで合っていそうなのだが、その後の3,000年のどこかで、「元の形」として認識されたものが変わってる可能性も無くはないと思うのだ。
ともあれ、聖なる形とての「アンク」は、最初期の王朝から現代まで、悠久の時を越えて生き残った。一つの形がこれほど長く文明の中で使われ続けた事例は、それほど多くないんじゃないかな。