聖遺物はカネになる。コンスタンチノープルの聖遺物事情と売却の経緯

少し前、「トリノ聖骸布が本物でないことは確定している」という話を書いた。
とはいえ、現存しないものも含めると、とにかく「奇跡さえ起きれば本物の聖遺物!」という風潮があり、13世紀くらいまでは権威のため聖遺物を欲しがる権力者がけっこういた。

「東方キリスト教の世界」(ちくま学芸文庫)によると、聖遺物 Relic(レリック) は、もともとラテン語 reliquiaeから来ているという。
古代ローマでは火葬されたあと残る遺灰のことだったが、キリスト教では火葬の習慣が亡くなり、遺体そのものがreliquiae となった。そこから、特定の人物や聖人の遺体がレリックとなり、さらに遺体だけでなく生前の持ち物や関連するものまでこの単語で呼ばれるようになった、という変遷を辿っているらしい。

なので、物体に神秘性を認めるという思想が根源にある。
ぶっちゃけこれ「天然石とか木とかに神聖さを感じる自然崇拝と根源一緒だよね」というツッコミも出来てしまうのだが、そういうツッコミは何故か起きなかったらしい。

東方キリスト教の世界 (ちくま学芸文庫) - 森安達也
東方キリスト教の世界 (ちくま学芸文庫) - 森安達也

聖遺物集めは、イエスやその弟子たちの行動圏だった近東を版図に収めていた東ローマ/ビザンツ帝国で盛んだった。11世紀から始まるコムネナ朝までには、その首都であるコンスタンチノープルには大量の聖遺物が集められていたというのだが、リストを見ると、ちょっと笑ってしまう。
1Pで収まらんほどの量! いやよく集めたなコレ。しかも同じのダブってても気にしなかったらしくて、「最後の晩餐」に使われたテーブルは2つあったらしい。…確かイギリスにアーサー王の円卓が幾つかあった気がするけど、発想一緒なんだ…w

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このリストを見たあとだと、「イエスの死体を包んだ布」=聖骸布なんていう発想が出てきた理由も納得だし、聖母マリアの乳に比べたら、まだ大人しいほうである。
ただし、これらの聖遺物はそのままコンスタンチノープルにとどまったわけではない。その後、13世紀にビザンツ帝国が財政難になると、大半は売り飛ばされる。フランスのルイ9世が大量に買い込んだらしく、この時から西洋に聖遺物が出回るようになる。
もともとコンスタンチノープルにあった「来歴あり」の聖遺物に混じって、ぽっと出の「来歴なし」のも混じって出回るようになるが、聖骸布は後者のほう。今と違って博物館が写真いりの収蔵品カタログを出しているわけでもないので、いつからあったのか、元はどこの誰が所有していたのか、売り手がそれっぽいことを言ったらもう分からなかったに違いない。

そして、この時代までは、聖遺物は「カネになる商品」という認識だったのだ。聖遺物が本当に奇跡を起こす品だったのなら、奇跡をカネで買ってたことになる。まあうん、のちの宗教改革とか教会の腐敗とかにつながる筋道もお察しください。



というわけで、聖遺物探しがブームだった時代があり、かつては、聖遺物にはものすごいバリエーションがあったのだということ。
箔が付いてれば高値で売れたこと。これらをうっすら覚えておくと、中世(11-13世紀あたり)のヨーロッパ文学でやたら聖遺物が持て囃される理由とかも、見えてくるんじゃないかと思う。