メキシコ先住民の生活誌「エル・チチョンの怒り」、アメリカの不法移民事情について
「エル・チチョン」というのはメキシコにある火山の名前。1982年に噴火したが、その事件がタイトルとなっている。
ずいぶん前の話だなと思うかもしれないが、この本は実際にその頃からメキシコ南部の先住民の村で民俗的な調査をしていた話を取り扱っている。そして、増補版が出たのが最近のこと。
つまり、この本は、メキシコ南部の村の生活がどのように変化していったかを、およそ40年分も記録した貴重な内容となっている。
増補 エル・チチョンの怒り: メキシコ近代とインディオの村 (岩波現代文庫 学術 427) - 清水 透
1982年、日本は高度成長期のあと、絶頂のさなかにあった頃である。バブル景気が1980年代後半から。バブル崩壊は1990年代半ばごろから。
40年の間に日本が経験した社会の変化を考えれば、メキシコ南部の村に押し寄せた変化も想像はつくと思う。一括りしてしまえば「近代化」、そして「伝統の変化」。
かつてはプロテスタント系に改宗すると村から追い出されていたが、今では村の半数がプロテスタントのところもある。
かつては長老や村の顔役が権力を握り、逆らう者は殺されることさえ有り得たが、若手はそうした支配に反発するようになった。そして村を出て移住していく者、特に、一攫千金を目指してアメリカを目指す者が多いという話。
前半の伝統の変化話は他の本でも似たような話を読んだことがあるのだが、後半の、増補として書き足された最近の話がなかなか興味深かった。
アメリカと不法移民(=メキシコの貧しい地域から国境を越えてゆく若者たち)の話である。
最近では、ヨーロッパも移民問題で揺れている。
不法だろうがなんだろうが移民に賛成している人たちは、たいてい、食うに困らない富裕層である。これはどこの国でも固定化されている。
そして、よく言われるとおり、安い賃金で使い倒せ、何の保証もしてやる必要のない不法移民は、富裕層にとっては便利な奴隷である。
仕事を求めて移住するメキシコ人たちの扱いは、まさに奴隷そのものだった。
自分たちの意思で、しかも借金してまで揃えた金を斡旋業者に支払っているだけ、まだ昔の奴隷制よりタチが悪い。道中で死ぬ者も多い。うまく国境を越えられたあとは、狭いトラックにひしめくようにして積み込まれ、「現代の移民船」で各地へ送られていく。
一攫千金を夢見てやってきた奴隷たちの前に立ちはだかるのは、実際には大して儲からないという過酷な現実。最低賃金の日雇労働者として生きるしかない。現代なら、ウー●イーツ配達員とかが当てはまるだろうか。貧困者のための炊き出しがあったり、支援団体が事務所構えていたりするので、アメリカとしてはそういう人たちの存在は当然、知っている。
だが、国境は厳しく監視するもの、いちど入り込んでしまった不法移民を洗い出して追い出すことは、しないのである。
密入国は大変だが、一回入ってしまえばあとは中で好き放題に動き回れる。
そして帰国したいとなれば、特にペナルティもなくすんなり帰ることができる。(メキシコ側も何も言わない)
なかなかのザルである。
著者は、「アメリカは、そうした労働者を社会構造的に必要としているのかもしれない」と書いているが、自分もそう思う。アメリカも、ヨーロッバも、いまだ奴隷を必要としている社会なのだと思う。移民たちは出身地が近い者どうし集まってコロニーを作る。貧困コロニーの住民は貧困から抜け出せないまま終わる。
貧富の差がとてつもなく大きく、人種によって社会階層が分かれている。
階層の間の壁は昔に比べたら低くなっているのかもしれないが、それでも…という感じだ。
移民たちは、リーマンショックで不景気になったあたりで日雇いの仕事がなくなって稼げなくなり、多くは帰国したという。
また、2020年にはコロナ禍の影響も受けたという。実に不安定な身分だ。景気に左右され、何の保証もなく生きている。コロナ禍のあとは、インフレにも悩まされただろう。
月なみな感想になってしまうが、新大陸における奴隷制は、実際にはまだ終わってはいないのだろうなあと思う。
スペインから来た支配者たちに搾取されていた時代も、アメリカに出稼ぎに出て白人系の雇用主に使われる時代も、やってることは同じ。
ただ、もっと遡れば、マヤやアステカの支配者たちも民衆を支配し労働力の搾取はしていた。これを地域の伝統と見なし受容してしまっていいものか、根幹から変わるべきものと考えるものなのかは、悩ましいところである。
*****
ちなみに、中の人、大学卒業したすぐの頃に日雇い労働をしたこともある。
なので、本の中に出てきた日雇いの悲哀も少しだけ分かる。
当時は不景気で新卒の給料がクソだったこと、独立して親からの仕送りがなくなったのだが遊ぶ金欲しさ(ネトゲ用にゲーミングPC資金)に副業が必要だったのである。当時はインターネットで日雇い募集とかはなかったので、駅に置いてあったバイト募集雑誌とかで探して行った。やったのは、限定フィギュアの詰替えをする作業である。なんか台座と中身をテレコにして出荷しちゃったのを倉庫内で手作業で直すというやつだった。
休日に、指定の駅前でまちあわせ。集められた労働者がバンに積まれて目的の倉庫へ。
1日1万円、電車代支給なし、昼飯は自腹。倉庫で朝10時くらいから働き始めて17時くらいには終わったが、20人くらいいたメンツの2-3人はタバコ休憩が長くほとんど働いていなかったし、手際のいい奴と不器用すぎてヤバい奴の差が激しかった。結局、交通費とかを抜いて8000円くらいにはなった。
労働内容はチョロいのだが、とにかく集められたメンツがヤバすぎて(まともに社会生活送れてなさそうな人もいた)、これならコンビニのバイトとかスーパーのレジ打ちのほうがまだ気楽だよなあ…と思ったのは覚えている。
社会勉強としてやる以外はオススメしない。普通に就職できるレベルの社会性があるなら日雇いじゃないバイト先を探したほうがいい。ただ、不法移民の場合は、それさえ出来ない状況なんだろうな…。
ずいぶん前の話だなと思うかもしれないが、この本は実際にその頃からメキシコ南部の先住民の村で民俗的な調査をしていた話を取り扱っている。そして、増補版が出たのが最近のこと。
つまり、この本は、メキシコ南部の村の生活がどのように変化していったかを、およそ40年分も記録した貴重な内容となっている。
増補 エル・チチョンの怒り: メキシコ近代とインディオの村 (岩波現代文庫 学術 427) - 清水 透
1982年、日本は高度成長期のあと、絶頂のさなかにあった頃である。バブル景気が1980年代後半から。バブル崩壊は1990年代半ばごろから。
40年の間に日本が経験した社会の変化を考えれば、メキシコ南部の村に押し寄せた変化も想像はつくと思う。一括りしてしまえば「近代化」、そして「伝統の変化」。
かつてはプロテスタント系に改宗すると村から追い出されていたが、今では村の半数がプロテスタントのところもある。
かつては長老や村の顔役が権力を握り、逆らう者は殺されることさえ有り得たが、若手はそうした支配に反発するようになった。そして村を出て移住していく者、特に、一攫千金を目指してアメリカを目指す者が多いという話。
前半の伝統の変化話は他の本でも似たような話を読んだことがあるのだが、後半の、増補として書き足された最近の話がなかなか興味深かった。
アメリカと不法移民(=メキシコの貧しい地域から国境を越えてゆく若者たち)の話である。
最近では、ヨーロッパも移民問題で揺れている。
不法だろうがなんだろうが移民に賛成している人たちは、たいてい、食うに困らない富裕層である。これはどこの国でも固定化されている。
そして、よく言われるとおり、安い賃金で使い倒せ、何の保証もしてやる必要のない不法移民は、富裕層にとっては便利な奴隷である。
仕事を求めて移住するメキシコ人たちの扱いは、まさに奴隷そのものだった。
自分たちの意思で、しかも借金してまで揃えた金を斡旋業者に支払っているだけ、まだ昔の奴隷制よりタチが悪い。道中で死ぬ者も多い。うまく国境を越えられたあとは、狭いトラックにひしめくようにして積み込まれ、「現代の移民船」で各地へ送られていく。
一攫千金を夢見てやってきた奴隷たちの前に立ちはだかるのは、実際には大して儲からないという過酷な現実。最低賃金の日雇労働者として生きるしかない。現代なら、ウー●イーツ配達員とかが当てはまるだろうか。貧困者のための炊き出しがあったり、支援団体が事務所構えていたりするので、アメリカとしてはそういう人たちの存在は当然、知っている。
だが、国境は厳しく監視するもの、いちど入り込んでしまった不法移民を洗い出して追い出すことは、しないのである。
密入国は大変だが、一回入ってしまえばあとは中で好き放題に動き回れる。
そして帰国したいとなれば、特にペナルティもなくすんなり帰ることができる。(メキシコ側も何も言わない)
なかなかのザルである。
著者は、「アメリカは、そうした労働者を社会構造的に必要としているのかもしれない」と書いているが、自分もそう思う。アメリカも、ヨーロッバも、いまだ奴隷を必要としている社会なのだと思う。移民たちは出身地が近い者どうし集まってコロニーを作る。貧困コロニーの住民は貧困から抜け出せないまま終わる。
貧富の差がとてつもなく大きく、人種によって社会階層が分かれている。
階層の間の壁は昔に比べたら低くなっているのかもしれないが、それでも…という感じだ。
移民たちは、リーマンショックで不景気になったあたりで日雇いの仕事がなくなって稼げなくなり、多くは帰国したという。
また、2020年にはコロナ禍の影響も受けたという。実に不安定な身分だ。景気に左右され、何の保証もなく生きている。コロナ禍のあとは、インフレにも悩まされただろう。
月なみな感想になってしまうが、新大陸における奴隷制は、実際にはまだ終わってはいないのだろうなあと思う。
スペインから来た支配者たちに搾取されていた時代も、アメリカに出稼ぎに出て白人系の雇用主に使われる時代も、やってることは同じ。
ただ、もっと遡れば、マヤやアステカの支配者たちも民衆を支配し労働力の搾取はしていた。これを地域の伝統と見なし受容してしまっていいものか、根幹から変わるべきものと考えるものなのかは、悩ましいところである。
*****
ちなみに、中の人、大学卒業したすぐの頃に日雇い労働をしたこともある。
なので、本の中に出てきた日雇いの悲哀も少しだけ分かる。
当時は不景気で新卒の給料がクソだったこと、独立して親からの仕送りがなくなったのだが遊ぶ金欲しさ(ネトゲ用にゲーミングPC資金)に副業が必要だったのである。当時はインターネットで日雇い募集とかはなかったので、駅に置いてあったバイト募集雑誌とかで探して行った。やったのは、限定フィギュアの詰替えをする作業である。なんか台座と中身をテレコにして出荷しちゃったのを倉庫内で手作業で直すというやつだった。
休日に、指定の駅前でまちあわせ。集められた労働者がバンに積まれて目的の倉庫へ。
1日1万円、電車代支給なし、昼飯は自腹。倉庫で朝10時くらいから働き始めて17時くらいには終わったが、20人くらいいたメンツの2-3人はタバコ休憩が長くほとんど働いていなかったし、手際のいい奴と不器用すぎてヤバい奴の差が激しかった。結局、交通費とかを抜いて8000円くらいにはなった。
労働内容はチョロいのだが、とにかく集められたメンツがヤバすぎて(まともに社会生活送れてなさそうな人もいた)、これならコンビニのバイトとかスーパーのレジ打ちのほうがまだ気楽だよなあ…と思ったのは覚えている。
社会勉強としてやる以外はオススメしない。普通に就職できるレベルの社会性があるなら日雇いじゃないバイト先を探したほうがいい。ただ、不法移民の場合は、それさえ出来ない状況なんだろうな…。