アラブ帝国の”血縁関係"というフィクション「アラブ系譜体系の誕生と発展」

なんか何でもいいから本読みたい! という発作が来たので、図書館でテキトーに借りてきた本が、アラブ人という民族のナショナリズムに関わる内容だった。
ウマイヤ朝までのアラブ人は、それぞれが「xx族」のどれかの集団に属していることになっていて、その血縁関係の纏まり単位で系譜(ツリー)(になっていたという。で、「xx族」のツリーに属してる人は全員、遠い親戚のような扱いだったらしい。

具体的に言うと、アドナーン族(アラビア半島の北)、カフターン族(アラビア半島の南)という大きな括りの下に、細かい集団が階段状にぶら下がっており、「A族はB族から派生した。BはAの息子の名前である」みたいな系譜が存在した。この系譜がどうなってるのか、いつから知られているのかなどを研究したのが、この「アラブ系譜体系の誕生と発展」という本になる。

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https://www.yamakawa.co.jp/product/67435

そういやマホメットも氏族に属していたなあ…などと思いながら読んでいたのだが、興味深い内容を見つけた。
アラブ人=アラビア語を話す人々 なのだが、そのアラブ語を最初に獲得した部族 という概念がある、というのだ。

いや確かに、コーランはアラビア語で書かれていて、神はアラビア語で啓示を垂れたことになっている。ということは、神の言語=アラビア語だったのだ。なので、コーランの詩句は神聖なものとされている。

しかし、その神の言語を最初に受け取った氏族は既に滅亡している。つまり、先に挙げたアドナーンでもカフターンでもないことになっている。
最初からアラビア語を話していたのは、アード族やサムード族と呼ばれる人々で、コーランの中で神によって滅ぼされたことが名言されているという。つまり、「真のアラブ」と名乗ってる部族でも、実際にはアラビア語を喋ってた最初の部族ではないのだ。

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探してみると、中部大学で研究している人がいるらしい。以下のPDFが見つかった。
どうやら、ノアの洪水のあと、神によって繁栄を許されたのがアード族らしい。伝承によっては、アードの息子の一族は生き残ったことになっているというが、いずれにせよ、民族絶滅の神話は旧約聖書のお家芸ではないのだ。(まあ、同じ唯一神なので全滅させてる神は同じはずなのだけれど…。)

亡 び た ア ラ ブ• アー ド 族 伝 承(1)
https://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC19101112&elmid=Body&fname=N04_030_065.pdf

というわけで、アラブ世界の神話には、「最初にアラビア語を話していた氏族は全滅済」、「そこから派生した一部の氏族と、のちにアラビア語を学んだ人々だけ残った」という概念がある。この概念の元では、アラブ人とはいずれかの氏族に所属することが必須条件で、かつ、アラビア語を話す人々 だった。

ただ、実際には、この氏族は実際には血縁関係があるかどうか微妙な場合も多かったようだ。
というか、「A族はB族から派生した」のような系譜体系自体が、いつかの時点から作られ始めた、何通りも解釈のある、ご都合主義的な創作だったというのだ。
つまり、血縁関係による一体感はフィクションである。実際には共通祖先がいない可能性が高いけれど、系譜上は繋がっていることになっているので、自己認識としては「僕ら遠い親戚同士だよね!」になる。

これは面白いやり方だなと思った。
血縁関係があることにして、集団同士を結びつけることによって争い事や揉め事を減らしたり、多少文化が違っても通婚できる可能性を作ったり、遊牧民集団のように移住しまくる生活であっても「自分はxx族です」と自分の系譜を語れさえすれば身元保証にもなる。
実際、このフィクションは、アラブ帝国の崩壊まではうまく機能したようだ。

なお、アラブ帝国の崩壊後は、イスラム教徒であること=イスラム帝国の視点 が重要になっていく。
イスラームが世界宗教となり、氏族に属していない、明らかに血縁のない人々にまで広まっていったことで、アラビア語を話さない人々もイスラム教に帰依していったからだ。


アラブ世界特有の氏族伝承はあまり詳しくなかったので、人間集団にはこういう纏め方もあるのかー…と勉強にもなった。
もしもイスラームが世界宗教にならなかったら、いまでも氏族単位での布教、それこそユダヤ教みたいなスタイルでの活動をしていた可能性もあるかもしれない。